インフルエンザになって、怒り狂って絶望した話。
先週から私を含め、家族がインフルエンザになった。インフルエンザとかコロナとか、こういうウィルス系にかかると、一旦メンタルが極限状態にいくのか?崩壊する。(笑)
ほんで、強制リセットがかかったかのように身体の細胞が入れ替わる、そんな感覚を覚えることがある。
例に漏れず、今回も荒れに荒れて叫んで泣いて吠えて、忙しかった。(笑)
なにせふうふのスタートが汚部屋だったから、それに比べたらずいぶん人間が住む部屋になったでしょ、と思っていたのだが……
最近、インフルになって部屋が美しくないのに絶望して。「なんでこんなに美しくないんやろう」って、それはもう悲しくて悔しくて泣けてきて。(インフルは、メンタルまで破壊するw)
もっとインテリアを自分の意思で選んで大切にしてケアしてっていう暮らしがしたいと心底思った。
汚部屋よりはいいでしょ、でなんとなくあるものをテキトーに使うんじゃなくて、本気で、自分で納得して、部屋を創りたいと、ひたすら泣いて決めた。
次の10年でそんなひとつひとつ自分が魂こめて選んだものを愛でながら慈しむような暮らしをする。
してやる。(泣)
2024年は絶対カーテンを変える。まずはそこから(今も悔しくて半泣き)
部屋がなんでこんな美しくないんや、とブチギレたり。(笑)
こんなブチギレる?っていうほど、心の中はブチ切れの嵐。「ない、ない、ない、これもない、なんでないん?全然できてへんし、なんにもできてへんし、もうあかん、わたしの人生ってなんなんやろ………ああ、最悪や、この世も末やああああ」と、体のボロボロさとともにメンタルが地を這っていたインフル期間。
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そんなダークサイドまっさかさまなゾンビなわたしも、ようやくおわりが見えてきて落ち着いてきたのか、「これはありがたいよな……」ということも見えてきた。
やはりそれはリモートワーカーだったという点だろう。登園停止が5日も、となると出社の場合確実に一週間は働けない。が、だましだまし、さきちゃんを横に置き、膝に置きながらも、なんとか仕事ができたということ。人間として、家族を持つメスとして、家族を養育しながら働けるというのは、「いきものとして無理がない人間的らしい働き方だな」と思う。
この、「人間らしいか」「生き物として無理がないか」というのが、わたしの「働くにとって重要なんだな」と改めて感じる。
人間らしくて、生き物として無理がない仕事ならなんでも喜んでやる。もし仕事選びに軸があるなら、それだけが譲れない軸、だろうと思う。
ひょんな御縁で、家で働ける仕事に巡り会えてほんとうにしあわせだったな、感謝だなと、さすがのゾンビも感じたことだった。
感謝できることはありがたく受取る。
そして、強い絶望というのは新しい希望のスタートのゴングだ。
とにかく絶望の次には「こうありたい、こういきたい」がセットになっている。
今回感じた絶望たち。
キミらは、すでにマークした。
このインフルで極限状態になり、感じた絶望を元にまた自分が望む人生を創っていく。
わたしは、またここから自分が望む人生を創っていく。
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