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ジョコビッチ騒動に観る、欧米社会の争いのモト。「和魂洋才」を忘れず、欧米を見習わない方が良い事。【引用開始】ジョコビッチ国外退去に海外メディアうんざり「ドタバタ劇に当てられたスポットライトが、グランドスラムを舞台の袖に追いやった」


  男子テニス世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ(34)=セルビア=は16日、オーストラリアへの入国ビザ(査証)が再び取り消され、国外退去となった。海外メディアも、これをスポーツのトップ級で報じた。

 米ニュース専門局CNNは「何日間もの混乱の末、ジョコビッチの全豪オープン出場を巡る壮大な物語がついに最終章を迎えた。コート外のドタバタ劇に当てられたスポットライトが、今年最初のグランドスラムを舞台の袖に追いやった」と評した。

 米紙USAトゥデーは、今回の調査でワクチン接種を受けていないと判明したジョコビッチが20年4月、「私はワクチン接種に反対だ。移動のためワクチンを強制されたくない。もしそれが義務になれば、私は決断しなければならない」と語っていたと紹介し、「何と予言的なコメントだったのだろう」と伝えた。

 ジョコビッチは5日、豪メルボルン空港で入国を拒否され、隔離ホテルに滞在。ビザが適正でないとされた理由は、昨年12月にコロナ感染し、免疫獲得を理由に認可を受けたとされる新型コロナウイルスのワクチン接種免除が認められなかったためだった。

 ジョコビッチ側の異議申し立てを受け、メルボルンの連邦巡回裁判所はいったん入国拒否を取り消した。だが、その後に入国審査書類の虚偽記載や陽性判明後の取材対応などが発覚。豪州政府は調査した上で再び入国許可を取り消し、国外退去を命令。豪州連邦裁判所もこの決定を支持すると、ジョコビッチ側も諦めて16日に豪州を去った。

【引用終わり】

なぜ、ジョコビッチ選手はワクチンを拒否するのだろうか?この騒動が起こってから、考え続けてきました。

これが、ワクチン導入の頃ならば、まだ副反応がはっきりしないから「接種したくない」と思っても不思議ではありませんが、テニスの試合の参加要件にワクチン接種がはいってしまった為に、殆どの選手がワクチン接種をするようになった今に至っても、ワクチン接種を拒否するという、心境が解りません。

つまり、私は商売人なので、「商売をするために必要な資格は、取りたくなくても取らねばならない」=「必要な資格がとれなければ、商売はできない。すべきでない」と、考えるのであります。

ですから、ジョコビッチ選手が「ワクチン接種を拒否する権利を主張する」のであれば、本来は「必要な資格をとりたくなければ、商売はすべきでない」にしたがって、「ワクチン接種が参加要件ならば、全豪オープンには参加できない」と表明するのが、王道だったような気がします。

私自身、来月には3種類の飲み薬が出回る中で、弱毒性のオミクロン株で経済を傷つける事には疑問を持ちます。

今なすべきことは、飲み薬の効果を高める為に、一刻も早く感染者が薬を服用できるようにする事でと思います。

即ち、かかりつけ医が、その場で結果が出る抗原検査をして、陽性であれば、即刻、投薬するシステムを整える事だと思います。高齢者と基礎疾患者には抗体カクテルにしても良いかもしれません。PCR検査の結果が出るまで、1~2日のんびりまっていては、それだけ薬の効果が減ってしまうからです。

しかし、どうも私の意見は主流にはなりません。だからまあ、不可思議な規則でも、一応は守る最低限の努力はするのであります。これが「自分の意見はあるけれど、周囲と諍いを起さずに無事を保って生きる方法だ」と、50歳を過ぎて悟ったからです。

一方で、ジョコビッチ選手は「自分がワクチン接種を拒否する権利を、自分の意見に反対する人間も認めるべきだ」と、自分の意見を他者に押し付けたために、軋轢が生じて、かくのごとき事態になったのです。

どうも、欧米社会ではジョコビッチ選手のように「自分は正しい=善だ。だから反対派も自分の意見に従うべきだ」という思考で、反対派を口撃する風潮があるように見受けられます。

今米国は、リベラル派とトランプ派で国が分断されそうな勢いですが、日本から見ていると「中国を最大のライバルと見て封じ込めようとする外交政策の大筋も同じですし、国を富まそうとするやり方が違うだけです」。はっきり言えば、資本主義か共産主義かのような、絶対に相手方との話し合いが成立しないほどの大きな違いはありません。

象徴的な出来事としては、「南米からの不法移民の流入を止める為に、壁をつくろう」とトランプ氏がいったら、「人権侵害だ。トランプは悪い奴だから絶対に引きずり下ろす」ということになりました。

それで人権を守る、善なるバイデン氏が大統領になったので、「不法移民も受け入れてくれるだろう」と米国入国ビザを持たない人達が米国を目指したら、騎馬の国境警備隊が追い払って、飛行機にのせて故国に強制送還する事態にもなりました。

つまり、口で言う事は違っても、やっている事は大差ないのであります。なのに、なでまた国を2分するような分断が生まれるのか?

極めて不思議な現象です。

どうも、私の目には、今回のジョコビッチ騒動と根は同じで「自分は正しい=善だ。だから反対派も自分の意見に従うべきだ」=「自分は善。反対者は悪」という、善の立場を争う陣取り合戦をしているから、現実に対する対応は大差ないのに、口げんかになっているように思います。

そして口げんかしている内に、「あいつが嫌いだ。あいつは悪い奴だ。倒さねばならない。社会から抹殺しなければならない」という分断になっているように観えます。

一方日本人は、気の合わない人・嫌いな人には「関わり合いにならない」ように避ける人が多いです。自分に関係ない事には (自分なりの意見はあっても)、口出せずに傍観する人が多いです。 いわゆる、「わからない。どっちでもいい」という人達です。だから、意見対立は対立している人だけで口げんかしていて、関係ない多数派が中立を保って争いごとに関わらないようにするので、国が二分する騒ぎにはなりません。

それなのにアメリカでは、直接関係ない人たちまで、われもわれもとトランプだ・リベラルだと意見対立に参戦し、敵を社会から抹殺しなければならないと過激化するので、国が二分してしまうのであります。

ボストン美術館で日本の着物を着られる催しがありましたが、この催しはアメリカの中から「アメリカ人が日本の文化を侵している、文化盗用だ」と苦情が殺到して中止になりました。

私は日本人ですが、別段アメリカ人が着物を着ても、文化が盗まれたとは感じません。却って「綺麗だ」と感じるから着てくれるのだろうと嬉しくなります。

この「文化盗用」の主張で、さらにわからないのは、私達は普段洋服を着ているけれど、「文化盗用だから着るな」と欧米人から批判された事はありません。

多文化主義が謳われている中での、文化盗用って何だろう? 全く欧米の一部の人達の主張は、私の理解を超えています。

真の多文化主義とは、「その文化が好きとか嫌いとは発言しても良いけれど、他人がその文化を受け入れるか受け入れないかについて批判・指図してはいけない」のですが、どうも「自分は善。反対者は悪」という思考のアメリカ人は、多文化主義をやっているつもりで、専制文化主義にしてしまいます。

明治時代に「和魂洋才」が奨められましたが、私は、この点は、決して欧米社会を見習わない方がよいと思います。

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