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「科学に関する重要事項を審議し、その実現を図る」ための日本学術会議が、何で性的マイノリティの権利保障に関しての法整備の提言するのか?「性的マイノリティの権利保障をすると、なぜ日本社会で科学的進歩が実現するのか?」私にはさっぱり解りません。 ●政府が学者提言機関に異例の介入 学術会議の新会員候補、6人の任命を拒否


学者の立場から政策提言する国の特別機関「日本学術会議」が推薦した新会員候補6人の任命を、菅義偉首相が拒否したことが分かった。推薦候補の任命拒否は、現制度になった2004年度以降で初めて。
6人には、安全保障関連法や特定秘密保護法など政府方針に批判的だった。加藤勝信官房長官は1日の記者会見で「首相の下の行政機関である学術会議において、政府側が責任を持って(人事を)行うのは当然」と述べたが、理由は説明しなかった。(望月衣塑子、梅野光春)
◎退任の会長「学問の自由への介入」 官房長官は否定
 9月30日に学術会議会長を退任した山極 寿一氏は取材に「退任直前に知らせを受け、理由も言われていない。(政府の行為は)学問の自由への介入だと言われても仕方がない」と批判した。
 一方、加藤官房長官は「推薦された人を義務的に任命しなければならないというわけではない」とし、学問の自由の侵害には当たらないとの認識を示した。
◎事務局「選考過程は答えられない」
 学術会議事務局によると、新会員候補は学術論文やこれまでの業績を踏まえ、8月末に内閣府人事課に105人の推薦書を提出。同課からは9月28日、99人の発令案を事務局が受け取った。
 事務局は翌29日、6人が任命されなかった理由を問い合わせたが、同課は「選考過程については答えられない」と明かさなかった。学術会議側は30日、任命しない理由の説明を求める菅首相宛ての文書を、内閣府に提出した。
◎首相に選任する権利はなし
 日本学術会議法では「会員は同会議の推薦に基づき、総理大臣が任命する」(7条2項)とあり、首相に任命権はあるが、選任できる権利はない。
政府側は1983年11月24日の参議院文教委員会で「学会から推薦したものは拒否しない、形だけの任命をしていく、政府が干渉したり中傷したり、そういうものではない」と答弁している。
 日本学術会議は定員210人。任期は6年で3年ごとに半数が交代する。学術会議は1日、新会員99人を発表し、定員より6人減となった。
●菅首相が学術会議の任命を拒否した6人はこんな人 安保法制、特定秘密保護法、辺野古などで政府に異論

【東京新聞 抜粋】

◎東京大社会科学研究所教授の宇野教授(政治思想史)
 2013年12月に成立した特定秘密保護法に対し、「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判。「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼び掛け人にも名を連ねていた。07年に「トクヴィル 平等と不平等の理論家」でサントリー学芸賞受賞。
◎早稲田大大学院法務研究科の岡田正則教授(行政法)
 「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼び掛け人の1人。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設問題を巡っては18年、他の学者らとともに政府の対応に抗議する声明を発表。
◎東京慈恵会医科大の小沢隆一教授(憲法学)
 15年7月、衆院特別委員会の中央公聴会で、野党推薦の公述人として出席。安保関連法案について「歯止めのない集団的自衛権の行使につながりかねない」と違憲性を指摘し、廃案を求めた。
◎東京大大学院人文社会系研究科の加藤陽子教授(日本近現代史)
 憲法学者らでつくる「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人の1人。改憲や特定秘密保護法などに反対してきた。10年に「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」で小林秀雄賞を受賞。政府の公文書管理委員会の委員も務めた。
◎立命館大大学院法務研究科の松宮孝明教授(刑事法)
 17年6月、「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法案について、参院法務委員会の参考人質疑で、「戦後最悪の治安立法となる」と批判。
◎京都大の芦名定道教授(キリスト教学)
 「安全保障関連法に反対する学者の会」や、安保法制に反対する「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。
●菅総理による日本学術会議の委員の任命拒絶は違法の可能性
渡辺輝人 | 弁護士(京都弁護士会所属)【抜粋】
◎日本学術会議の目的
 同会議のホームページによると、目的は以下のようにされています。
日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24年(1949年)1月、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立されました。職務は、以下の2つです。
・科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
・科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。
 最近でも、下記のように性的マイノリティの権利保障に関して法整備の提言を出しています。
◎会員選任の仕組み
 政府からの独立性を保つため、日本学術会議の会員の選任については「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。」(日本学術会議法7条2項)とされています。同法17条は「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。」としています。
 このように、同会議の推薦に「基づいて」とされているのに、総理大臣が同会議の推薦を無視して会員の任命を拒絶することができるのか、ということがさしあたって問題になります。

