格ゲーとFPSを20年は遊んできたゲーマーが考える格ゲーを流行らせる方法

たまたまTwitterで格ゲーや上達について少し話していたタイミングで上の記事を見つけて久々にダラダラと駄文を書きたくなったので書く。結構な長文となってしまったので結論だけ気になるなら最後のまとめだけ読めばふわっとした理解はできるかと思う。

私は何者か

ゲームで遊ぶのは楽しい。
私は五才の頃からファミコンで遊ぶようになり、朝早くからRPGのラスボス戦を始めてしまい中学生となって一週間もしないうちに初遅刻をしてしまうようなゲームバカであり、大人になった今でもゲームを暇つぶしではなくわざわざ暇を作って遊ぶ現役ゲーマーだ。昔から色々なジャンルのゲームをプレイしてきた。ゲームで遊ぶということ自体を飽きることは今後もないだろうと思う。
とは言え、長くゲーマーを続けていれば自分の好みというのも分かってくる。最近ではFPSを中心にプレイし、ギルティの新作が遊べる日を心待ちにしている状態だ。FPSと格ゲーは20年は遊んでいる。正確にはもっと長いが、自身がおっさんになったことを自覚したくないので考えないようにする。

FPSや格ゲーなどのジャンルを好むゲーマー、特にそれらのゲームの上級者になるとFPSや格ゲーは自身の技術向上を楽しむゲームだと考えがちだ。そんなゲームを私は20年以上遊んでいる。そう書くと相当の猛者のように思われるかもしれないが、実際はまったく違う。スプラトゥーン2のランクで表すならA+くらいだと言えば伝わるだろうか。
そんな可もなく不可もなくといったウデマエの私だが、問題なくゲームを楽しんでいる。最近はCoD:BOCWがメインだが、こちらもキルレが1になるかならないかといったレベルで、似たようなものだ。それは何年も前から変わっていない。いくら遊んでも技術向上の兆しも見えないが、それでも私は毎日楽しくCoDをプレイしている。なぜなら私はCoDを技術向上を楽しむゲームとして遊んではいないからだ。

技術向上を楽しむゲームを技術向上を目的として遊ばない。
こう答えると、毎日鍛錬に励み命を削るような気持ちで勝った負けたを楽しんでいる上級者、またそんな求道者とも呼べるような者のために極めきれないほどの技術向上の余地を入れ込もうとする一部の開発者には私の楽しみ方がまったく理解できない者もいるだろう。だが今の時代に流行る格ゲーを考えるのであれば、私のような言ってしまえばカジュアル勢がどんなゲームを楽しいと感じ、またどのように楽しんでいるかを開発者、そして新規を増やしたいと考えている既存プレイヤーは理解する必要があると感じている。その上でそんな志の低いプレイヤーは必要ないと拒絶するのは自由だが、理解する前から無理と決めつけてしまうのはもったいないと研究民族の私は思う。

ゲームの楽しさとは

人はゲームをどのように楽しんでいるのだろうか。
楽しみ方は人それぞれ。みんな違ってみんな良い。そんなことにしてしまうと話が続かないので、まずは私がゲームについてあれこれ考える時に土台として参考にしているものを紹介する。

軽く説明すると、まずスパ帝の書籍とブログではゲームをジャンルではなくゲーマー目線で楽しいと感じる要素で7つに分類し、たとえば技術向上を楽しむプレイヤーは軍人民族といった感じで、それぞれの要素を好むゲーマーを一つの民族として表現している。

下二つのJey.P.の記事。上の記事ではゲームの楽しさの構成要素をスパ帝の分類を参考にして発展させたものが分かりやすくまとまっている。最後の記事ではゲームの面白さを維持しながらもプレイヤーに要求される時間や技能、お金といったコスト、ハードルを減らす手法を検討している。

これらの記事はゲームの楽しさを考える上で非常に参考になる。とはいえ当然完璧なわけでなはい。スパ帝自身、自分は意思決定民族や軍人民族といったガチ勢側のゲーマーだと書いており、Jey.P.については明言されていなかったはずだが考え方の流れから彼もガチ勢側であると私は推測している。つまりはカジュアル側の視点が足りていないのである。

そもそもガチ勢やカジュアル勢という区別は何が違うことで発生するのだろうか。「必死で練習して上を目指す」「気楽に楽しむ」というプレイスタイルの違いで分類されることが多いように思うが、カジュアル勢の私からすると少し違うと感じている。外から観測した時に結果的にそう見えることが多いだけで、根本的には個々のゲーマーがゲームを楽しむために要求される時間やお金、技能といったコストをどれだけ負担に感じているかで変わってくるのだと考えている。なぜそう考えるかと言えば、基本カジュアル勢の私でも短期的、限定的であればガチ勢のように見える遊び方をすることがあるからである。

