今年の抱負

今年の抱負。

「それでも卵の側につく」

もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。
そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?

そういったのは村上春樹だ。

それに対して以下のように言う人もいる。

壁と卵は対立関係ではなく、むしろ共犯関係にある。誰もシステムの外側に立って壁を破壊する立場には立つことができない。そんな現実に目をつぶり、自分たちこそが卵なのだと思い込もうとした人々こそが、無数の卵を踏み潰すもっとも無自覚かつ暴力的な壁=システムを築き上げていったのではないか、20世紀の、特に終わりの数十年の歴史は酷薄なまでにその事実を私たちに突きつけたのではないか。(宇野常寛『リトル・ピープルの時代』)

その通りだと思う。
去年、「壁」(システムや権力)を作ろうとする側にいる人を見てきて、その前にいわゆる「卵」(システムからこぼれ落ち、権力に排除されそうになる人たち)的な人たちと接してきて。

「壁」側の人が、どれだけ優秀か、どれだけ熱意を持っているか、どれだけ信じているか、
「卵」側の人が、どれだけ周囲に依存し、暴力的になり、排他的で、想像力が欠けがちになるか
を知りました。

「それでも卵の側につく」
それが今年の抱負です。

なぜなら、「壁」による支配のほうが心地よいから「卵」側にはつかないという発想そのものがそもそも「壁」に近く、自らの立ち位置を選べる特権性に依拠すると気づいたから。
「卵」側の人はそもそもその選択肢すら与えられていない。

例えば、現代日本について「分配より成長だ」と叫ぶ主張がある。
日本は欧米と違いそもそも格差が生まれるほど上が伸びておらず、全員で貧しくなっている状態だ。だから分配するものはそもそも無く、まずは成長を目指すべきだと。
とても論理的な主張に思う。

でも、私は「成長より分配だ」と叫ぼう。
なぜならその主張がそもそも「壁」「上流」の思想だからだ。
いわゆる豊かな層は、「分配」になれば損をし、「成長」になれば得をする。
貧しい層は、「分配」になると得をし、「成長」になれば変わらない。(どんなに成長しても貧しい層は貧しいままだったから世界中で格差が問題になっている)

「分配」なら一方が損をするのに対して、「成長」なら一方は現状維持なんだからそっちのほうがいいじゃないかと思う?

ちょっと生活が大変な人もいるかもしれないけど、分けてあげられるほどないし、日常生活でそういう人たちの困窮が目に入るわけでもない。


スクリーンショット 2022-01-15 23.26.56

(『ミステリと言う勿れ』16話)

そうやって私たちは汚いもの、面倒くさいもの、考えたくないものを社会の隅に追いやってきた。見ないようにしてきた。関わらないようにしてきた。

スクリーンショット 2022-01-15 23.30.51

(『僕のヒーローアカデミア』281話)

私たちは口では「みんなが幸せになる方法」を探している。
でもそれはない。どんなに豊かになっても「幸せ」にはなれなくて自分のことで精一杯で貧しい人に構う日はとうとう来なかった。


「みんなが幸せになれる方法を教えてくれ」
「そんなのあるわけないじゃん。ばかじゃないの」

スクリーンショット 2022-01-15 23.42.32

「でも、みんなが不幸になる方法ならある」
「みんなで不幸をちょっとずつ分け合うんだ」

(『傷物語〈Ⅲ冷血篇〉』)

私も忍野の立場に立ちたい。
全員が幸せにはなれない。
それでも、自分の幸せのために他人の不幸を、醜悪なまでの貧しい生活を、社会の見えないところに追いやって、なかったことにするくらいなら、全員で不幸になる道のほうがマシだ。

一緒に汚れよう。
一緒に苦しもう。
一緒に絶望しよう。

それが今年の抱負。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?