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林外相は呼びつけられて、中国様にご挨拶に伺うのだそうです? ほいほい出かけて「習近平主席の国賓訪日招致」などいいださなければよいですが…。中国元首の訪日の返礼は、日本元首の訪中です。私は天皇陛下の訪中には反対なのです。【引用開始】●林外務大臣 訪中し対面での外相会談を調整へ

林芳正衆議院議員のホームページより
林外務大臣はBS朝日の番組で中国を訪問して対面での外相会談を調整していく考えを示しました。   
林外務大臣:「日中外相電話会談でも招請は受けましたので、(訪中の)調整はしていこうと」  
林大臣は18日の中国・王毅外相との電話会談で訪中の打診を受けたと明らかにしました。  
そのうえで、台湾海峡を巡り、対立を深める米中双方と対話を重ねていく考えを示しました。  
また、人権問題への抗議から北京オリンピックに政府の要人を派遣しない「外交的ボイコット」について日本の対応を問われると、「現時点では何も決まっていない」と述べるにとどめました。
【引用終わり】
まず立場が逆です。
現在は中国が「国際孤立を恐れて日本を引き込みたい」のですから、中国の外相が伺いたいというのが普通です。
それなのに、こっち(日本)が呼びつけられたからといって、中国様にご挨拶に伺うとは…。
今は、米中が対立している最中ですから、日本が自国は米国側だと認識していたら、「日中外相電話会談でも招請は受けましたので、(訪中の)調整はしていこうと」なんて思わないのが普通です。
電話会談もできるのに、中国にわざわざ言って何を主張するのですか? 「尖閣来るな」ですか?「台湾ほっとけ!」ですか? 「ウイグルで人権侵害するな!」ですか? それを言いに行くならば日本側の受けはよいですよ。でも、中国が起こりますので、行かない方がよいです。
しかし、中国の聞きたい事は「ウイグル・香港・台湾は、中国の国内問題なので、内政干渉しません」でしょう。これを言ったら中国は喜びますけれど、アメリカも日本国民も怒ります。
「政治と経済は別にしよう」でも、ファーウェイなんぞの排斥をしないとアメリカかが起こるのでこれも言えません。 
とすると「気候変動で協力しよう」という技術協力と、中国は現在金詰りらしくて、欧米で起債して金を集めまくっているので、「東京証券所でも多額の中国証券を扱え」ぐらいしかありません。
つまり、日本の外相が中国に行っても、日本に良い事はひとつもありません。
なのに、なんで林外相は訪中しようなんて考えるのでしょうか?
米国側の日本には訪中して良い事はない。なのに訪中しようと思うとすれば、「林外相は米国側ではない」という図式が描かれます。少なくても、米中両へこへこでしょう。
(中国に呼びつけられて、出かけようと考えるので…)
 
何か 戦前の松岡外相を思い出してしまいました。政府の他のメンバーが英独の間でウロウロして小田原評定をしていた時に、松岡外相が「ドイツだ」と勝手に同盟をむすんでしまい、他の誰も思いもしなかった対米軍事同盟になってしまったなりゆきです。 
 「和」を尊ぶ日本の場合には、進路をきめないでウロウロしている時に、一部の強硬派に主導権を奪われると、とんでもないと所に行ってしまう時があります。
実際、真珠湾攻撃をすることになってしまったなり行きもそうでした。
一九四一年一二月八日に日本が真珠湾攻撃をしてしまったのも、政府首脳の多くが、「和を尊び、みんなが良ければそれでいい」と目先の事をその都度みんなで相談して決めながら、「どこに行きつくかはわからないけれど、なるようになるだろう」と国の舵取りをしていたら、一部の強硬派に主導権を奪われた末に、いつの間にかアメリカの敵になってしまっていたからです。
これは本当です。だからこそ、日米開戦をした人達が、「何で開戦したのか解らない」と証言しているのです。
 
「なぜ必負の戦争を始めたのか❘陸軍エリート将校反省会議(編・解説半藤一利)文春新書」に、この会議の司会者である加登川氏が次のように発言しています。
尚、証言に登場する原氏とは「再び必負の戦争をしない為に…」という目的で「大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯(朝雲新聞社)」を書いた原四郎氏・防衛庁防衛研究所です。
【加登川 原さんが、「私は昭和六年に軍籍にはいったのだけれども、アメリカと戦争するなんて、夢にも思っていなかった」と言われたのが、私には非常に印象的だったのですが、列席の皆さんの大部分もそうだったと思います。そして皆さんの大部分は、敗戦以後三十年間に、陸軍がボロクソに言われていることにいろいろな感じは持っておられると思いますけれども、一体、何が問題であるかということが、よく解らない。
私なんかでも、何に問題があって、どこに反論すべきことがあるのだということが解れば、それを、また勉強しようという気も起きるんですが。とにかく、総合的に見て解らないというのが、恐らく…同じ感じではないかと思う】
 
