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六車奈々、会心の一撃!

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タレント・女優の六車奈々によるエッセイ集。子育てをしながら働く、ハプニングと全力投球な日常をエッセイでお伝えします。
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#思い出

異文化コミュニケーション

「日本の可愛いもの、何だろうな〜!」 14歳の私は、 日本の可愛いものを探していた。 なぜなら、Because 、、、My friend's birthday is coming soon! おっと、失礼。つい英語で話してしまいましたわ。 14歳の私は、海外文通を始めた。 今のように簡単に海外の人とメールなどできない当時、『ペンパル』といって海外文通が流行った。 学校だったか英会話スクールだったか忘れたが、私も申し込んだ。紹介されたのは、アメリカに住む同い年のウェンディちゃ

しくじり先生

私は、自分の体で後悔していることが三つある。 一つ目は、目だ。 我が家は、父が2.0、母が1.5という視力の良さ。遺伝的に考えれば、私の視力も良いはずである。しかし私の視力は、右目がえげつない乱視の0.8、左目はちょっと乱視の0.05なのだ。 なぜこうなってしまったのか、原因は自分が一番よくわかっている。 小学校の頃、私は漫画本を読むのが大好きだった。母も漫画を読む人だったので、漫画を禁止されたことは一度も無い。注意されたのは、「目が近いよ!もっと離して読みなさい!」だけ

パリでのこわ~い話

20代半ば、友達と二人でパリ旅行をした。 仮に、友達の名前を『るみ子ちゃん』としよう。 るみ子ちゃんは、仕事の現場で知り合った友達である。 毎週、競馬の取材で栗東トレーニングセンターへ行くのだが、 朝が早いために前泊をする。るみ子ちゃんと私は、毎週同じ部屋で 寝起きを共にし、好きな人の話や仕事の相談など、 色んなことを話しながら時を過ごした。 2年ほどで番組は終わったのだが、それからでも定期的に会っては 近況報告をするような仲の良さであった。 そんなるみ子ちゃんが、結婚する

動くおもちゃ

私が通った小学校では、年に一度、図工の時間に必ず 『動くおもちゃ』を工作する。 私は、この『動くおもちゃ』を作るのが嫌いだった。 なぜなら私が作った『動くおもちゃ』は、一度も動いたことが無いからだ。 クラスの全員の『動くおもちゃ』が動いても、私のだけは動かない。 一年生の時も、二年生のときも、それからもずっとだ。 昨年、五年生の時の『動くおもちゃ』は、観覧車作りだった。 クラスメイト全員の観覧車は、クルクルとまわった。 動物の絵や怪獣の絵など、思い思い描いた観覧車がクルクル

幻のラブレター

あれは、小学1年生のときだった。 私は人生で初めて『ラブレター』をもらった。いや、正式には 『ラブレターらしきものが、ランドセルの中にグチャグチャに 押し込まれていた』のである。 その日は土曜日。 午前中で授業が終わり、帰る準備をしようとランドセルを開けた。 すると一番上に、グチャグチャになった『ざら半紙(わら半紙)』が 押し込まれているではないか。 何だろう? 最初は、誰かのイタズラかと思った。 恐る恐る広げてみると、アイアイ傘が書かれていて、 片方に私の名前が見えた。