私が私に「あれ?」ってなることの話。

私の個人的な心の中の話。


『学校』に通っていたとき、あなたは何を考えていたのだろう。
私は、現実的な社会生活を送ることは流れるように過ぎてしまっていて、頭の中が忙しく回っていただけのように思う。


そもそも、どうして学校に行くのか私にはわかっていなかった。何となく行っていたのだ。
とりあえず、就学前にランドセルを背負って見せたら婆ちゃんが喜んでくれていたのを覚えている。黄色い帽子は幼稚園のときと同じ。
小学校の6年間の間に酷いことも良いこともあった。

それが、中学も同じで、何となく行っていたのだ。ただ初っ端から暗黒モードで、3年間通ったのはただの意地だが、私はとにかく目の前の日々をこなすので精一杯で『将来』というものが全く視野に入っていなかった。


これが、まったく困ったことに現在もそうなのである。
頭ではわかっているのだが、『人生プラン』なるものを私は組み立てられないでいる。
「なぜ?怠けているからでしょう。真面目に考えてみたら?困るのは自分だよ」と言われるかもしれないが、考えようとすると『嫌だ』という強い拒絶感が生まれるだけである。


頑張ったことも何度かあった。
しかし、途中で何かに気がついてしまう。
気づいてしまうと『無理だ』となる。

それは、コツコツ積み上げたりできる人や、現実世界を必死に生き抜く人からしたら、ただの怠慢というもの以外の何モノでもない気がするが、私からするととても厄介で、でもどうしたらいいか解らないものだ。


理屈や構造は理解できる。
私は大元のモノは持っている。人より少なそうだけれど。大元というのは木だとか水だとか、例えるならそういうものだ。
けれど、それを使いこなすには、それについて知らなくてはならない。そして、それだけでは駄目で、それに紐付くものも習得しなくては、最大限の力は発揮されない。
むしろ、誤った使い方は自分も相手も世界も傷つく。
だから勉強というものが必要だ。
しっかりした建築が必要だ。
人間の社会はそういうものだ。


けれど、出来なかった。
いや、やらないのかもしれない。

外から見たらやっていないなが事実だから、どっちでも同じ扱いだ。
世間というのは真実をじっくり見つめている暇のない忙しい世界なのであった。
事実だけで物事を押し進めるから、心が疲弊している人がいっぱいなのではなんて、私は思うが、事実重視の世界ではそんなことも戯言かもしれない。

けれど私の中では出来ないのである。何故なのか私と対話を試みて混乱するのは毎度の事で、頭の中でぐるぐるとめぐり、動けなくなる。

ならばと、行動を先にすると、大抵のことは結果にならない。行動を先にすることはHSP傾向の私にとってハイリスクである。
しかし、HSPなんていう言葉は私が最も悩んでいた時にはそうそうお目に書かれる言葉でもなかったので、私はハイリスクを踏みまくった。

病名もつかない。
人並みに生活できている。
仕事があり、真面目にこなせる。
恋人もしくは配偶者がいる。
友達もいる。

しかし
蓋を開けると本人だけが人との違いの違和感に悩み、そんなものはなんとでも出来るという一部の成功者の話に首を傾げ、だからといってグレるとかそういうのもちょっと違うしというグレーゾーン。


私の場合、大人として縁をつなげるのが下手なのもある。

子供の頃は誰とでもおともだちになれるタイプだった。知らない子達と公園で遊ぶ。 
子供というのは不思議な生き物で、曖昧なのだ。
大人よりずっと世界は広い。現実世界じゃなくて。

私の心は子供のままなのかといえば、そんな純粋には出来ていないのだか、どうも周りの大人と呼ばれる年齢の人達と接すると、何か違うようだと思えてきた。

私は楽しいことや好きなことを調べて、ワイワイしたいのだ。
一人きりでも楽しい。でも、楽しいことはたくさんお喋りしたいし、嬉しいこともたくさんお喋りしたい。
そうして、他の人達も、自分の嬉しいことや楽しいことが沢山話して、それでわいわいしたい。


でも、そこに見え隠れするものを私は人より早く見つける。


それは区別なのかもしれない。
必要なものを選び取る、当たり前の作業なのかもしれない。
私だってしていると思うけれど、感じ取るときにソレが多い人は苦手だ。

だから肉体の世界は苦手だ。
現実の世界と呼ばれる世界が苦手だ。


他の人もそういうの感じ取るのだとしても
なんか違う。
何が違う?どうして違う?どうしてはどうしても。個人、個人違うから。
なのに、どうして同じことする?どうしてまとまる?でもそれは社会性の生き物だから。

この手の私の違和感の

なぜ?

 
に答えをもらえたと思ったことはあまりない。

最近だと数秘33の説明が私のなぜに答えをくれて、少し安心した。

次はでは、どうしたら。

なのだけれど、これを考えると『とっても時間が足りないことを自覚してしまう33』的には動けなくなるので、やはり、何かしら動いて、それを楽しいと認識することからなのかもしれない。

言葉にするとちょっとズレる。
ちょっとズレるので『そんなのみんなあるよ』とか『怠けてるだけ』とか『考えすぎ』とかそういう言葉を生ませてるんだなとは思うんだけど、
こう、スコーンっ!てしたいなってたまに思うのね。

だから書いてみてるの。
もしかしたら、スコーンっ!持ってる人もいるかもだし、同じようにんむむむ違和感な人もいると思うし、


私は電波塔だから。


そして電子くらげだから。



今日何もしてない。
ねむかったので。
あと医療系の漫画読むと私は考えがぐるぐるするね。

『え、それって大切なことだし、普段からそんなふうに考えていたよ。』
というのが、いっぱいで、でも、なんか、感動したり、心動かされたり、そういうののが大きな声だしとか、とりあえず自分のことも一度疑うの癖なので、疲れたり…


まとまらなくなってきた。いつもか。暑い。

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。