(観賞後推奨)被災経験ない人間がすずめの戸締まりを語るよ

※内容について決定的なネタバレは避けておりますが、多分に感想と浅めの考察とかを含むのでご注意下さい。


こんなに快い涙は、生まれて初めてかもしれない。

新海誠監督最新作『すずめの戸締まり』は、私の知る短い予告ではほとんど内容に触れる情報がなかった。
ただ圧倒的な映像美が開示されていた。

で、私はそのやり方、最高だと思う。日本の作品って素敵なものは多いはずなのに、紹介の仕方どうなの?なんか安っぽくない?って思うことが多い気がする。

とにかくそんな予告からはい最高。これは観るしかねぇ。と一目惚れだった。

これまで"ちゃんと"観たのは『君の名は。』だけだが、急に思ったより本格的な災害を扱ったという衝撃とともに重厚な展開と感じたが、「最終的なまとまりは美しいけど全体像よくわかんない」というのが正直な印象だった。キャラクターには愛着湧いたけど。
偉そうに語ってしまったが、つまり私は新海誠作品に対して「ごく浅瀬」にしかいない。

それが…今回の作品は完全に「沼」だと感じた。

ようやく作品そのものを語るが、「ひと言で語れてしまうようでいて多面的な作品」だと思った。
で、その「ひと言」のひとつが、「ロードムービー」であるというのも意外というか。とりあえず単純に視覚的な美を浴びたかった私は「今回の聖地はどこかな〜♪」と事前に調べたところ、「九州の田舎町…」とあったので(そこしか見てなかった)、そこから動かないと思っていた。

だからこそ、終盤での「言い切り」は衝撃的だったが、前回はたぶん「架空の災害」だからこそ「それを想像するしかない」ところがあって、しかし今回は「命」というか、"Life"に肉迫した話に仕上がっていると思う。

「聖地」への扱い

『君の名は。』での「聖地」は岐阜県飛騨地方だったが、そういう要素は一種のワクワク感を生んでいると思う。そして、最初に語った通り、今回も恐ろしいまでの映像美があった。
ただ、その「美」の部分だけを描いているわけではないところに誠実さを感じた。否定的な意味ではなく、新海監督の語った考えそのものを借りるなら、やはり「場所が生きている」と感じさせられた。

ミミズ

普通に生物としてのミミズのイメージは…私にとっては苦手なものの一つではあるが、同時に「命を還元し、土を育てる」役目を持つものとして偉大なものとも考えている。
作品の中ではそういう大きな力の持ち主として、畏敬の念を持って扱われていると感じた。ある意味では、元に戻す、変えるというのがソレの役目なんだろうと解釈している。
目がない、地中?に棲んでいる=「日不見(ひみず)の神」として扱われているらしい。日の当たらない場所にあって、その営みを守っているんだと思う。

ダイジンさぁ…

白い猫「ダイジン」に対して、正直理解が追いついてないまま語ってしまう。
とても小さな体に対して異様に大きな目を持つが、平均的なビジュアルの猫の描写って多分なかったよね?有名になった=あの世界でも珍しい造形だったのだろうか。
ネットでの感想漁ってるうちに気付いたけれど、すずめとの関係的にも、意外と普通の猫の造形だったら飲み込みにくかったかもしれない。
「最初のあれ」はちょっと怖かったしチートを感じたが、他はただ事実を伝える役目だったのだろうか。
人間どうしでもそうだけど、言葉を話せる=意思疎通ができるわけではないのが切ないね。

芹澤とかいう…

キャラクターはやっぱりどれも最高。簡単に言ってしまえばみんないい人である。しかも血が通っている。
人間関係について不必要にトゲトゲさせちゃうと疲れたと思う。

で、後半にいきなり登場した「芹澤」もまた、私にとって本来なら得意ではない系統のチャラい人物だが、彼のキャラクターの斬新さは「人を見捨てられないお人好し系でありつつ苦労せず、押しつけがましくなく、さりげなく人を救える」そんな、本人ですら気づいてなさそうな天才性?だと思う。労力は使ったのだろうが、それに対する苛立ちを見せることはなく…。
人を救う役割にある草太を、一般人としてはすずめだけが知ったのに対し、そういう「俗っぽい救い」の役割にある芹澤を、たまきは珍しく気付いたのかもしれない。
芹澤、感謝されるの苦手とかだったら可愛い。

