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「ムハンマドの風刺画」は守るべき表現の自由で、「日本人は醜い」は「いつもこんなこと言ってる」でOK。しかし、「ラクダ商人を追い越せ!」はNGで解任。ラクダ商人を侮辱語にすると、ラクダ商人の尊厳を傷つけるのに…。【引用開始】●「ラクダ商人を追い越せ!」ドイツ自転車のコーチが人種差別発言で強制帰国! 教え子も「走りながら愕然とした」【東京五輪】

ロードレース出走時のアルント。コーチからいきなり飛び出した問題発言に、我が耳を疑ったことだろう。(C)Getty Images
あってはならない発言が、テレビ中継の音声に拾われていた。  
7月28日に行なわれた東京五輪・自転車競技の男子タイムトライアル。中位に付けていたドイツ代表のニキアス・アルントに、後方から檄が飛ぶ。声の主は路側帯で小走りしていたコーチのパトリック・モスターで、アルジェリア代表のアゼディヌ・ラガブとエリトリア代表のアマヌエル・ゲブレイグザブヒエルを捉えようとしていたアルントに向かって、耳を疑うような言葉を連呼したのだという。 「そのラクダ商人(ラクダ追い)たちを追い越せ! ラクダ商人たちを追い越せ! やっちまえ!」  
明らかにアラブ圏の人びとを愚弄する表現であり、すぐさまこれが大問題となる。
英紙『Guardian』によれば、ドイツ国内のライブ中継で解説を担当した人物は、「呆れてなにも言えない」と絶句。瞬く間にSNSで情報が拡散し、東京に滞在しているドイツ五輪スポーツ連盟のアルフォンス・ヘルマンが翌29日に謝罪声明を発表するに至った。
「昨日、モスター氏が発した人種差別的発言に関して、心より謝罪を申し上げます。彼はオリンピックの精神を冒涜しました。これは我々ドイツ選手団が大切にしているフェアプレー、尊敬、寛容を裏切る行為でもあります」    すでに職を解かれ、ドイツへの強制帰国を言い渡されていたモスター自身も「熱くなりすぎていたとはいえ、不適切な発言をしてしまったことを深くお詫びします。本当に申し訳ありませんでした」と釈明。
突然、妙な指示を出されて困惑したのがアルントだ。こちらも「いきなりあんな風に言われて、走りながら愕然としたよ。許されるべき発言ではない」と断じた。  
一方で、被害者のひとりであるラガブもツイッターで想いを吐露。「さて、オリンピックにはラクダのレースなんてないはずだけどね。だから僕は自転車競技に出たんだ。少なくともこの東京オリンピックではね」と、ユーモアを交えて皮肉った。 構成●THE DIGEST編集部
【引用終わり】
どうも、一部のヨーロッパの人達の感覚はよく解りません。
「ムハンマドの風刺画」を掲載したシャルリーエブドが襲撃された時には、「表現の自由を守れ」とんでもない騒ぎになりました。
私も、「どんなに侮辱されたと感じても、テロ事件を起こしてはいけない」と思いますので、「表現の自由を守れ」と人々が熱狂する事に、「うらやましいな」と感想をもった覚えがあります。
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というヴォルテールの言葉の通りに、「ムハンマドの風刺画」を是とする人も否とする人も一緒になって「表現の自由を守る為に、街頭に繰り出した」と思ったからです。
しかし、どうもその後の展開では「反対する意見を主張する権利を命をかけて守る」にはなっていません。
というか、なっていない時と、なっている時があります。
事例をあげます。
1 表現の自由を守るという展開。
黒人のサッカー選手デンペレ氏が「醜い顔の日本人」「日本語はおかしな言語」と発言したことに対しては、田ペレ選手が、自分はいつでも、こんな言葉でこんな発言をしているが、日本人が気に障ったなら悪かったと思うというような、弁明をしたら許されました。
つまりデンペレ氏は、自分で侮辱する言葉を使ったと認めていますが、ヨーロッパの世論は、デンペレ氏の「他人を侮辱する表現の自由」を認めて、「表現の自由」を守りました。
2 表現の自由を許さない展開。
その一 対日本「寿司の国」発言
今年3月、ドイツのサッカー解説者・ヨルグ・ダールマン氏(62)が、日本からドイツに渡ったハノーファーDF室屋成がドイツリーグでなかなか得点できず、その日の試合でもチャンスに得点できなかった事に対して「それはハノーファーでの初ゴールになっていただろう。彼は最後のゴールを寿司の国で挙げていた」と発言したことが、人種差別と受け取られて、ダールマン氏は今期限りで解説者を辞めることになりました。
この時、ダールマン氏はSNSに「日本を寿司の国と呼んだら、それは本当に人種差別なのだろうか?真面目に捉えていないよな?」と投稿し差別ではないと否定し、ハノーファーも「ダールマンが人種差別的な態度をとっていると仮定するのはバカげた話だ」と問題視しませんでした。 さらに、日本人には「寿司の国と表現されたら、差別された事になる」という論理が理解できなかったので、ダールマン氏は「Land des Sushi=寿司の国」と言ったのではなくて、「Land der Sushis=寿司野郎の国」と言ったのだという、解説までが登場しました。
つまり、これが事件ならば、容疑者(ダールマン氏)も目撃者・関係者(ハノーファー)も 被害者(日本人)も「事件ではない」と証言したので、発生していない事件です。それでもダールマン氏は来期には解説の職を失います。
「表現の自由」はどこに行ったのでしょうか?
