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優等生になんて、ならなくてもいい。

強くあれ、弱さはダメだ。
泣いたらダメ、弱く見られるよ。
普通でいないと、弾かれるよ。
イレギュラーはダメだ…。

耳タコになるくらい、ああでいろ、こうであるべきじゃないと囁く「声」ーもとい 雑音がそこかしこ。

外野がどうこう言うことじゃないのに、わたし達の日常ではなんか腑に落ちなくても、「あぁ、どうも」とやり過ごす。それが当たり前。

それ自体がもう窮屈だし、なんで? とも思う。
なんで本音を言っては行けない場面があるんだろう。 空気を読む、とか相手のことを思いやる、とか 抽象的な言葉を使わずして答えられるのかな…。

ひとり時間に考える。
わたしは、外の世界へ飛び出そうとしているときに、外野からそういうことを尋ねられたり、「普通こうでしょ」なんて言われると「わたしはなんなん? 普通じゃないの? 」 と歯向かいたくなるときがある。
(これ割と本気で)

一番病んでた時期から、今のこのキャラクターを演じる(のか?)取り戻すまで。
わたし流に言えば、“自分色に染まれるまで”にどのくらい要しただろう……。

短時間、短期間ではなかったはずだ。

走っても走ってもトンネルから漏れる光が見えなくて、焦っては転び、転んでは起き上がり、また光を手の中に追い求めて走る日々。

そんな毎日に疲れたの。
誰かが求めるわたし、
わたしが理想とする誰か

ありのままのわたしはどこへ置き去りにした?
なんで、わたしは一旦おしゃべりだった口をどこかへ置いてきたの?
置いてきた口は一生元へ戻らないの?

台本どおりに話さないと何も言えないとか
なかったはずなのに、なんで、どうして。

言いたいことも、過去に向かっての恨みつらみも悔しかったこともたくさんあるけど、全部いまは季節外れの天の川に流すことにした。

あのときああしなかったら
ああしていれば、っていうのは結局

今を生きていない、ってことだもん。
自分を生きたいよ。

ほかの誰か、
誰かに憧れてそれを真似るわたし、じゃなくってさ。

ちゃんと生きてみたい。
だからその決意表明、明日からと言わず今日から、また自分の足で歩き出すんだ。

#わたしの歩き方 #優等生にならなくても生きていける #当たり前という枠を外してみる


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