親のふり見て、我がふり直せ
親から受けた教育や生活にずっとモヤモヤとした気持ちがある私と、この話が目に止まったあなたへ。
5歳と1歳の母をしているナナエ(30代後半•東京都)と言います。
私は編集•ライターの仕事をしていますが、専門的な資格もないので、ああだこうだ言ってても「そういう考え方もあるね」と、気軽に読んで貰えると嬉しいです。
自分は世界を変えられないと思う
育児をしていると、子どもの自己肯定感を高めることで「自分で悩みや問題を解決できるようになる」といった話を聞くことがあります。
なぜ一般的にそれが最善であるという方向であるかというと、長女の小学校受験のために学校説明会に行った際に
先進国の18歳に行った意識調査で「自分がこの国の未来を切り拓く力があるかどうか」に対して、日本の18歳の人たちは「できない・わからない」と答えた人が1番多かったそうです。
私もその質問をされたらきっと同じ「できない」と答えていたとおもいます。
大人の言うことは〝全肯定″と育てられた私が大人になったら
私が小学校教育を受けていた平成初期の頃は「先生や親のいうことは全部正しい」と全肯定が当たり前の時代でした。
実母からも「はい、わかりました」「はい、すみません」と言うんだよ。と育てられたのが私です。
「言葉は一度いったら戻らない」
余計なことを言わないで我慢しろ。言葉は選べと言った意味合いもあります。
私の母の座右の銘です。
そんな母に育てられた私は人に何か言われてチクリとしても、反論できずメソメソするだけの都合の良いYESマンになってしまいました。
(これは産後、イライラが表に出せるようになったり、ココロの薬のおかげで少し改善してきたように思います。)
自己肯定感の低い親の育児
前述のとおり
自己肯定感の低く育ってしまった私が自分の子どもを育てるときに気にする点が
「自己肯定感の高さ」
「自分で未来を切り拓くチカラ」
になることはあまりにも自然でした。
もちろんこの2点はとても大切だと思います!
思いますが…
自称、配慮の鬼(笑)の私は、几帳面で先回り先回りしてフォローしたり、余裕を持って事前に対応•用意することなどが当たり前な性格なので、これは子どもに対しても同じようになります。
これでは子どもの自律の芽は育ちません。
でも自分が育ってきた辛い道を子どもに通って欲しくないという、お節介すぎる気持ちがいつの間にか「子どもへの過干渉」というかたちで現れることを当時は気づきませんでした。
今はとにかく自律を促したり、見守ることを意識しています。「失敗して学ぶことも大切」だと実母や祖母に言われてきた私の子ども時代を思い出して、何か言いたくなっても我慢我慢…。
さいごに…
カエルの子はカエルとでもいいましょうか…。
自分が子どもを育てる側に立ってから、なんでも知ってる大人だと思っていた実母がただの人に思えるようになりました。親を客観視できるようになったのは、私が30歳を過ぎてからです…。
完璧な親なんていなくて、私の母も家事も育児も苦手な部分があるけど一生懸命頑張っていた人だったのかもしれないと最近思うようになりました。
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