見出し画像

野党は、どうしちゃったの?昔の野党だったら「日本学術会議の人件費4億円は無駄遣いだ」と追及して、「菅政権が無駄使いさせていた」かのように、うまく印象操作で《お話》をすり替えていたのに…。 ●政府、学術会議の事務局見直しへ 人件費4億円縮減、野党は批判


 政府は、日本学術会議の事務局体制を見直し、配置する官僚を大幅に削減する検討に入った。常勤職員の約50人全員が内閣府など中央省庁の官僚で占めている現状を河野太郎行政改革担当相が問題視した。民間委託によって業務効率化を進めると同時に、学術会議への年間予算10億円のうち4億円超に上る人件費の縮減を図る。政府関係者が23日、明らかにした。
 学術会議側は、推薦した会員候補6人の任命を拒否した政府対応に反発している。野党は予算と組織を見直すことで、任命拒否問題の論点をすり替え、会議側を揺さぶる狙いがあるとみて、批判を強めそうだ。
【引用終わり】
野党は、どうしちゃったのでしょうか?
年金不正問題の時には、長年の社会保険庁のいい加減さと職員の怠惰な働きに対して、「このままではいけない」と改革をしようとした・第一次安倍政権が「いい加減な仕事をさせていた」かのように、うまく印象操作をして《お話》をすり替えて、国民の喝采を横取りするだけでなく、第一次安倍政権を悪者にする世論をつくりあげることに成功したのに…。今回の日本学術会議では、同じ手は使わないのですか?
と申しますのは、以前のブログに書いたのですが、私が「日本学術会議とは極めておかしな組織である」と思う点は、事務職員が多すぎるという事にあります。つまり、大した仕事もない人達に、税金で給与が支払われているように気がしてなりません。無駄遣いの臭いがプンプンするのです。
日本学術会議とは会長は月に10日出勤するが、学術員は月に一回会議に出席するだけの組織なのに、200人余の会員への報酬が4500万なのに対して、50人の事務職員人件費が3億9千万もかかっているのです。
別の言い方をすれば、日本学術会議は会長1人が月に10日会議をして、他の194人は月1日会議に出席する。その会議の事務処理をする職員が50人で、平均年に400万円近い給与を受け取っている。
これって極めて変ですよね。
学術会議では 大きなビルの中で 月1日は200余人の偉い学者さんが会議をするので、50人の事務職員が活躍する。月9日は会長1人しか出勤しないので、50人で会長を補佐する。これでもすごいですが、会長すらも来ない残りの10日程度は50人の事務職員の人達は何をしているのでしょうか?
と、普通の納税者は、考えます。
ですから、野党が《年金不正問題の成功事例を、踏襲しよう》とするならば、野党は「税金の無駄遣いを許さない。今まで、政府自民党は無駄遣いをさせていた」というお話の流れにしなくてはなりません。
「事務職員50人は何の仕事をしていたのか?」
「学術員の手当てが年16万4千円なのに、事務職員は年400万円以上の年収なのは、いったいどうやって仕事が割り振りされていたのか?」
「月一回しか会議をしないのに、あんな大きな専用ビルが必要なのか?ビルの管理費にいくらかかっているのか?」
「結局、学術会議とは学者を集めて、税金を無駄遣いする公務員の為の会議ではないのか?」
と、いうように、(野党が得点を望むのならば)「学者は被害者で公務員が甘い汁を吸っていた」というお話で、政府を最初から追求すれば、少なくても「桜を見る会」とは同じ構図になりました。即ち、赤旗の第一報が、路線を間違えていたという事になります。
この路線間違いのおかげで、自民党側に時間的余裕を提供して「政府、学術会議の事務局見直しへ 人件費4億円縮減、野党は批判」という共同通信の見出しが誕生してしまった訳です。これではまるで、政府が4億円の無駄遣いを止めようとしている(これは事実です)、にもかかわらず、野党が反対しているような印象になってしまいます。
 即ち、小泉郵政改革の時と同じように、「反対する者は抵抗勢力=反対する者は悪い」という構図もつくれるのです。
最も菅首相は、小泉純一郎元総理と違ってワンフレーズ宣伝にたけている訳ではありませんが、現在の学者さんたちの《政府に対する言い草が、あまりに上から目線》なので、一般大衆が学者さんの側につくとは思えません。
一般大衆の心持としては、たたき上げの菅首相が「教養がない首相に、私たちの価値が解るはずはない。我々の言うとおりにメクラ判をおして、任命しろ」と、おえらい学者さんたちにバカにされると、自分がバカにされた気分になって、おえらい学者さんたちを、改革を阻む抵抗勢力として受け止めるのです。
菅首相は「国民の当たり前」を目指していますので、このようなおえらい学者さんたちの上から目線は「自分達は上級国民だから、それだけでわがまま放題できる」といわれていめようで、まさしく「当たり前への改革」に対する抵抗勢力にピタリと符合するからです。
ですから、普通の国民の感覚との共感力をもっていたら、青筋立てて「学問の自由の侵害」云々というのは笑止千万です。
 現在はコロナ過の最中です。職を失って絶望している人も、事業が危険水域に入っている人も、星の数ほどいます。その人たちからすれば、大学から給料は貰って基本的な生活も学問の自由も保障されている先生方が、学術会議に任命されなかったからといって文句を言っているのは、「ご飯はたべた。だからお腹はへっていないけれど、お菓子が欲しいのにもらえない」と泣き叫ぶ子供の姿に似ています。政府が学術会議への任命を拒否したから、大学を解雇されたというのならまだしも、「何、我儘言っているんだ」の世界です。
私などは「大学教授で高給を貰っているのならば、『こうすれば、コロナ過の中でも、皆で働ける』という知恵をだしてよね」と言いたくなります。それなのに、200人以上も学者さんが集まっているのに、この10ケ月で学術会議がコロナに対して「何か有効な提言をした」というニュースは一回も聞きません。
それなのに、野党は抵抗勢力の学者さんの側に立とうとする。一体野党はどうしてしまったのでしょう?野党の皆さんも学者の皆さんも「空のお城に住んでいる」のかもしれません。
とはいっても「権力は腐敗する」と申します。
現在の菅首相はたたき上げの方で一般大衆の感性を持ち続けておられるようですが、野党があまりにも弱くなると、遠くない未来に自民党議員も「空のお城に住む」ようになってしまいそうで心配です。
私は、個人的には《年金不正問》の時の野党のやり方は、極めて偽善的であって、自分では絶対にしたくない類のことであると思いますが、第一次安倍政権の《説明の下手さ加減》に絶望的になったことも覚えています。そしてこの失敗の記憶があったからこそ、第2次安倍政権は、それなりの実績を残せたのではないかと思います。
つまり、強い野党が、強く正しい与党を育てます。
選挙に勝って与党になります。ただ勝利の後でも野党から間違いや汚職を追及されるので、与党は正しくなければ次の選挙には負ける事になります。この為に与党であっても、酷い汚職などはできなくなるので、強い野党は必要なのです。
ですから野党の皆さんにも、「この地上に降りてきて、頑張って頂きたい」と思うのであります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?