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「愛子天皇待望論」が生まれる理由。

敬宮愛子内親王殿下ご誕生を知った時、私は全身が震えるほどの喜びを感じました。と、同時に、「ご皇家はやはり神の家柄・日本の象徴なのだ」雷に当たれたように観の内に突き刺さりました。
 と申しますのは、紀宮清内親王殿下(当時)から9人から10人(?よく覚えていません)女性だけが連続してご誕生される確率は、0.5の10乗ですから、確率的には奇跡に近い確率で、殆どあり得ない事です。
 それなのに、現実にご皇家に起こった。
 これは、つまり日本人に「『女性の天皇を戴け』という神の意なのだ」と、(女性である)私は震えるほどの喜びで受け取ったのでした。
 そして、未来が輝き楽観的になりました。
 雅子皇太子殿下(当時)もこれで、お世継ぎ問題から解放されて、その才覚を発揮なされる機会が広がられるだろう。
皇太子殿下(当時の)応援で、雅子様がご活躍され、敬宮雅が未来の女帝としてすくすくとお育ちになられれば、日本には自然に女性が活躍できる空気が流れるだろう。
 「決して口にはされない『女には出来きないよ』という空気が、少しずつ少しずつ晴れて行くだろう」。そんな予感に浸れたのです。
 そして、ご皇家に男子の誕生がないという自然がもたらした状態に対して、当時の小泉純一郎内閣は「皇室典範に関する有識者会議」で全員一致で「今後における皇位継承資格については、女子や女系の皇族に拡大することが適当である」という報告書を提出しました。
 しかし、この報告書が出た直後に、秋篠宮紀子妃の懐妊が報じられて、9月に悠仁親王が誕生しました。  
 「秋篠宮紀子妃の懐妊」ニュースは、私個人にとっては、世紀の😞ニュースでした。そして、お生まれになるのは男子だろうという予感がしました。「人工授精で男子のご誕生が図られたのではないか?」という、妄想を払う事が出来なかったのです。そして、予想通り男子が誕生されたので、今も私は疑っています。
 と、このように、男女の産み分けが出来るようになった (さらには、代理出産もありますので)現在では、悠仁殿下がご結婚をされれば、男系をまもって皇位を継承し続ける事は(以前は側室制度で、今は科学の力で) 出来るのだと思います。
しかし、それで、皇室が国民の心を集める事が出来るのだろうか?
 
私は、現在の「愛子天皇待望論」は、日本国民が皇室に求めるモノを秋篠宮家が勘違いしている為に、発生していると思います。
秋篠宮様も、眞子さんも、「私自身の個人の意思=自由」を至高のモノだ」と発言します。
しかしですね。日本国民1億二千6百万人が「私自身の個人の意思=”自由”を至高のモノだ」として発言して争い合ったならば、日本はアメリカノ様に分断してしまいますし、毎日そこここで争いが発生するようになります。
「天皇が政治的発言をしない」理由は、様々な政治的立場があっても、天皇はそのどれにもくみさないことで、すべて国民の天皇である事かできるからです。
天皇が、自民党を支持したら、野党支持者は非国民になってしまいます。そして天皇が、野党の敵になってしまいます。それでは、国民を分断させて今います。だから、「天皇は政治的発言をしない」ことで、国民全員の天皇になれるのであります。
ただ、勿論天皇であっても人間ですから、ご自分の意見を当然持っておられます。
ただ、天皇陛下は「天皇として言ってよい発言か、それとも国民を分断させるのでいうべきでないのか」をきちんと分別して、「その時その場で相応しく発言し行動」されておられます。だから「大多数の国民が敬愛を捧げる」事が出来るのです。
一方で、秋篠宮家の皆様は、「自分はこう思う」と発言されます。すると、「私は反対だ」という国民は、秋篠宮家に敬愛を捧げることが出来なくなり、反対派の国民は敵にならざるを得なくなります。つまり、国民が秋篠宮家の意見に賛成か反対かで、2分されてしまうのです。
 
日本国民が皇室に望む事は、国民を2分しする争いの種ほをまく事ではなく、国民全員の心を陛下の慈愛の心で温めて欲しいという事です。だから、国民の中から自然に秋篠宮家ではなく「愛子天皇待望論」が生まれてくるのだと思います。
昨年来 秋篠宮家が批判されていますが、その理由は、秋篠宮家の天皇像と、多数派国民の天皇像が違うからです。

この宮家と国民の天皇像の違いは、将来の日本で大問題になります。故に男系・女系とかの形ではなく「天皇とは何か?」という根本理論の国民的議論は続けた方がよいです。

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