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歴史は勝者によって書き換えられてきた③

先週末、福岡への出張ついでに博多に寄り道をしていきました。

寄った場所は、福岡市赤煉瓦文化館(旧日本生命九州支店)

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この建物は日本生命保険の九州支店として明治42年(1909年)に竣工され、設計は東京駅などを設計したことで有名な辰野金吾と安岡安によるもの、とされています

とされています』と敢えて書いたのは、私自身この情報を信じていないためです(笑)

こちらの記事でも書きましたが、つい200年ほど前まで、現在よりも進んだ文明が存在していたことが「建物の物証」として世界中に残っています。

今回の福岡市赤煉瓦文化館も、そのうちのひとつになります。


◇不可解な点(その1)

この建物は地下にも部屋があります。

それにしても ⇓ 写真のように、半分窓のようなものがあり、あとから石の壁を取り付けたような造りになっています。

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200年ほど前に世界中で発生したマッドフラッド(大規模な泥の洪水)で、実際には建物が埋まっていたのではないでしょうか??


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本当は ⇑ の地下部分が「1階」だったように見えてなりません(笑)

実際には、当時この建物は3階建てだったのではないでしょうか?


◇不可解な点(その2)

鏡と窓の寸法

建物の中に入ってみると、まず驚くのがとても高い天井です。

そして異常にデカい窓。長さを測ってみたところ、なんと4mもありました!

ていうか大きすぎて窓が開けられません・・・


また、部屋の奥の方に大きな鏡があったのですが、ほぼ自分の姿は映らず(笑)

こちらも高さを測ってみると、最下部が1.7m最上部が2.7mもありました。現代人には絶対に大きすぎます!


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表の歴史には出てきませんが、この時代には現代人の他に、身長が平均3mほどの人種がいたそうです。

そもそも、この建物は ⇑ 写真右の人種用に設計されたものとしか思えません。

細かいことを挙げれば、まだ突っ込みどころ満載の建物ですが、これだけでも現代の建物ではないことが十分に理解できる内容かと思います。


◇まさに論より証拠

いくら書物や絵などで歴史を捏造しても、当時の建物をよく考察してみると、本当はどのような世界だったのか? 

そのギャップが確実に見えてきます。


最後までお読み頂きありがとうございました。

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