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私は書いて自由になりたい。

書いて、書いて書き続けて、私はどうなりたいんだろう。

noteでウケそうなことでは無い事を書いていいのなら、淡々と綴ってみようと思う。

最初はなんとなく楽しいからやってみた。
青い鳥がいた頃のTwitterのように好き勝手に呟いた。

でも、だんだん【読まれる】楽しさを身につけたら【読んでもらう】為に書くようになった。

そして【読んでもらえない】と勝手に凹んだ。

人生のようにnote活動にもアップダウンがあった。
フォロワー数に一喜一憂し、スキやビューの数を見ては【もっと読まれるには…?】などと考えた。

でもふと考えが浮かんだ。

【誰かに媚びるのが大嫌いなくせに、あんたまた誰かに媚びてるの?】

と、私の顔をした誰かがスマホから覗き返してきたような気がした。

そういう訳じゃないよ。

自分のことや日々のこと、とりとめのないこと、悲しい事むかついた事、くだらな面白い事を書いてると自分の奥底が輝く気がするんだ。

心の中、いつもどこか風穴が開いているようなあの感覚が薄れてきたんだ。

家族を得ても漠然とした不安が見え隠れしてたけど、それもめちゃくちゃ小さくなったんだ。

今が一番心は自由なのに、地に足が着いているような気がする。

小さい頃。
小学生。
高校生。
20代。
子供がまだ赤ちゃんだった頃。

書き続けた事でそれぞれの悲しみの中にいる私を癒す事が出来ることを知った。

『大丈夫だよ』
過去の私にそう語りかけ、寄り添い、手を握る。肩を抱く。笑いかける。一緒に泣く。

この方法を思いついたのはたまたま。noteを続けている中で見つけた。

きっと今の私も、未来の私にそうやって支えてもらっているのだろう。スマホの中から覗き込んできた自分が、それで良しと言わんばかりにしたり顔で微笑んだ気がした。

そうか。
私はまだ【自分のために】書いているのだな。

書いて書いて書き続けて、心を自由にするために書いているんだな。

気がついたら、数字の囚われから抜けていた。

誰かに気を使いすぎなくて良い。
家族のための時間は少し横に置いておいて。
常識を蹴っ飛ばせ。
大声で叫べ。
【私の頭の中は、自由だ!】

頭の中を解放出来るだけで現実の生活も良くなる。
なんとなくそう感じてる。

そうして死ぬまで書き続けて、いよいよ晩年かと思う頃もしかしたら人気が出て『本を出しませんか』とオファーが来るかもしれない笑

たのしみー。

芸術家の中には死後人気が出る人がいるが、私はできるなら生きているうちに吉報が欲しいと思う。
死んでしまっては何もわからない。
喜びは生きているうちに体感したい。
そんなことを淡く夢見て今日も書く。

とにもかくにも、今はまだ自分の為に。
誰かに喜んでもらえたらすごく嬉しいけど、未だ修行中の身ゆえ。

これからも精進いたします。
ではこれにて、ドロン。

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シマななこ
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