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『知らない』ということ

「オルゴールみたいな色だね」

私はそのような事を日々、書いたり言ったりする傾向がある。

さて、オルゴールの色と言われてあなたは何色を想像しただろう。
だいたい、オルゴールというのは金や銀、鈍色なんかじゃなかろうか。作られたものによるが、弾かれる鍵盤は銀というかなんというか…そういう色だろう。

しかし、私がいう「オルゴールの色」というのはオルゴールそのものを指さない。
オルゴールが発した音の記憶の色だ。

では私のいう「オルゴールの色」というのは『音色』なのかというと、少し違う気もする。

音色 〘名〙 楽器、人の声など発音体に特有な音の感じ、色あい。音の強さや高さが同じでも、発音体によって含まれている上音の種類や割合、また鳴りはじめてから消えるまでの振動状能の変化が異なることなどによって、発音体特有の音の感じが生ずる。

コトバンクより引用

音色は、そのものごとに違う。
オルゴールが何を奏でるかで、音色はかわる。

しかし、私の中のオルゴールの色は何時も「コレ」というものが存在している。
オルゴールの『イメージ』を色や音、質感、様々なものに保存しているのだろう。
それを私はそのまま発信している。

その色を説明する言葉を私は持たない。

私の中の「オルゴールの色」を私は分解していない。

『知らない』ということである。


ある時、友人に「きっと、貴女の見るものを語源化する術はあると思う」と言われた。
私の心は酷くそれを拒絶した感じがした。

勿論、友人の意見はもっともだったし、それも一つの手なので、それとなく返しておいたが、私の心の奥の「分解したくない」は強かった。


「知るという事は、知らなかった時には戻れないという事」

というのが私の中にある。
知るという事は、キャンバスに色を付けるのに似ている。
物によっては、塗った色を隠す事も、薄くすることも出来るだろう。
しかし、真っさらというのは一度きりだ。
筆を置いた場所は、二度と真っさらにはならない。なれない。戻れない。

私にとって『知る』とはそういうものだ。

「言葉にできない。伝えられない。」

まだ、真っさらなままにしておきたい事が私の中にはあるという事だ。伝わらないというのが『正解』というものが私の中があるという事だ。

他人のキャンバスで違う色をつけられたとしても構わないから、私はそれについてキャンバスに落とす気はないということだ。


でも、私が持つもので伝えるなら………
オルゴールはマーブルで淡いピンクや薄い紫の透けるような薄い布の音がする。

……まぁ、とにかく。
私にはオルゴールの色が存在している。

そして「知らないことを知らないまま」にしておきたい時もあるし「知らないことがあることを知っている」のである。

なんかまとまらなかったけれど、私の思考の中にはそういうのがあるので「コイツよくわからんこと記事やコメントで言うなー」って思った人よ……すまないが「それがkoedananafusiなんだな」と納得しておくれ。


あ、フォローしている皆にも色や音がついていますよ。
記事もそんな色や音付きで楽しんでいたりします。

そして、これ等を相互理解はどんなに頑張って語源化できても、きっと無理。笑
なんて思う。

でも…もし出来たら…

いや、これこそ私が本能に近いとのろで「拒絶」していることなのかも。

ここまで読んでくれて有難う御座いました!!
思ったことを思ったように書いています。

たまに「何だコイツ?」みたいな事を書きますが、それも私。どれも私。

どうか、気長にゆるゆるとお付き合いください。

あなたの書く記事、スキやコメントは私のワクワクの源です。画面の前のあなたに有難う。


『まぁ、たとえキャンバスに筆をおろさなくても、結局勝手に花開いて、答えが見つかる時もある。』

おやすみなさい( ˘( ˘ω( ˘ω˘ )ω˘ )˘ )ウルトラスヤァ


サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。