災害ではなく「被災体験」への扱い

タイトルにもある通り、私は殆ど一切と言っていいほど被災経験がない。
勿論それはありがたいことであり、言い訳だ。
…本当の事を言えば、学校で大音量アラートが鳴る→その後の地震(震度5だったと思う)体験には心当たりがあったし、少しは不安を感じた事を思い出しはした。地震そのものというか…必要とはいえアラート音でっかいよね。
豪雨なんかの時も、やば…とか思いながら現実逃避を兼ねてラジオの情報を頼りに眠れていたし…あ、書いてるうちに一応思い出してきた、大阪北部地震のときは割とちゃんとびびった。
そして、新海監督の娘さんが生まれたのが、東日本大震災の前年であり、偶々私も阪神・淡路大震災に対して「そういうポジション」にある。そういう話やモニュメントに触れる機会はそれなりに多いまま、正直どう消化したらいいのかわからないまま、毎年のように各メディアはその悲劇性を伝えては「忘れてはいけない」と繰り返す。表現者は「早く元気になってね。きっと何とかなるよ」と伝える。
それもきっと必要なことなのだろう。でも、「忘れてはいけない」と繰り返される文言の「肝心の中身」はまだ伴ってんの?という疑問があったのも本音である。
どこかで、「被災経験がある=不幸な人生」と無意識下で思い込んでしまっている。
ダイレクトに体験した立場なら、「忘れてはいけない」に対して私なら正直疲れていたと思うし、実際の私のようなポジションからすれば思い出すにも至らないのだ。
事実上、ぶっちゃけ他人事としてしまっている「そういうポジションの人」にも、確かに伝わる内容だった。
悲しみ悼むこと「だけ」に重きを置くのではなく…。

明けない夜はない。だけど…

これは、無理矢理「結論」を出しているような作品だとは思わない。
その上で示されている結論の一つは、すごく簡単に言ってしまえば「明けない夜はない」だと思う。
それは事実なのだろう。事実なんだけど、「その個人にとって死ぬまで日の目を見ない人生」くらい、いくらでもあるとも思っている。そして、つらい状況にある渦中では、なかなか受け入れられる考え方でもないと思う。
つまり、「そんな悪くない事実を受け入れるには長い年月が必要」ということも、同時に語っている。
新海監督は「あの日について語るのは、これ以上遅くなってはならないと思った」という旨語っているが、逆にこれより早かったとしても、「簡単に言わないで‼︎」の声はもっと大きかったのかもしれないと思う。

まとめ(られてない)

多分まだまだ語りたいことは尽きていないが、人生で初めてちゃんと泣けた映画だった気がする。そもそも映画自体をあまり観る層ではなかったが、泣くようなシーンとして作られたわけではないであろう「最初のあれ」で私は既にもー駄目…ってなった。まずは恐らく過去最高の透明感のある映像美と、生き生きとしたアクションと、他スクリーンでやってた時にも外まで聴こえるぐらいの凄まじい劇伴で、もー駄目だった。今回の劇伴で初めて知った陣内さん最高だし、野田くん担当の部分は野田節全開だったし。(多分それで合ってるはず…)
今回まず、被災経験がほんとに無く向き合う機会もなかった私がこの作品をすごく愛していいのだろうか?という薄い葛藤が拭えなかったので初めて3000文字以上の記事を殴り書いてしまったのだが、自分の愛を思ったより言葉にできてよかったと思う。
作品の結論というより考え方の一つは、災害に命を脅かされた記憶がない人も含め、人間は「生かされている」というものだと感じた。

こんなに快い涙は、生まれて初めてだ。

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