父のこと

夫婦喧嘩の絶えない両親だったけど、新居に移ってから、その関係はさらに悪化して、結局家族がふたつに別れることになった。

私は、「お前はどうする?」と出て行く母に聞かれた時、「お父さんがかわいそうだから、ここにいる」と答えた。

お母さんとは、あまり仲が良くなかったこともあるし、お父さん子だったこともあるし、何より家族を繋ぎ止めたいという思いがあった。

それから、私たち父子は2人の生活が始まった。

お父さんは、パチンコに行って帰らない日が多くなり、私はひとり寂しい思いをする小学生時代を過ごした。

父のことを振り返ると、20歳間もなく結婚して、不器用ながらも定職につき、家を建て、母に悪態をつかれながらも愛していて、色々耐えて頑張った30代だったんじゃないかな?と思う。

33歳で妻が出て行き、呆然としながらもその苦痛に耐え、逃避でパチンコに逃げ、何とかその精神を耐えたのではないかな?と思う。

私も私でまだ10歳だったから、相当辛かったけど、私たち父子にとっては、それだけのダメージを受けることがやむを得ない出来事だったんだと思う。

間もなくして、私は孤独を感じなくて済む居場所を見つけたけど、それが父にとってはまた悩みの種だったかもしれない。

一緒に居てくれる人を求めて、私は恋愛に走り、家を出た。
同じ歳の男性だったから、幼稚に見えてすぐに別れてしまった。

今思えば、あの孤独に共感できる体験があり、かつそれを受容できる男性はなかなか周囲には居なかったかもしれない。

その後に付き合った男性にもらしたこともあったけど、「そんな話するなよ。」と言われて、ああ、こういう話をしたら人から疎まれるんだと学んだ。

そして、私はいつも太陽のようにいなければ、人がさらに離れていき、さらに孤独になるんだと学んだ。

だから、いつも笑っていた。
苦しい心は、心の奥に隠して。
どんどん、本当の自分と表の自分は分離していった。

「この寂しい気持ちを誰かに分かってもらいたい。」

お父さんが可哀想だからと、そこに残ったけど、役に立てない自分。
必要とされない自分。
そこにいても価値のない自分。

少しでも居場所があればと頑張った仕事でも、また必要とされない体験を重ねてしまう。

私は価値がない。
私はここにいなくても良い。

そんなことないね。
空気のようになっているけど、「そこにいてくれて良かった」とみんなが思うね。
あたりまえじゃないからね、私がそこにいることは。
「あなたがいてくれて良かった」
「かおちゃんがいてくれて良かった」
「かおりがいてくれて良かった」
そうに、みんなが思っている。

お父さんも、お母さんも、妹も、旦那さんも、友人も、社員も。

お父さんが寂しくないように、そばにいる私を忘れないでね。
お母さんが幸せになるように、生まれてきた私を忘れないでね。

私を忘れないでね。

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