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50年前、国連での「アルバニア決議」可決により、中華人民共和国が、当初からの常任理事国・中華民国(台湾)にとって代わった。この時米国は、台湾に国連残留を促したが、蒋介石が怒って国連を脱退した。あれから50年。米国は国連に台湾の椅子を用意しようと再び動き出した。アントニープリンケン米国国務長官(ウィキペギアより)【引用開始】●台湾追放「人民の勝利」 中国、米欧の接近けん制


 中国の習近平国家主席は25日、中国の国連代表権獲得から50年を記念する会議で演説し、台湾を追放し中国の代表権を認めた1971年10月25日の国連の「アルバニア決議」は「中国人民の勝利であり、世界各国人民の勝利だ」と強調。台湾との接近を図る米国や欧州諸国をけん制した。
 台湾を排除して安全保障理事会の常任理事国の地位も得た中国は、国際的地位の向上を図る舞台として国連を利用してきた。
習氏は演説で、中国が「新たな情勢下での多国間主義」の担い手になると訴え、先進国主導の国際秩序の転換に意欲を見せた。
●米国務長官 WHOなど国連機関の活動に台湾参加を 支持呼びかけ (2021 10/27 13:30 NHK 抜粋)
アメリカのブリンケン国務長官は、新型コロナウイルス対策など地球規模の課題に対応していくため、国連の加盟国に対し、国連機関の活動に台湾が参加することを支持するよう呼びかけました。
●中国が非難-米国務長官、台湾の国連参加支援を各国に求める (10/27(水) 14:08配信 ブルームバーグ 抜粋)
中国政府は27日、台湾の国連機関での役割拡大を求める米政府の取り組みを批判し、半世紀前に国連から追放された台湾が国連に加わる「権利はない」と主張した。
国務院台湾事務弁公室の馬暁光報道官は定例記者会見で、国連は「主権国家から成る国際的な政府組織」だと指摘。「台湾は中国の一部だ。中華人民共和国が中国全体を代表する唯一の合法政府であり、台湾には国連に加盟する権利はない」と述べた。…
中国共産党の機関紙、人民日報系の環球時報は27日の論評で、…米国(を)批判した上で、こうした展開を受けても中国は台湾問題について「1インチ」たりとも引かないとし、米国の求めにほとんどの国連加盟国が注意を払うことはないだろうとの見方を示した。
環球時報によれば、ブリンケン長官は声明で、…「台湾が過去50年間のほとんどの期間において一部の国連専門機関にしっかりと参加してきたという事実は、国際社会が台湾の貢献に価値を置いている証左だ」とコメントした。
ブリンケン長官は、台湾の空港を毎年、何千万人という旅行者が利用するにもかかわらず、台湾は国際民間航空機関(ICAO)に加わっていないと説明。
新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)への「台湾のワールドクラスの対応から学ぶべきことが多いものの、台湾は世界保健機関(WHO)の世界保健総会(WHA)にも参加していない」と訴えた。 
【引用終わり】
中華人民共和国と中華民国の国連の常任理事国の椅子の争奪戦は、1971年に中華人民共和国の勝利に終わりました。 
この経緯をウィキペギアの「アルバニア決議」から抜粋で引用します。尚、引用文の下線部は私がいれました。
【アルバニア決議は、1971年10月25日に採択された…「国際連合における中華人民共和国の合法的権利の回復」を指す。…これにより、中華民国(台湾)は国連安保理常任理事国の座を失い、中華人民共和国が国連安保理常任理事国と見なされた。
ただし、国連憲章の記載は未だに、中華民国が国連安保理常任理事国であるため、同じく記載されているソビエト連邦の地位を継承したロシア連邦の例と同様に中華民国がもつ安保理常任理事国の権限を中華人民共和国が継承したと解釈されている。
「蔣介石の代表を国連から追放する」と掲げた本決議に抗議する形で、中華民国は国際連合を脱退した。
中華民国(蔣介石率いる中国国民党)は、第二次世界大戦後に戦勝国として国連安保理常任理事国に選ばれたが、その後毛沢東率いる中国共産党との国共内戦に敗北する形で、台湾に事実上の亡命政権を樹立した。… 
中国大陸(本土)を実効支配する中華人民共和国と、台湾に遷都したものの国連安保理常任理事国である中華民国は、…双方とも自政府が中国唯一の正統政府であるとの立場を崩さなかった。
中華人民共和国が国連に中華民国の追放を最初に提起したのは1949年11月18日で、以後「中国代表権問題」と呼ばれ、長らく提議されては否決され続けてきた。
1964年第18回国連総会、1968年第5回国連緊急特別総会、1970年第25回国連総会においてもアルバニアなどから類似の提案がなされたが、いずれも否決されている。… 
転機となったのは、アメリカ合衆国がベトナム戦争において泥沼化し、北ベトナムとの停戦交渉を進める中で、中華人民共和国の協力が必要となったためである。
アメリカ合衆国は中華人民共和国の協力を得るため、国連安保理常任理事国の継承は合意したが、中華民国の国連追放までは考えていなかった。しかし1970年時点で(台湾不利の)形勢は明白であった。
1971年7月中旬、アルバニアなどの共同提案国23ヵ国が「中華人民共和国政府の代表権回復、中華民国政府追放」を趣旨とするアルバニア決議案を提出した。その後、中華人民共和国側は、「中華民国」の国連追放ではなく、「蔣介石の代表」の国連追放と文面を改め、…9月25日に第26回国連総会に提出した。 
アメリカは、中華民国側に安保理常任理事国のみ辞退し、国連議席を守るいわゆる「二重代表制決議案 」を国連に提出。