カジュアル勢のFPSの楽しみ方

時間、お金、技術、知識。私はそれらゲームを楽しむために要求されるコストの中でも操作技術の向上に大きな負担を感じている。
そんな私のCoDの成績は上にも書いた通りたいしたことはない。しかし成績向上のために技能を磨く鍛錬(AIM練習)などをするつもりはない。成績向上という結果に対してコストが割に合っていないと感じているからである。
この割に合っていないからやらないという考え方がポイントで、カジュアル勢だからなんでもかんでもお気楽適当に済ませるわけではないのだ。私は技術の要求に大きな負担を感じているが、少し練習すれば出来そうでコスパが良いと感じた技術であれば普通に練習するし、技術とは逆にお金などはあまり負担と考えていないので、TCGを遊んでいた時期は必要なカードが高いからといって似たような他のカードで代用するといったことはしたことはない。
また知識に関しても私はあまりコストとは考えていない。むしろ部分的にはコンテンツとして肯定的に考えている。そして話をCoDに戻すと、結局のところ私は上級者にとって技術向上を楽しむCoDというゲームをパークや武器アタッチメントの組み合わせを研究するゲームとして楽しんでいるのである。

CoD:BOCWというゲームのオンラインマッチでは、自分の足音を小さくしたりミニマップに表示される範囲を広げるといった効果が得られるパークというシステムと武器に様々なアタッチメントを装着して性能をカスタマイズできるシステムがある。私はこのパークと武器カスタマイズの組み合わせを研究するのがとても楽しいと感じている。冗談ではなくプレイ時間の1/3くらいはカスタマイズするための画面を開いてあーでもないこーでもないと考えている。
ここで「今時YouTubeなどで検索すれば最適な組み合わせが見つかって研究する余地などないのでは?」と考えてしまう人はガチ勢の軍人民族だ。料理のプロが鉄のフライパンが良いと言っていても素人にはテフロンのフライパンのほうが使いやすいと考えるのがカジュアル勢の研究民族だ。使いこなせれば最強を使いこなせるようになろうとするのがガチ勢の軍人民族であり、カジュアル勢の研究民族は技術向上という鍛錬を嫌うが、代わりに現時点の自分が最大限にポテンシャルを引き出せる組み合わせや工夫を常に探している。そしてCoDではそれが可能だ。

カジュアル勢の格ゲーの楽しみ方と止めるのを考える時

格ゲーを流行らせる方法を書くためにずいぶんと前置きが長くなってしまったのでそろそろ格ゲーの話を始める。
前提として、今は格ゲーよりもFPSのほうが流行っている。その理由をカジュアル勢の視点から考えると、格ゲーはすぐ上で説明した組み合わせの研究といった楽しみを感じにくい、またはそれを楽しむためにセットで要求される技術向上のハードルが高くなりがちというのが問題だと考える。
これは格ゲーというジャンルの性質上どうしても避けられない問題だろうか。私はそうではないと考える。というか、なんだかんだ20年以上も格ゲーを遊んでいればカジュアル勢の研究民族の私が今CoDを楽しむ感覚と同じように楽しめた格ゲーにはいくつか心当たりがある。そのいくつかあるタイトルのなかで一番思い出深いのは家庭版のカプエス2だ。

昔、友人の一人に格ゲーコレクターのような人物がいた。そいつはコレクターとしてだけではなくプレイヤーとしても優秀で、特に家庭版のカプエス2で対戦するとマジの誇張なく50対1ぐらいのスコア差になる。なんでそんなことになるかと言えば極論人間性能が違いすぎたのだ。
いくら鍛錬を嫌うカジュアル勢の私でも対空昇竜ぐらいはそこそこ出せる。出せるのに、そいつはジャストディフェンスのシステムがあるKグルーヴを使って普通なら充分に対空として機能するはずの地上単発技は当然として、複数ヒット技のジェノサイドカッターくらいなら高確率でジャストディフェンスで対応してきて、結果として飛びに反応して対空が出せているはずのこちらがダメージを食らうという意味の分からん状況が発生していた。
しかしこんな圧倒的な差があっても私は対戦を楽しんでいた。一部のガチ勢はカジュアル勢が辞める理由を勝てないからと考えているが、それは理由の半分しか合っていない。カジュアル勢が止めることを考えるタイミングは勝利するためにはもう技術向上するしかないとなった時であり、セットで技術向上を求められない工夫や研究の余地が残っているうちはまだその時ではない。そしてカプエス2にはレシオやグルーヴといった要素があった。

