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嘘つかない。

ここ最近ずっとケンタッキー食べたいのに、食べられないまま数日経っている・・・。
今日もその計画はあえなく破綻しました。
いつになったらケンタッキー食べられるんだろう・・・。

そろそろ何かの良さとかを伝える記事を書きたいところだけど、もうちょっと自分語りに付き合ってくれると嬉しい。昨日と同じく「いけすかないんだよ、けっ」ってなる記事になる予感しかないです。

多分これからそういう記事の方が少なくなると思うし。

結局根本はオタクだからね(笑)


昨日、阿部さんへの感謝のような、ただ自分を語っただけのような記事をあげたんだけど、阿部さんの記事にこういうのがあって。

その中にある「自分自身の整理整頓術」について考えようと思う。

原体験

まず私の原体験から。

私は元来目立ちたがり屋だったのだと思う。保育園の誕生日会に1人ディズニープリンセスのドレスを着て舞台に上がったり、幼稚園では何かやる事があったら1番に終わらせよう、自分が1番上手くやろうと思っていたし、小学校に上がれば委員長になってみたり。何でそう思ったのか、全く思い出せない。本当はここが深掘りの対象になるのかもしれないけど、如何せん3歳とか4歳の事だ。全く記憶がない。とりあえず目立ちたかった。誰かに私の存在を認識してほしかった。小学校2年生までは、それで一応満たされていた。
でも、小学校3年生の時。ある子と出会う。
その子は本当に今思っても、小学生の時から文武両道だった。習い事をたくさんやっていて、あの時の私から見れば、何でも出来る子だった。私が小学生の時、朝会で表彰式があって、賞をもらった子達が舞台に呼ばれて校長先生から賞状をもらう。そんなイベントが年に何度かあった。

そして、その子は毎回舞台に上がっていた。しかも何回も何回も名前が呼ばれる。つまり、1つの賞だけでは無くて、複数賞を取っていたのだ。その子の名前が呼ばれる度に、「また〇〇だ」、「〇〇すげー」と周りの子がざわざわしていた。
でも私は「すごい」と思う以上に悔しかった。何度も名前を呼ばれ、存在が認識されるあの子。片や舞台の下で他の子達と同じように体育座りをして自分の名前が呼ばれる事もなく、その子が賞状を受け取るのをボーッと眺めているだけの私。思えばこれが私が初めて挫折した経験かもしれない。

たくさんの子達と一緒なんて、まっぴらごめんだった。

「あの子みたいになりたい」

その一心だった。


がんばったことと自分コンセプト

そういう経験があったから、私は大勢の人と違う人間になりたいと思って行動してきたのだと思う。「あの子みたいになりたい」と思いつつ、あの子と同じになるのは嫌で、「あの子を越えたい」という想いがあった。

だから多分、私がこれまでやってきた事は、自分が好きだと思った事はもちろんだけど、それ以上に「これをやったら他の人達と違う自分になれる」という下心に拠る。

そんな私が学生時代頑張ったと言える事は、
長期的に見ると、確実に書道だ。あの子みたいになりたいと思って最初に始めたのが書道だった。今思えばストーカーか。という感じだが、あの子が通っている書道教室を突き止めてそこに通っていた。
始めてみると存外楽しくて、何だかんだ高校3年生まで9年間続けていた。上手く書けたら会の本で自分の書いた作品が写真で掲載されるのも嬉しかったし、高校生になると、般若心経など色々な課題を書く事が出来た。書道をどうして続けられたのかと言えば、自分が努力した結果が「昇段・昇級」という形で見えるという事と、色々な課題にチャレンジ出来た事と、その会では一定の段を取れば雅号を頂く事が出来たので、それを頂く事が出来れば、やっぱり他と違う自分になれると思ってその目標があったからだと思う。