(引用中抜き→中抜きする「今日の政府の見解以下」は末尾に付記します)
(推薦されたら、その通りに任命するという1983年の)政府の見解だと、総理大臣の任命自体が要らないように思われますが、5月12日のこの後の審議で、「選挙を経ないで公務員に就任するから、付随的な行為として形式的な任命を行わざるを得ない」と答えています。これ自体は、公務員の労働問題を行う筆者としても、なるほどな、と思う理由付けです。

◎違法の疑い
 しかし、そうすると、会員の人事(任命)を通じて日本学術会議に監督権を行使することが法律上可能、という加藤官房長官の記者会見の発言は、日本学術会議法7条2項について、総理大臣の任命権は形式的なものに過ぎない、という政府の鉄板の国会答弁(従って公権解釈)と明確に矛盾するのではないか、という疑いが出てきます。
 そもそも、このような選別を行うことが学問の自由を保障する日本国憲法23条に反する、という重大な指摘もされています。憲法違反や、法律違反をしていないか、十分なチェックが必要でしょう。

【引用終わり】

 なんというか。「世の中には、色々な人がいる」と改めて実感します。

そもそも日本学術会議とは「科学に関する重要事項を審議しその実現を図る為に、科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させる」ための機関のようです。
科学的研究が実現されるためには、いつでも問題は山積みです。だから科学的研究を実現させて国民生活を向上させる為に、政府が日本中から学者さんを集めて議論してもらって、政府ができる事を提案してもらう機関らしいです。
日本学術会議の効用は、以下の2点だと思います。
まず第一に、会議と言う場所がある事によって、学者さん同士の横のつながりが構築できます。→科学研究の能率を向上させる
例えばある学者さんが「今自分は、こんな研究をしています。この研究が実験すれば、世の中とてもよくなります。でも○○という問題があります」と披露します。すると三人寄れば文殊の知恵というように、他の学者さんが解決策を提示してくれることも有ります。一緒にやろうという人も出てくるかもしれないのです。
第二に、科学的に進歩することを実現させるために、政府に協力を要請できる→科学的研究の実現可能性を上げる。

つまり日本学術会議は、日本の社会へ「学問の世界での科学の進歩を普及促進させる」ための機関です。

とすると、なぜ日本学術会議が、何で性的マイノリティの権利保障に関しての法整備の提言するのか?これは不思議な事です。「性的マイノリティの権利保障をすると、なぜ日本社会が科学的進歩を実現できるのか?」私にはさっぱり解りません。

私は「日本学術会議って、役割を果たしていない」ような気がします。日本学術会議は「別の事を、提言するべき」ではなかったでしょうか?
日本学術会議のメンバーの学者さんが個人的に「性的マイノリティの権利の拡大」を望むのは自由でありますが、日本学術会議で求められているのは「本業の学者としての研究を日本社会に役立てる」事であります。だから「性的マイノリティの権利の拡大」は、別の団体で主張するべきであります。
例えば、コロナの専門家会議では「8割の接触制限」とか「三密を避ける」とかが提言されています。これはコロナの専門家会議だからです。
私は、日本学術会議が「性的マイノリティの権利の拡大」を提言するという事は、このコロナの専門家会議の学者さんが「コロナの感染を抑止する方法ではなくて、性的マイノリティの権利の拡大を提言する」ことと同じだと思います。
日本学術会議は、日本の社会へ「学問の世界での科学の進歩を普及促進させる」ための機関です。

ですから、例えばAIを研究している学者さんが、「会議の中で日本社会では外国に比べてデジタル化が遅れている、だからこうすればデジタル化を進められるので、政府に提言するべきだ」と提案して、他の分野の学者さんも賛成して10年前に政府に提言されて政府がその提言を採用していれば、日本のデジタル化はかなり進んでいただろうと思います。
また、はしかの予防接種について正しい知識を政府に届けると同時に、マスコミに対しても広報してくれて、麻疹の予防接種が再開されていたら、日本は今はしか流行国ではなかったかもしれません。
それなのに現在の日本学術会議は、やるべきことはやらずに、自分達の政治信条を発信する手段として日本学術会議を利用しているようです。

即ち、役割を果たさず圧力団体と化している。しかも自分達で自分のしている事も解っていない。

なぜこのように判断するかと言えば、前学術会議会長を山極 寿一氏は取材に「(政府の行為は)学問の自由への介入だと言われても仕方がない」と批判した。からです。

山極 寿一氏は権威ある高名な学者さんなのでありましょう。ただそれにしては、変な事をおっしゃります。

学問の自由とは、何を学ぼうと自由であるという事です。ですから学問の自由への介入とは、「これを学んではいけない。研究してはいけない」と止められる事です。ですから、自分達が推薦した人物が任命されない事に対する不満の表明に「学問の自由への介入」という言葉を用いるのは、言語の意味からすると適切ではありません。「遺憾の意を表明する」のが、正しい日本語の使い方であると、私は考えます。