その二 対アラブ「ラクダ商人」発言。
今回の「ラクダ商人」発言の「寿司の国」発言との違いは、発言をしたモスター氏も、関係者も、被害者も、みんな「これは差別事件だ」と証言していることです。だからモスター氏は迅速にドイツへ帰国処分になりました。
「差別発言の禁止」は、「表現の自由」よりも上位のようです。
3 一部のヨーロッパの人達の感覚の不思議
このように、一部のヨーロッパの人達は時に「表現の自由は至高の権利だ」といい、時に「差別発言の禁止は至高の善だ」といっています。ただ「表現の自由」と「差別発言の禁止」は相矛盾しますので、「表現の自由として許される範囲=差別発言として認定する表現の範囲を、明確にする」必要が生じますが、現在のヨーロッパではこの範囲が示されておらず、その時その場の感覚・感性で、善悪正邪の判定がなされています。
勿論、これがヨーロッパの中だけですんでいれば、私達があれこれ言う事もありません。しかし、彼らは自分達のその時その場の感覚。感性を、他地域にも押し付けてきます。
例えば「表現の自由として許される範囲」についでですが、私は、それは「他人・他国の尊厳・生存権を消失させない範囲」であると考えます。
この意味で言えば、「ムハンマドの風刺画」はイスラム教徒の信仰の尊厳を傷つけるので、慎むべきことです。また、「醜い顔の日本人」「日本語はおかしな言語」も、日本民族と日本文化の尊厳を傷つけるので、慎むべき発言です。しかし、これは両方ともヨーロッパでは是認されました。
これに対して、ヨーロッパでは断罪された「寿司の国」「ラクダ商人」発言は、他国の尊厳迄傷つける発言ではないので何ら問題はないと思います。
というか、これを「差別だ。侮辱だ」と感じる、一部のヨーロッパの人達の感性の方こそが、ヨーロッパは上位・アジアは下位の差別感覚だと、私は感じます。
なぜなら、日本における「寿司」・アラブにおける「ラクダ」は、どちらもその地域においてはボディティブです。にもかかわらず、一部のヨーロッパの人達は「侮辱してしまった」と感じるのです。日本人・アラブ人が「誇りとして良い」と思うモノを、一部のヨーロッパの人達が「野蛮で、下劣で悪い」と感じていないと「侮辱してしまった」感じないはずだから、私は「侮辱してしまった」と感じる感性そのものが、ヨーロッパ上位の感性なのだと感じます。
つまり、日本人は「寿司」を日本人の相違工夫が生み出した珍味として誇りとしていますが、「寿司の国」を侮辱発言と感じる人達は、「寿司」を生で魚を食べる野蛮人の証明と感じているはずなのです。
そして、日本人の私にとっては、「ラクダ商人」は、水がない砂漠での輸送にラクダを使えるように家畜化した、知恵者のアラブ商人ですので「立派な人」の例えですが、(馬の輸送と比べているのか) 一部のヨーロッパの人達にとっては「侮辱」の呼びかけのようです。
このように、どうも一部のヨーロッパの人達の感覚と感性は、いまだヨーロッパ上位・その他地域下位の「二項対立」の感性のようです。
この感覚と感性というものは、自然に感じてしまうので、ご本人たちにもどうにもできないモノでありましょう。
ではどうしたらよいかと言えば、(基本的に) 他人の心はコントロールできないのでヨーロッパの事たちの感性を変える事は出来ないと現実を認めて、彼らが踊りを踊っているのに対して感情的に巻き込まれないのが最良の道であります。つまり、一部のヨーロッパの人達が「侮辱してしまった」と騒いだからと言って、「そうか我々は侮辱された」と理解して、付き合いで怒りをたぎらせることはしない方がよいと思います。
例えば、ドイツサッカーの寿司の国騒動などは、私には「だからどうした?」の世界です。
サッカーは格闘技だと言いますので、その解説をお上品にやっていたら、テレビ視聴者は盛り上がらない気がします。それでも「お上品にやれ」という、一部のドイツ人の感覚にふれると、私はかつてのナチスの芸術感に通じるモノを感じてしまいます。
ナチスは絵画に対して写実的でモノしか受け付けませんでした。ピカソもゴッポもゴミと判断されました。それでも、ピカソもゴッホも偉大な芸術です。今ではドイツでもその芸術性が認められています。
この絵画の例を引きますと、ドイツではその内にまたサッカー解説は「お上品にやらなくてもよい」に変わるかもしれません。
即ち、一部のヨーロッパの人達は、その時その場で「これが善だ」と騒ぐ習性を昔も今も変わらず持ち続けていて、時間が過ぎれば「善悪が逆転する」ことを繰り返しています。ですから、こちら側の精神の安定の為には、いちいち付き合うのは止めた方がよいと思うのであります。
感覚・感性の問題なので「勝手に、自分達で混乱していてもらう」しかないのであります。
私は、日本が「表現の自由」のもとに他人他国の尊厳を傷つける国になった欲しくありませんし、「差別用語の禁止」のもとに「モノ言えば唇寒し」の国になって欲しくもありません。ですから、ヨーロッパの混乱に巻き込まれたくないのであります。
★ 但し「ムハンマドの風刺画」「日本人醜い」はフランスで、「寿司の国」「ラクダ商人」発言はドイツですから、お国柄もあるかもしれません。

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