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洗濯機が「終わりましたよー!」って言う前に

ジャバジャバと洗濯物を洗ってくれている洗濯機。何時も有難う。

その間に私は、noteをフラフラして見たり、他媒体をフラフラしてみたり。

そして、やたら難しい事を書いていたり、言い切る書き方だったりする文章を読んで『ほんとうに、そうなの?』と考え込む。
その文章の主は他にも色々な面があるんだろうとか、でもこれをこう書くには何か理由があるはずとか、これに共感した人は何処に共感したのだろうとか、私はこの気持ち外から理解しても中では溶けたくないなぁとか………………………永遠のような思考の波がおきる。

そして、最初はその波を乗り越えたりなんだり、楽しんでいる私だが途中で急に『あ、もういいや〜』となる。飽きるというか、心に急ブレーキがかかる。波が重くなってきたと思うと私は思考を手放して波に漂う。

私は私が持てるだけしか持たない。
そして、元々あまり持てない。
持つ気がないんだろう。
持つ力をつけようとか、道具を使って沢山持とうとかいう人は素直に凄いと思っている。
だって、私はそれをする気にならないんだもの。
私に無いものは、どんな些細なものでも。
例え、持ってる人からすれば当たり前でも、持っていない私からしたら『凄いなぁ』となる。

『凄いなぁ』の先が私の中にあまりない。
凄いなぁ!あぁなりたい!って思えたら、きっとその為の努力をしていけるんだろう。
凄いなぁ!でもっ自分だって!って思えたら、きっとそれが向上心で登っていけるんだろう。

それともあのワクワクした気持ちが『ソレ』であって、私の認識と感覚とズレてる?まぁ、いいや。なんにしても、頑張るのは苦手だ。嫌な事から逃げてる?うん。それでいいよ。外の人がそう思うなら、外の人の中の私はそうなんだろう。

波間を漂う私は、フワフワと触手を伸ばす。そして、勝手に引っかかる獲物が暴れるのも『勝手に引っかかったのに…面倒だなぁ…』なんて思ったりする。
流されているだけだというけれど、別に私は私だから場所がどうとか、波がどうとか、どうでもいいじゃん?
それとも、そんなこと言う人は、場所が変わったら鳥から象になるの?なんて、とんでもなく的外れな事を考える。
あれか、捕食者が変わるから、対処するのが面倒なのか。それに、獲物が変わると困るのか。で、リスクを回避する為に、場所にこだわってるんだ?

(ここまで書いてますが、洗濯機終わるまでの駄文です。暇つぶしにはいいと思うけれど、中身はない)

人間って面倒くさい。
でも面白い。
貴女も人間じゃんとか言われる。
確かに。

あーただフワフワとユラユラと漂っていたい。
そのうち亀かなんかに食われるとして
だからなんだというのだろう。

  
お、洗濯機が脱水に入った。
しかし、君はよく働くね。
つくってくれた人はどんな人なんだろう。
クタクタに疲れながら工場で仕事してるんだろうか。
君は自分が洗濯機として生まれた事をどう思っているんだろう。
物に心があるか、ないかなんてことは私には解らない。解らないから、自分勝手に君の事を考えるよ。

君が君で在る事を嬉しく思うよ。
だって君が洗濯機の殻を破ろうとすると
私は困るんだもの。
物が物で在ってくれるから、私はそれを使うことができるよ。
だから大切に使うよ。その物にとって最善の使い方をしたいよ。


さぁ、洗濯物を干そう!
良い天気だ!

何時か本当に海月になれたらいいのに。

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。