『いい人』をやめた日

母が亡くなってからずっと自分を十字架にかけてきた。
母を助けてやらずにずっと無視してきた。
生きている時は、私を虐めた母を助けてやろうとは思えなかった。
気づきもしなかった。
しかし、母が癌で亡くなった後、母が寂しかったこと、孤独の中で生きていたこと、私がそれを助けられたかもしれなかったことに気づいた。
助けなかった自分を呪った。
懺悔にかけた。
人々に貢献するだけの人生を選んだ。
神様にそのようにお願いした…..

だけど今日気づいた。
そんな必要はないこと。

母は私を虐待していた。
母は自分に似た私が憎たらしくて仕方がなかった。
そして、当然懐かないその様子にさらに腹が立ち、辛くあたった。
ある日、その懐かない娘を置いて家を出た。
そして、離れてみて初めて自分のしてきた事が分かった。
自分がその子どもを拒絶し、虐げていたのだという事に気づいた。
それなのに、何事もなかったかのように近づいて、何事もなかったかのようにそれらの日々は2人の記憶の片隅に消えていった。

その後、母は何人かの男と出会ったが、自分の抱える孤独感からは逃れられずに死んでいった。

私は、そんな母を見捨てたことでずっと自分を十字架にかけて、誰かのためにと頑張ってきた。
会社を始めて、社員の為にと頑張った。
今思えばそんな私の貢献に値しない社員もたくさんいた。

今日突然このことに気づいた。
だから私は、もう背負う必要のない十字架を背負わなくて良い。
十字架は私が背負うのではなく、それぞれのそれを背負うべき人に返していく必要がある。

冷たい人がこの世の中にいるということ、その一人が母であるということ。
それを認めることはとても辛いけど、現実に直面してズレた回路を元に戻していく必要がある。
責めを負うのは、私の母であり、心許ない社員であり、私ではない。

私はしっかり両眼を開いて、その価値に値する人にその手を差し伸べていけばいいのだ。その資格のない人にまで与えていく必要はないのだ。

自分をもっと大切に、母が愛さなかった分も自分で自分を愛することにした。
いい人をやめた。

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