「自分達の意向が通らない事=学問の自由への介入=悪い事」という思考は、ちょっと怖い思考方法だと思います。「人の意見に耳を貸す気はありません」という表明であるからです。

ただ、学問の世界では、人の意見に耳を貸さなくても問題ではありません。自説を主張するのが、学者さんの仕事だからです。(それについて、どう評価するかは他人の自由ですが…)この為に日本学術会議のメンバーの中には「自分の(正しい)政治的意見を政府に提言することが、自分達の任務である」と勘違いをしてしまっている人がいるのかもしれません。

しかし政治の世界は学問の世界とは違います。政治の世界では「人の意見に耳を貸さずに、自分の意見が正しいのだから、他人は自分の意見に従うべきだ」と言う思考方法は独裁者の思考方法として、民主主義国では忌み嫌われます。

ですから日本学術会議が「学者である自分達の(正しい政治的)意見に政府が従うべきだ」と考えたとしたら、それはもはや社会にとっての害悪でしかありません。

日本学術会議に求められているのは、学問的意見であり、政治的意見ではありません。そして、学問では正しい意見・答えがありますが、政治には正しい意見も答えもありません。

なぜなら、政治とは、現実社会の中で、より良い方法を探して実験的に実行し続けることであります。だから、良かれと思って何をしても、全員が満足する答えを見いだせる事は絶対にありません。

ですから私は、日本学術会議が話題になった機会を活用して、昭和24年(1949年)の設立の原点に戻って、その2つの職務「1科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。2科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること」に鑑みて、日本学術会議の構成員を経済と理系科学分野に絞る改革をすべきであると考えます。

なぜならば、政府は現実に行政を実行している機関です。つまり、政治と行政の現場の専門家ですので、いまさら政治や行政について学者に教えてもらわなくても良いからです。

また行政の行くべき道に関して、政府が耳を貸すべきなのは国民の声で有って学者の声ではありませんので、政治学・行政学・法学・哲学の分野の学者さん達の意見を、税金を使って日本学術会議で拝聴する必要はないのです。

最後に、人の意見は本当に色々だと思います。

渡辺弁護士さん「昔の政府の法解釈と違うから、菅総理の任命拒否は違法の可能性がある」と問題提起されています。

つまり「法律に何と書いてあるかではなくて、以前の政府見解と違うから、違法の可能性がある」です。だから【憲法違反や、法律違反をしていないか、十分なチェックが必要でしょう】とおっしゃっておられます。

なんというか…。
行政府から「法律に書いてあるから、出来る/出来ない」「昔は法律をこう読んだから、出来る/来ない」と答弁されると、多くの国民は頭に来ます。
少なくても私は「移り変わる現実社会の中で、より多数の国民にとって良い事は何か?その為に行政は何をすれば良いのか?国会はどんな法律をつくれば良いのか?」そう考えて、政治や行政を担当して頂きたいと思います。
法律は、紙に書いた言葉にすぎません。法律を人間が活用するから、法律が活躍できるのです。つまり紙に書かれたタダの言葉が、人間の情でもって運用される時に、法律は、人間社会に役立つものになります。

なぜ法律は人間の情でもって運用されねばならないかといえば、元々は人間の幸福のために造られた法律に縛られて、人間が不便をかこったり、不幸になったりしてはいけないからです。

この意味で今回の菅総理の任命拒否に対して【憲法違反や、法律違反をしていないか、十分なチェックが必要でしょう】と言われても、「ではそのチェックが国民生活にどう役立つのですか?単なる紙の上の話で、時間を無駄にしないで欲しい」と、市井の一市民である私は感じるのであります。

そして日本学術会議に税金を投じるのであれば、国民生活に役立つか否かの視点で、学術会議の価値を測って欲しいと思います。

即ち、「日本社会をデジタル化すべし」と啓蒙できなかった日本学術会議に価値があるのだろうか?

私は大いに疑問に感じます。

この後、渡辺弁護士が「法的に問題がある」と指摘された、理由の部分を付記します。お時間に余裕のある方・興味のある方は最後まで、ご覧ください。

【引用再開】
◎今日の政府の見解
 この点、今日の午前中の加藤官房長官の記者会見で下記のやりとりがなされています。時刻は動画上問答が始まる時刻を示します。法的に重要な部分を太字にします。
9:07 朝日新聞キクチ 重ねてお伺いします。今回任命に至らなかった理由として、今、明確な理由はないように私は受け取りましたけど、首相の政治判断で任命しなかったと理解してもいいんでしょうか。またあの、もしそうであれば、憲法が保障する学問の自由の侵害に当たると思うんですけれども、官房長官のご認識を