しかし、私は高校卒業と共に書道をやめてしまった。
では、大学生の時に何を頑張ったのかと言うと。
サークルの広報活動だ。あれほど辛くて、でも終わった後の達成感が半端なかった経験はほとんど無くて、大学受験と並んでワンツーフィニッシュだと思う。
始めたきっかけは、先輩から誘われて、自分がサークルの役に立てると思ったから。ひいてはこれも他と違う自分になりたいに紐づいているのだと思う。まあ広報として色々やったのだが、これがまあきつくて、正直めちゃくちゃ辞めたい、何で引き受けちゃったんだろう。と何度も何度も思った。
でもどうして続けたのかというと、まずは私が辞めてしまったら誰がやるんだろうと思ったからだった。一度引き受けた以上、最後までやり切るのが筋ってものでは・・・と変な責任感を感じ、続けた。そしてもう1つは、私の代でこの悪しきやり方を変えてやるという変な使命感を感じたからだった。広報の仕事には1つ重大な欠陥があって、時々それでお客様からもクレームがあった。その欠陥のせいで私はこんなにきつい思いをしているんだ。後輩たちにこんな思いはさせたくない。お客様自身も快適になる。一石三鳥じゃん。どこから湧き出たのかも知らないそんな思いに突き動かされて、私は続けた。さらにもう1つ。私がこの変革を成功させたら、超すごくね???と思ったからだった。結果的にその変革は成功したわけで、サークルの人からも褒められた。1つの事を成し遂げた事によって、「自分ってやれば出来るんだな」と妙に自信がついた。当時、色々な理由で自信を失っていた私にとって、そこまで意識していなかったにせよ、自信を取り戻すきっかけになった。

長々と書いてきたが、この事とか、ここに書いていない事とかも踏まえて、自分コンセプトを考えるなら、それは「唯一無二」だ。
私は私として認めてもらうために、「唯一無二」になろうとずっと行動してきた。そうなろうと、努力している自分がとても好きだ。私は天才では無いし、努力しないと何もない人間だから、「唯一無二」になるために、誰かと被らないような、人と違う事をやろうと思っているし、そのために自分なりに努力していると思う。


自分の強み

「唯一無二」になるために、広報の時に何を意識していたか。それは「行動すること」と「やり遂げること」だったと思う。唯一無二になるためには、人と違う事をやる必要がある。そう思っていた私は、とりあえず行動しないとわからないとやってみる事にした。だから変えようと思ったのだと思うし変えられたのだと思う。そしてもう1つのやり遂げることは、「行動したところでそもそもやり遂げないと意味なくね?」と思ったからだった。闇雲に行動しても目標を掲げてやり遂げないと、それは唯一無二の存在ではなくてただの無責任な人間だと思った。この2つは広報の時だけじゃなくて、確実に意識していたかは謎だけど、これまでやってきた事、ほとんどの事に言えるし、ほぼ無意識のうちに意識していた2つだと思う。


成し遂げたいこと

じゃあ私が成し遂げたい事ってなんだろう。正直ここはまだ朧気だ。というか、成し遂げたい事がありすぎる。前挙げた22の事。これから増えるだろうし、減っていく事もあるだろう。
でも、今確実に言える事は「唯一無二になるためには人と違う事をしないといけない」、と今でも考えているという事だ。それから「自分が良いと思ったものや本当にいいものを多くの人に広めたい」という気持ちがあって、それを掛け合わせて何かを成し遂げたい。
じゃあやっぱり、たくさんのスキルや見地を身に着けて、誰もが使うものの良さを広めるメディアを作ることかなぁ。
思えば、私は本や映画、ゲームやアニメのおかげで世界を広げる事が出来たり、救われた人間だ。それとの出会いは図書館であったり、本屋さんであったり、たまたま行った映画館であったりだった。場所もメディアになるとどこかで聞いた事があるような気がするんだけど、誰が言っていたんだろう。場所はもちろん大事で、なぜならそこで思わぬコミュニケーションが生まれたり、出会いがあったりするからだ。でもそういう場所にも限界があると思っていて、それは興味のある人しか来ないという事だと思う。場で扱うものが好きな人・興味がある人しか訪れない。じゃあその世界を全く知らないような人に扱うものを好きになってもらうには、興味をもってもらうにはどうすればいいのかと考えたら、とりあえずこんな場所やものがあるって多くの人に広める事だと思う。そして今は、たくさんの人が見るものとしてネットがあるし、私もネットでたまに目に入ったものが忘れられなくて買ったという経験が多々ある。

ネットを使ってものの良さを伝える→それを多くの人に見てもらう→誰かの生活が豊かになったり、楽しくなったり、世界が広がるきっかけになる→その「もの」に興味を持った人がさらに「もの」に触れる→場所自体も残っていく

前の記事にも書いたけど、私はいずれ誰かの世界が広がるきっかけとなるような場づくりもしたい。でもその場を多くの人に広めないといけない。そうすると、たくさんのスキルや見地を身に着けて、誰もが使う、ものの良さを広めるメディアを作ることになるのかもしれない。まあ場づくりも結局↑これになるのだろうけど。

なんかダラダラ書いてしまったけど、これが嘘偽りない事だと思います。
ここにも書けてない事はもちろんあるので、これから深掘りします。

あ~ケンタッキー食べた――――い!!


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