自分のための決断

今回は珍しく芸能ニュース絡みの話。
ぺこ&りゅうちぇるの例の件についてである。

私は生身の芸能人を見た事すら殆どなく、プライベートは想像すらつかないので、深く言及するなんておこがましいかなということで炎上とかあってもまず積極的に「参加」したいとも思わないけれど。

燃やす人なりの気持ちがあったとしても、そのいくつかのコメントに対してはちょっと、個人的に黙ってられんと思った次第である。

例の件について初めて聞いた時は正直、驚きはしたが同時に必ずしも悪いニュースだと私は感じなかった。
そもそも「離婚そのもの」は常に悪い事なのだろうか。

断っておくが、これはりゅうちぇる君を「全肯定」する内容ではない。彼らの話というより、私のモヤモヤを消化したかっただけである。

確かに私は「家族を守る重み」を知らない。飽くまで自分のためだけに生きたいし、自己犠牲的なまでに家族のためには生きられないだろう。だから家庭持ちたい願望自体ピンと来ない。

なので無責任だと非難する人達が実際「家庭を持っている」なら私からは偉そうな事は言えないが、他の否定的な意見に対してはどうにも違和感が拭えず…

というのも、私自身が曖昧なアイデンティティの持ち主で、そんな自分に「はっきりしろよ」と苛立ち葛藤しつつも、曖昧なところに「あなたは〇〇だから〇〇すべき」と押し付けられるのを嫌っているから。そういう親切ほんといらない。

その上で…「全部綺麗事で嘘だったんだ」「愛されなくて可哀想」「乗り換える気でしょ」「こんな事は二度と許してはいけない」と断定的で、洗脳めいているとさえ思える言葉に、私は青褪めてしまった。

少なくとも、100%そういう心理だったと私は思えなかった…し、今回の件で何らかのトラウマを想起させられた人もいるのかもしれないが、しかしそれを言って一体誰が救われるのか。

りゅうちぇる君はある意味、色んな層から嫉妬されている気がする。だから非難されても仕方ない…訳ではないのだが。

キラキラ朗らかに人生の「色んな役割」に就いてきた=ワンルートではない色んな人生を経験できたという事になるけれど、役割とは飽くまで他人から見たその人の属性だ。

だからこのように、自分であるため「自分のための決断」をして本当に納得のいく自分に成ろうとするほどに、他人からは勝手に「偽物」「嘘つき」判定を下されるという流れについて、私は「可哀想だな」を通り越して心底恐怖してしまう。
一言で言うと「"グロ"過ぎん?」と。

またさらに、ぺこさんを庇った気になっている人達が恐ろしかったのだ。この場合、「愛されなくて可哀想」こそが侮辱ではないかと思えた。庇ったつもりで、最も残酷な侮辱をしている。

だって、結果的に「許してあげた」こと自体がかっこいいじゃない。愛ゆえに。

りゅうちぇる君からも愛がなければ葛藤もせず、そもそも何も打ち明けずにいきなり捨てるような真似だって、できたかもしれないのだ。

その結果は…確かに、りゅうちぇる君の「自分ファーストな選択」なのかもしれない。本当に一番愛しているのは自分自身で、周囲が振り回された側面もあるかもしれない。
けれどこの場合、「煮え切らずズルズルする」よりかはよっぽど綺麗だと思える。…多分ズルズル状態が何かの形で少しでも洩れ出てたら、それはそれでなんか勝手にキレてたと思う、文句言うこと自体が目的の人達は。

まぁつまり、「自分でありたいなら社会の一員になる資格なんてない」「少数派の名を騙り甘える偽物はみんな潰せ」みたいな世論て思った以上に強くて、全くの間違いではないにしても、人殺せるレベルに強くあって欲しくはないかなぁ…というお話でした。

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