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脳内お花畑 day3

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さっそく1日空いてしまった、描いてはいたのだけれど、スキャンしていなかった。こういう小さな怠惰があるから私はいつまで経ってもマトモになれないのかもしれない。

さて、もう少しだけ、髪の毛の話。
社会人になってからは、お金がないときを除いて、髪を短くしていた。
とても相性のいい美容師さんとも出会えて、
「モテる髪型」じゃなくて「私がしたい髪型」「私が私らしくいられる髪型」を汲み取り、ときには提案してくれた。
ただ、髪が短くとも、毛量がもともと多くて、夏場は特に地獄。そこでその美容師さんが提案してくれたのは「刈り上げ」だった。

ちょっと勇気が必要だったけど、もみあげの下を刈り上げてみたら、なんだか清々しくて、風の通りも良くなった気がした。
顔まわりの髪を耳にかけると、刈り上げ部分がちょっとのぞく。けど、それをしないと、刈り上げはみえない。

たったそれだけなんだけど、自分にとっては新しくて、新しくピアスを開けたみたいに、ちょっとだけ自分が強くなった気がした。それから、刈り上げがスタンダードになった。

そうなってからしばらくして、また髪を切った。その次の日、上司がその刈り上げをみてちょっとニヤニヤしながら「ヤマグチさんって、もしかして、バイ?」と言ってきた。

どうやって返答したかは覚えてない、けれど、そのときのゲンナリとした、がっかりした、憤った、えもいわれぬ気持ち悪くて最悪な気持ちは、いまでも心に染み付いている。

これを読んでいる人にわざわざ説明する必要もないきがするけれど、わたしのセクシャリティが、なんであれどうでもいい。別に、なんでもいい。バイだと言われたことが嫌だったわけではない。

自分の好きな髪型をしているだけなのだ。
その髪型が、自分のセクシャリティを反映しているにしろ、していないにしろ、他人にそれを突っ込まれる筋合いはない。そもそも仕事にその観点は必要ない。そうだったとして、なんなんだ。仕事上の付き合いで、その話をする必要性は、何なんだ。仕事をする上で、絶対的にそれは聞かなくちゃいけないことなのか。きっとそうじゃないだろう。

それまでは、やっと髪の長さの呪縛から逃れたと思っていた。
けれど、そんなことはなかった。

ほどなくしてその仕事は辞めた。そういう人がいるところで、わざわざがんばる必要が見当たらなかった。そんなところで、いいものが作れる気もしなかった。そしてそういう人が、”いい仕事”をしているとされているのにも嫌悪感を覚えた。

まあ、たぶん、言った当人は、言ったことすら覚えていないだろう。
わたしはまだまだ忘れるつもりはない、向こう5年くらいは。


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