9:33 加藤官房長官 まず一つは、個々の候補者の選考過程、理由について、これは人事に関することですから、これはコメントは差し控えるということはこれまでの対応であります。それから、先ほど申し上げたように、日本学術会議の目的等々を踏まえて、当然、任命権者であるですね政府側が責任を持って行っていくってことは、これは当然のことなんではないかという風に思います。で、その上で、学問の自由ということでありますけれども、もともとこの法律上、内閣総理大臣の所轄であり、会員の人事等を通じて一定の監督権を行使するっていうことは法律上可能となっておりますから、まあ、それの範囲の中で行われているということでありますから、まあ、これが直ちに学問の自由の侵害ということにはつながらないという風に考えています。
 もともと、内閣総理大臣には、会員の人事等を通じて一定の監督権を行使することが法律上可能、というのが菅政権の見解のようです。

◎国会答弁との矛盾
 しかし、選挙により日本学術会議の会員を選ぶ制度に代わり、現在の推薦制度が導入された1983(昭和58)年の国会審議では下記の政府答弁がされています。
参議院-文教委員会-8号 昭和58年5月12日
147
○粕谷照美君 ~略~さて、それで推薦制のことは別にしましてその次に移りますが、学術会議の会員について、いままでは総理大臣の任命行為がなかったわけですけれども、今度法律が通るとあるわけですね。政府からの独立性、自主性を担保とするという意味もいままではあったと思いますが、この法律を通すことによってどういう状況の違いが出てくるかということを考えますと、私たちは非常に心配せざるを得ないわけです。
 いままで二回の審議の中でも、たしか高木委員の方から国立大学長の例を挙げまして御心配も含めながら質疑がありましたけれども、絶対にそんな独立性を侵したり推薦をされた方を任命を拒否するなどというようなことはないのですか。

148
○政府委員(手塚康夫君) 前回の高木先生の御質問に対するお答えでも申し上げましたように、私どもは、実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません。確かに誤解を受けるのは、推薦制という言葉とそれから総理大臣の任命という言葉は結びついているものですから、中身をなかなか御理解できない方は、何か多数推薦されたうちから総理大臣がいい人を選ぶのじゃないか、そういう印象を与えているのじゃないかという感じが最近私もしてまいったのですが、仕組みをよく見ていただけばわかりますように、研連から出していただくのはちょうど二百十名ぴったりを出していただくということにしているわけでございます。それでそれを私の方に上げてまいりましたら、それを形式的に任命行為を行う。この点は、従来の場合には選挙によっていたために任命というのが必要がなかったのですが、こういう形の場合には形式的にはやむを得ません。そういうことで任命制を置いておりますが、これが実質的なものだというふうには私ども理解しておりません。
 政府は、総理大臣の任命は形式的なもので、会員の任命を左右するものではない、と明確に答えているのです。さらに、同じ日の審議で以下のようにダメ押しされる形で答弁を繰り返しています。
151
○粕谷照美君 たった一人の国立大学の学長とは違う、セットで二百十人だから、そのうちの一人はいけませんとか、二人はいけませんというようなことはないという説明になるのですか。セットで二百十人全部を任命するということになるのですか。

152
○説明員(高岡完治君) そういうことではございませんで、この条文の読み方といたしまして、推薦に基づいて、ぎりぎりした法解釈論として申し上げれば、その文言を解釈すれば、その中身が二百人であれ、あるいは一人であれ、形式的な任命行為になると、こういうことでございます。

153
○粕谷照美君 法解釈では絶対に大丈夫だと、こう理解してよろしゅうございますね。

154
○説明員(高岡完治君) 繰り返しになりますけれども、法律案審査の段階におきまして、内閣法制局の担当参事官と十分その点は私ども詰めたところでございます。
 なお、この前の5月10日の審議では、官僚だけでなく、国務大臣である丹羽兵助・総理府総務長官も、総理大臣の任命は形式的だということを「守らしていただくことをはっきり申し上げておきたいと思います。」という答弁をしています。
 この政府の見解だと、総理大臣の任命自体が要らないように思われますが、5月12日のこの後の審議で、選挙を経ないで公務員に就任するから、付随的な行為として形式的な任命を行わざるを得ない、と答えています。これ自体は、公務員の労働問題を行う筆者としても、なるほどな、と思う理由付けです。

◎違法の疑い
 しかし、そうすると、会員の人事(任命)を通じて日本学術会議に監督権を行使することが法律上可能、という加藤官房長官の記者会見の発言は、日本学術会議法7条2項について、総理大臣の任命権は形式的なものに過ぎない、という政府の鉄板の国会答弁(従って公権解釈)と明確に矛盾するのではないか、という疑いが出てきます。
 そもそも、このような選別を行うことが学問の自由を保障する日本国憲法23条に反する、という重大な指摘もされています。憲法違反や、法律違反をしていないか、十分なチェックが必要でしょう。

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