「なぜ必負の戦争を始めたのか」について、戦争を始めた人達が「解らない」といっているのですから、他所の国の人が聞いたら呆れかえるかもしれません。ただこれは、いつもの日本のパターンです。それでは本書から、極々簡単に日米開戦に向かう入り口の「日独防共協定」から「日独伊三国軍事同盟」への経緯を紐解きます。
 
【原 ごく簡単に申し上げますと、日独伊三国軍事同盟については、非常に世間に誤解があるんです。…
第一段階は、防共協定の締結です。昭和十一年十一月に締結された共産インターナショナルに対する日独協定、これは共産主義の防衛の為の日独防共協定ですが、実はその中に秘密付属協定があります。…日本とロシア(ソ連)との間に問題が起きたときに、ドイツはソ連の負担を軽くするような行動はとらないという、軍事秘密協定なんです。
 そして、昭和十四年八月二十三日、いわゆる独ソ不可侵条約が締結せられて、平沼内閣が「欧州の情勢は複雑怪奇なり」といって退陣した、あの時期までの間に、防共協定の強化問題というのがあるわけです。
 それは、秘密付属協定を強化する問題です。すなわち、日独伊間に軍事同盟を締結し、日本とイタリアとの間に対英牽制協定を締結するという問題が起きたわけです。
 ところが、ドイツ側は同盟の対象を英仏に拡大することを要求するし、日本側はソ連一国に限定するというふうに、話の初めから、逐次、問題が複雑になって、結局、英仏をも含む軍事同盟ということになるわけですが…長い間、小田原評定を続けている間に、独ソ不可侵条約ができた。
それで、防共協定強化問題は一切ご破算になったわけです。
 それが、昭和十五年九月二十七日になって三国同盟が結ばれます。
(これは当初)七月二十七日の「時局処理要綱」において「独伊との政治的結束を強化し、対ソ国交の飛躍的調整を図る」という国策の決定に基づいて…対英政治同盟を結ぶという事に過ぎないんです。
 ところが、それが九月四日に至って突如として対米軍事同盟に変わってしまうんです。それを誰がやったかというと、松岡外相の胸三寸によって、対英政治同盟が対米軍事同盟に変わるわけです。そして、松岡外相の工作によって、ドイツからスターマー特使が来日しまして、九月の九日、十日、十一日の僅か三日間で、電撃的に対米軍事同盟が成立します】
 
 はっきり言ってしまえば、悲しくなります。松岡外相ら一部のドイツ派が同意も得ずに、クーデターとして対米軍事同盟をむすんだと知っていながら、それを是正する事もせずにそのままなるに任せていて、国家そのものが破滅したからです。
 だから、私は心配です。林外相が勝手に中国に出かけて行って、「(延び延びになっていて自然消滅を日本国民の9割が願っている)、習近平主席の国賓訪日を実現させて、日中の友好を深めたい」と言いやしないか、心配です。
 そして、日本政府も外務省も「習近平主席の国賓訪日」を推進する気が無かったのに、「外相が言ってしまったから実現させねばならない」と、見当違いなかばい合いをして、「習近平主席の国賓訪日」が実現してしまいやしないかと心配です。
なぜならば、中国の元首の国賓訪日の返礼は、外交的な常識では、日本の国家元首の国賓訪中=天皇陛下の訪中だからです。
天安門事件の後で中国が外交的に孤立していた時には、当時の日本の天皇陛下(上皇様)が訪中された後で、欧米の経済制裁が次々に解かれて、中国が国際社会に復帰するきっかけになりました。
漏れ伺う所によれば、上皇様は「中国の人権侵害に心を痛めて、中国を放免した事がよかったのかどうか」とお悩みだったそうでございます。今はさらに中国の人権侵害は酷くなっています。天皇陛下は、訪中ということになったら、どれ程お苦しみになるでしょうか?
天皇の政治利用は、日本国憲法違反です。
中国に、天皇陛下の政治利用をさせる事は、絶対に許したくありません。
ですから、林外相が中国に勝手に行くのは自由ですが、「天皇陛下訪中に繋がる、習近平主席の国賓来日招致は絶対にしてくるな」と、申したいと思います。

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