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●『ホテル脱出』失敗…関空で帰国拒否 “3本の指”で軍に抗議したミャンマー選手の夜 オンライン取材に応じ、国軍への抗議の意思を表す3本指を掲げるピエリアンアウン選手


ミャンマーでは軍がクーデターで政権を握り政情不安が続いています。軍への抗議を示すのが“3本の指”を立てるポーズです。ワールドカップアジア2次予選で来日したピエ・リアン・アウン選手(27)は、5月28日の日本戦で国歌斉唱の時にたった1人“3本の指”を立てました。  
勇気ある行動だと称賛された一方で『帰国すれば命が危ない』とも指摘されていました。家族の待つミャンマーへ帰るべきか、身の安全を確保するため日本に残るべきか。アウン選手の心は揺れ動きます。  
ミャンマーへ帰国する予定だった6月16日に事態は動きます。午後1時すぎに救いの手を差し伸べようと弁護士が面会を依頼しましたが…。(空野佳弘弁護士)「今のところ(面会を)やめようかなと思っているんですよ。怖いって言うんです。弁護士が出ていくと。それ以外の方法を考えているみたいですから」  
午後7時、アウン選手は夕食の後のわずかな時間を狙って脱出を試みましたが、失敗。 午後8時にはチームメイトとともに大阪市内のホテルから関西空港へとバスで出発。  
(支援者 アウン・ミャッ・ウィンさん)「(バスからのテレビ電話では)“ごめんなさい、許してください、ミャンマーに帰ります”と言っていました」  
そして バスは関西空港に到着。日本に留まるには出国審査で帰国を拒む方法しか残されていません。バスから降りてきたアウン選手に対して支援者のウィンさんは必死に呼びかけますが空港職員に止められてしまいます。  
そして午後10時半。アウン選手は出国審査で帰国を拒否する意思を伝え、入管職員の近くで、ウィンさんにテレビ電話をかけてきました。保証人として名前が挙がったウィンさんに対して入管職員が身元確認を行います。  
(入管職員に対してテレビ電話で話す支援者のアウン・ミャッ・ウィンさん)  「アウン・ミャッ・ウィンといいます。保証人になります」  
午後11時50分、ミャンマー選手団は帰国の途につきました。その約20分後の翌午前0時10分ごろ、アウン選手は選手団とは別に1人で到着ロビーに姿を見せました。  
(ピエ・リアン・アウン選手)「チームのメンバーと家族に迷惑をかけること、さらに今の政府が家族に危険なことをしないか考えて迷いました。日本政府に対してはミャンマー政府が正しいことができるように助けてほしい」  
その後、6月17日の午前4時ごろ。アウン選手はMBSの単独インタビューに応じました。  
(ピエ・リアン・アウン選手) 「ホテルの警備が厳しくて、逃げた時に止められて、監督に呼ばれ、今まで帰国拒否はやったことはないから諦めようと思いました。日本で政治亡命して、滞在して、いずれミャンマーに帰るつもりですが、軍事政権がいつまで続くかわからない状態です。日本でサッカーする目的ではなく、政治的問題のため日本にしばらく居たい」  
アウン選手は6月17日午後4時に会見を開き「難民申請はできるだけ早く行いたい」と話しました。
●3本指掲げたミャンマー選手の覚悟 取材に明かした胸中 6/6(日) 18:44配信【朝日新聞 抜粋】
ピエリアンアウン選手は(朝日新聞のインタビューに対して)「不安定なミャンマーの現状を、世界に知ってもらいたかった」と話す。  
来日前に決断していた。指には、英語で《WE NEED JUSTICE(私たちには正義が必要だ)》と書いた。国軍は国民への弾圧を続けている。
「今ミャンマーには正義も公正もない。国際社会には、私たちを助けてほしい」との切実な願いを込めた。  
周囲やチーム関係者に迷惑がかかるかもしれない、との心配はあった。実行に移したことの重みも理解している。「自分がやったことには責任を持つ。3本指を見せる覚悟を、自分で決めたからだ」
【引用終わり】
一度自由に生きる事を知った人達は、権力者に脅されても「服従しなくてはならない。それが正しい事だ」と感じる事は出来ません。つまり「服従されられる事は、不当だ」と自然に感じるのです。
この感情は自分自身にも消し去ることはできないので、命の危険によって、発言・行動を自制している人達もまた、「自分が、今服従させられている事は、不当だ」と、心の中に自然に怒りを沸き立たせています。
この感情だけは、銃口によっても消しさる事は出来ません。
簡単に言えば、アウン選手の感情が、「軍がクーデターを起こしたので、軍の言うとおりにすることが正しい事だ」に変わることはないのです。だから彼は、家族とチームメイトとのつながりを切りたくないと迷っても、政治亡命を決断したのです。
私は、アウン選手がバスの中では「国に帰る」と発言したのは、チームメイトや監督の手前であり、彼らに迷惑をかけたくなかったからのような気がします。
なぜならば、アウン選手がホテルから逃亡したり、バスの中で「亡命するつもりだ」と明かしていたら、チームの監督は国に帰った後で「亡命を阻止できなかった」責任を取らされる事になるだろうからです。
そんな中でも、今尚ミャンマー国内が動揺しているのは、国内に《WE NEED JUSTICE(私たちには正義が必要だ)》と感じている人達が沢山いるからです。
この人達の心を変える事は出来ません。
心はままならぬモノなので、本人にもどうする事もできないのですから、他人にどうこうすることは絶対に出来ません。ですから、銃によって「発言と行動をこうしろ」と強制することは出来ても、「心にこう感じろ」と強制する事は出来ないのです。
故に、軍が自分で権力の椅子から退くか、武力によって追い出されるかは解りませんが、いつか軍が政権を手放すその時まで、ミャンマー国民の民主化要求は続いてゆきます。
それにしても、ミャンマー軍の首脳は「自分達の特権が失われていくのは我慢できない」と、自分達の心に抑えがたい感情が湧き上がってくるのを理解していながら、なぜミャンマーの国民の心には「軍に従うのは我慢できない」という抑える事が出来ない感情が湧き上がるという事が理解で出来ないのでしょうか?
中国で共産党独裁がそれなのに機能しているのは、中国国民の多数派が「共産党に従わなければならない」と感じているからです。
ですから、中国では独裁が出来ても、すでに今のミャンマーでは出来ないのです。中国とミャンマーでは全く違うのです。
ミャンマー軍が (1年か5年か20年か)いつまで持つのかは、私にはわかりません。しかし、いつかは国民によって滅ぼされます。ですから、軍の内部の人達が、「銃を置く決断をすることこそが、自分達・軍にとって最良の未来をつくる事になる」と気が付いてくれればと願います。

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