総会では、議題採択等をめぐり一般委員会や本会議等で中華民国追放支持派と反対派の間で激しい論議が展開された。
表決に先立ち、中華民国代表は“これ以上総会の審議に参加しない”旨宣言し、総会議場から退場した。… 後に中華民国は、国連(及び加盟する各専門機関)からも脱退を宣言した。…
日本は1964年案・1970年案それぞれに反対票を投じている。1971年8月、佐藤内閣は「中華人民共和国の国連加盟には賛成するが、中華民国の議席追放には反対する」とした基本方針を発表。
当時は東西冷戦下であったものの、東西問わず殆どのヨーロッパ諸国はアルバニア決議に賛成した。
(アルバニア決議可決後)中華人民共和国は「一つの中国」をスローガンとして掲げ、同決議を根拠に諸外国へ中華民国(台湾)との国交断絶を迫った。
経済発展を続ける中華民国との国交継続を願う諸国は多かったが、「中華民国と国交断絶しない場合は、中華人民共和国から国交断絶する」などの外交選択やそれに伴う経済的不利益、さらには国連での拒否権発動をちらつかせるなど有形無形の外交圧力を加えたため、中華民国は国際社会でほぼ孤立することとなった】
この50年前の「アルバニア決議可決」の経緯を振り返りますと、私は3つの点に注目したくなります。
1 「中国代表権問題」は 1949年11月18日~1971年10月25日まで、22年も争われていた。
2 国連憲章の記載は未だに、中華民国が国連安保理常任理事国である。 → おそらく中国がぎりぎりの段階で国連から追放するのを「中華民国」から「蔣介石の代表」に変えたのは、文面の中でも中華民国を追放してしまうと、国連憲章の文面の中にある安保理理事国の地位が宙に浮いてなくなってしまうからだと思います。
3 中華民国代表は「追放」されそうな事に耐えられず、最後はみずから脱退してしまった。 → 中華民国は「国共内戦に敗れて大陸から追い出された」という現実を受け止められずに、「安保理常任理事国の地位を手放して、国連に残留する」という現実的な対応が取れなかった。
そして50年後の2021年10月25日、只今の中国の最高権力者 習近平国家主席は 「アルバニア決議」は「中国人民の勝利であり、世界各国人民の勝利だ」と演説した訳です。
確かに、22年間様々な国に働きかけて、一国一国支持してくれる国を増やしていった努力は見上げたものです。1960年代にアフリカ諸国が次々に独立すると、大躍進政策で中国内に餓死者が出ている状況なのに、なけなしの外貨をアフリカ諸国に差し出して中華人民共和国を支持してくれと運動するなどは、普通の国には出来ません。
しかし、そういう努力が実って1971年、文化大革命下の中華人民共和国は、世界の貧困国だったのに、なぜか常任理事国として国連の議席を獲得したわけです。
一方の蒋介石の中華民国は、自分達が戦争に勝ったわけでは無くても「棚ぼたで常任理事国にして貰った」という自覚が無かったのでしょう。だから、大陸から追い出されても「常任理事国」として威張っていたのでしょう。そして、多くの国の失笑を買い、嫌われていたのではないでしょうか?
もし、蒋介石の中華民国が、多くの国連加盟国と仲よく友好を深めていたら、中華民国を好ましく思う国々は日本と同じように「中華人民共和国の国連加盟には賛成するが、中華民国の議席追放には反対する」という態度を取ったでしょう。
しかし、中華民国を国連から「追放する」というアルバニア決議案が、(西側ヨーロッパ諸国もが賛成に回り)賛成76、反対35、棄権17、欠席3で通過したという事は、蒋介石の中華民国に「国連にいて欲しくない」という気持ちを持つ国が多かったからだ、と私は考えます。
常任理事国仲間であるイギリスやフランスまでが、蒋介石の中華民国を「国連から追い出す」案に賛成したのですから、私は「蒋介石の中華民国は、よほど嫌われていたのだろう」と推測します。(なぜならば、当時裕福な英仏が、貧乏な中国から「何か、利益が得られる」と考えていたはずもありませんし、他に理由が思いつかないからです。)
とすると、50年たって、再び国際世論は逆転を始めているのかもしれません。現在では、威張り腐って攻撃的で、しかも意地悪な中国の戦狼外交に対して、西欧社会は背を向け始めました。
とすると『「中華民国」は国連を追放されていない。追放されたのは「蔣介石の代表」だと思い出し、中華民国の国民党が解党すれば「蔣介石の代表」は消滅する。だから、新たな台湾が国連に加盟する事には、何ら問題が無い』とか言い出す国があっても、不思議はないと思います。
また、何でもモノはいいようですので『台湾が「中華民国」を名乗るのを止めて、国連の安全保障理事国の椅子を請求せずに、台湾名で国連に加盟するのは何ら問題が無い』とも言えます。
さらには『「アルバニア決議」で安全保障理事国の椅子が「中華民国から、中華人民共和国に移った」のだから、「逆の決議」が国連で可決されれば、再び、中華人民共和国から中華民国に移る事もありえる』という理論も成り立ちます。
いずれにしても、アルバニア決議も可決するまで22年かかりました。ですから私は「これから20年、台湾の国連加盟に向けて、日米台で頑張り続けよう」と申し上げたいと思います。このまま、中国が戦狼外交を続けてくれれば、台湾の国連加盟は夢ではないと、私は思います。
それにしても1971年10月に、蒋介石政権が怒りを抑えて国連を脱退しなければ、台湾をめぐる国際環境は現在とは全く違うモノになっていたと思うと、残念です。その昔日本も「国際連盟を脱退する方が、かっこいい」と席を立ったことがありますが、その後は良い事はありませんでした。
やはり、「怒りは敵と思え」「心に望み起これば、困窮したる時を思い起こせ」なのですね…。

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