技術や研究以外の楽しみ

しばしばカジュアル層向けの調整=シンプルお手軽簡単だと単純に考えてしまう人がいるが、ここまでの説明でそれは間違いであると理解できたと思う。私はゲームを楽しむために要求されるコストの中でも操作技術の向上に大きな負担を感じている。なので操作が簡単になるとこは歓迎だ。しかしそれ以外の要素、セットで技術向上を求められない工夫や研究の余地までシンプルにされることは望んでいない。逆にそういった工夫や研究の余地が多ければ要求される技術向上コストが高くてもそれ以外の部分で十分に楽しめるのであまり問題とは感じない。またそのように楽しんでいる時は我慢して払える技術向上コストも多少増える。

ここまで私は工夫や研究が楽しいと何度も書いてきた。しかし当たり前だが格ゲーやFPSの楽しさはそこだけではない。基礎のアクションとしての楽しさがあるのは当然として、同時手番の対人ゲームという性質上読み合いという意思決定も存在する。余談だが、一部の読み合いなど運ゲーだと考えているシステム狂信者のような人がいれば、ぜひこちらの記事を読んでみることをオススメする。

上の記事の中で人間は無意識のうちにパターンを学習できることを確認した実験が書かれている。読み合いが強い弱いというのは運が良い運が悪いというようなオカルトではなく、実際にあることなのだ。
私自身の経験からもやはり読み合いの上手い下手はあると思っている。私は友人たちと格ゲーを遊ぶ時、ほとんどの場合は弱いほうだったが、唯一wiiのスマブラだけは勝ち越していた記憶がある。ドンキーのぐるぐるパンチを当てるのが上手かったのだ。
残念ながら私のお気に入りのwiiスマブラは歴代スマブラのなかでは評価が低いらしい。前作のスマブラDXにあったような絶などの軍人民族を満足させるようなテクニックが削除されたからだ。
私は鍛錬を嫌うからといって技術向上の楽しみを否定するつもりはない。ただ、今ある多くの格ゲーは研究や読み合いが技術向上に比べて軽視されていると感じている。極端な軍人民族などは技術の比べ合いだけで勝負が決まる世界を望んでいるようだが、私に言わせればそのようなことは格ゲーでやることではないと思う。技術だけで勝った負けたを楽しみたいなら格ゲーではなく音ゲーのスコアやアクションゲームのクリアタイムなどを競う方がいい。

理想の格ゲー

雑に言えばカプエス3、もしくはwii版スマブラのバランスでキャラがswitchのもの。
人によっては共通点のないまったく別のものに思われるだろうが、私からすればこの二つは技術以外の部分で楽しめる要素が多く、結果ちょうど良いバランスだったという部分で共通している。
極論としては同時手番のゲームで技術、研究、意思決定の楽しみのバランスが良ければ達成するためのシステムはなんでもいい。カプエス2のレシオやグルーヴの代わりにキャラがロボでパーツをコスト内に合わせてカスタマイズできるようなシステムでも私はそれを格ゲーとして楽しむことができると思う。
カジュアル向けに技術向上の余地を下げる必要はない。それ以外の部分の要素を増やして楽しみのバランスを整えるべきだというのが私の考えだ。
そうすると結果相対的に技術の価値が下がるので、既存プレイヤーの多くにはあまりよく思われないだろう。それでも新規を増やしたいのなら絶対にそうしたほうがいい。強者はよく自分ができたことは他の人もできると考えがちだが、実際にはできない人のほうが多いから自分が強者であるということを理解したほうがいい。
FPSに比べて格ゲーで遊ぶ頻度が下がり、今は一歩引いた目線で見れるようになったが、正直格ゲーはバランスが悪い。ソシャゲでランキングなどを競うために多額の課金が必要なゲームがあるが、そもそも遊ぶために多額の課金が必要になるというのが今の格ゲーという印象だ。無料で遊べる研究や意思決定の部分が少なければ、なおさら人の集まる理由がない。なお理解力が低い者のために一応説明するが、必要な技術を課金で例えている。実際に格ゲーを基本無料の形式にして要求するお金というコストをゼロにするとしても、それは他の基本無料ゲームより楽しめるものにしてからでなければ意味はない。

まとめ

カジュアル勢はゲームを気楽に楽しんでいるというのは間違いである。時間、お金、技術、知識、意思決定、それらゲームを楽しむために要求されるコストの一部に大きな負担を感じており、避けているだけである。すべてにおいて負担を感じて割に合わないと感じているような者はそもそもゲームなどやらず外で遊ぶ。

技術向上コストに負担を感じている者のために操作の簡易化などは新規を取り込むという部分で効果があるとは思うが、根本的には技術と技術以外の楽しみのバランスが悪かったり、楽しむためにはセットで技術向上を求められることが問題なのだ。酢豚にパイナップルが許せない人間でも別の皿に分かれていてデザートとしてなら食べられる。

当然だが多くのゲーマーは研究者ではないので、自分がゲームのどのような部分が楽しいと感じ、どの要素に不満を感じているのかをうまく言語化できていない。なので例えば楽しむために要求されるコストの技術と知識、そのどちらか片方だけに負担を感じている場合でも、普通は「難しい」としか評価されない。しかしそう評価した者に合わせるように両方のコストを下げるような調整はあまり意味がない。それは嫌いな具材の入ったチャーハンを具材の割合を変えずに量だけ減らしているようなものだ。割合を変えないなら逆に全体の量を増やすべきだ。そうすれば嫌いな部分を避けた部分だけ食べても十分に満足できる。

FPSや格ゲーで技術向上を楽しまないのは間違っている。というような考えを個人が持つのはもちろん自由だが、同じくらい個人がどのようにゲームを遊び、楽しむかも自由だ。既存プレイヤーは新規を増やしたいなら初心者へアドバイスするときは慎重に言葉を選ぶべきだ。酒が嫌いな者に「酒が飲めないなど人生の半分は損している」なんて言っても飲めるようになりたいと思う者はいない。

余談、ソシャゲのオートシステムについて

これを書いて頭が整理できたおかげか、ソシャゲで遊ぶゲーマーでオート機能だったり一度クリアしたクエストのスキップシステムを求めるゲーマーの心理について分かったことがあるので残しておく。

今時のソシャゲはオートやスキップのシステムがついていることのほうが多い。そんな中、完全に手動でしか遊べない仕様となっているものもあり、私が細々と続けているアリス・ギア・アイギスもそうだ。
アリスギアのジャンルは公式には武装カスタマイズアクションと紹介されているが、ようは3Dアクションシューティングだ。軍人民族が好む技術ゲームの側面があるため、その楽しさを減らすオートのシステムがないのも自然に思える。しかしアリスギアを技術ゲームとして楽しませたいのならば、むしろオートやスキップはあったほうがいいと私は考える。

アリスギアはソシャゲだ。オートはないが、定期的にキャラはガチャで追加され、育成要素があり、デイリーミッションがある。スタミナはなく、エンドコンテンツにあたるのはキャラの強化素材が手に入る無限に周回可能なクエストと、定期的に更新される高難易度クエストの二つだ。
私は技術コストを大きな負担に感じているが、別に鍛錬が絶対的に嫌いというわけではない。なので求められるコストが負担を感じないレベル内に収まっているうちであれば軍人民族の視点で技術向上も楽しむことができる。アリスギアであれば高難易度クエストはプレイしていて刺激的だし、クリアすれば達成感も大きい。しかし逆に無限周回できるクエストや毎日初回クリアのみ報酬のあるデイリークエストのプレイはまったくと言っていいほど楽しめていない。むしろ苦痛すら感じている。

似たようなデイリークエストがあるソシャゲの中でアリスギアだけ苦痛と感じる理由は、やはりオート機能がないからだ。アリスギアのデイリークエストは高難易度クエストに挑戦し始めるころのプレイヤーにとっては画面を見ずとも攻撃を連打しているだけでクリアできてしまう。そこに技術や意思決定が存在しないという意味ではオートと変わらないのに、オートと違い余計なタップ操作を要求される。それを私は馬鹿馬鹿しいと感じてしまうのだ。

オートやスキップを求めるゲーマーは楽をしたいわけではない。むしろ逆で、技術や意思決定を必要とせず、誰がやっても結果は変わらない実質的に時間というコストのみを要求される要素をくだらないと感じている。
とはいえそういった要素を逆に楽しいと感じる層もいる。スパ帝の分類だとロボット民族がそうだろう。しかしロボット民族は軍人民族とは相性が悪い。それぞれの勝利の価値観がロボット民族は我慢したことへの報酬なのに対し、軍人民族は頑張って成長したことへの報酬だからだ。

アリスギアは現状オートがないことでロボット民族が楽しむ要素を残し、軍人、研究、意思決定民族に負担を強いている状態といえる。
しかし、そもそもアクションシューティングというジャンルでロボット民族を満足させようとすることが間違いなのではないかと思う。コツコツと時間を消費した分だけ結果が保証されている世界観を望むロボット民族にはアリスギアではなく素直にRPGなどを楽しんでもらうべき――という考えが頭を過るが、それは結局のところ軍人民族が格ゲーの世界には鍛錬を嫌う研究民族など来るべきではないと言っているのと同じだ。

どうやらゲーマーとはなんとも自分勝手な生き物らしい。

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