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毎年恒例“振り返り”という名の雑感





今振り返れば、
今年は「自身の身の回り」へ目を向ける年だった。





新型の感染症が愛知県で確認されたのは今年1月のこと。
その後の2月中旬、名古屋市でも感染者が確認された。

早い段階で感染経路や感染者の行動履歴など情報が錯綜し、比較的感染者の行動範囲に近い地域だったこともあり、当業界の身辺は大きく揺れた。

未知の感染症への恐怖から危ぶまれる行動への制限、休暇の行動の記録・毎日2回の検温記録及び提出を早い段階で義務づけられ、おちおち外出もできない状態になった。
もちろん、旅行なんてもってのほか。

私は部署長であることもあり、心苦しくも制限をかける側ではあったが、情報が落ち着いて何を対策すればいいのかわかるようになってきた頃には、もう大規模の人を動員するイベントなどは自粛の方向に入っていたのはせめてもの救いだったのかもしれない。

要は「人と必要以上に近くにいなければいい」と気づいた時には隠れて遠出したこともあったが、結局3月に行った京都が今年の最後の旅行となった。


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自身の住む地域にしかいなければ、新しい遊びを開拓するか諦めて毎日をただダラダラと過ごすのかの二者択一。イベントごとなどの実際に触れられる情報が枯渇し、刺激のない毎日になってしまった。

そんな中でも私はそれほど2019年と行動は大きく変わらなかった。

もともとは平日休みで、1人で行動するのは慣れているので、年初はやりたかった撮影と写真冊子の作成に明け暮れた。

時折ある外出時は道端で写真を撮ってもいた。
3月から感染第1波が到来し、いつもの1/3ほどしか人が外に出ていない景色はなかなか見ることのできない貴重な風景だった。


同時に仕事も難しい舵取りを要求され、度重なる長時間のweb会議や感染対策で正直疲弊していた。

感染第1波があった頃はモーニングなどで利用していたカフェも軒並み休業を発表し、リモートワークですらなかなか満足にできなくなった。

仕事がなくなった人もいるらしいが、いつもよりやることが増え給料も上がらなかった私にとっては、勤務時間・給料が少なくなった人も含め正直羨ましい部分がある。まぁ明日は我が身でもあるわけだが。


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この頃から自身の身をおく環境についてを真剣に考えるようになった。

私は精神的に疲弊しているとき、部屋が荒れる傾向にある。

仕事を家に持って帰っても、自室でやらなかったのは「荒れている環境では作業に集中できない」という理由があった。(そもそも設備ややる気もないのだが…)
だから仕事は近くのカフェで環境を変えて進めていた。
写真編集や冊子作成も同じく外のカフェスペースで行った。

イベントごとがほとんど中止になったこともあり、支出が減っていたためお金の面は問題なかったのだが、下手に外出することで感染を招く恐れがあることから人のいない時間・場所を選んで開いている数少ないカフェをヘビーローテすることになった。

ただ気持ちが荒れていることや、緊急事態宣言が解除された6月以降は碌に家にいない状況を比較的多く作ったために、自室の環境はどんどん悪化。
足の踏み場がないなんていう状態はとうの昔にすぎ、社会人としての最低限の生活しかこなさなくなっていよいよ危機感が芽生えてきたのが、梅雨真っ只中の7月だった。

その頃からは自身の精神状態を荒れさせる原因を取り除く作業に集中した。
この1年以内にも同じくメンタルの不調を抱えていたため、対処方法が既に確立していたのは幸いだった。
食べたいものを自発的に食べにいき、就寝時間を20時に設定しとにかく寝る、TwitterアプリをiPhoneから削除するなど情報を遮断、人との比較材料を意識的に断った。
ストレッサーはどこにでも存在する。自身がどう感じるかでマイナスに振れるものはなるべく遠ざけた。

引っ越しを決意したのは8月中頃。
引き金となったストレッサーは、部屋の狭さでもモノの多さでもなく、今まで気にしてこなかった「音」だった。
一度意識してしまうと、気にしなくなることはもはや不可能だった。

結局、部屋探しから引っ越しが済むまでは2ヶ月ほどかかった。


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この感染対策漬けだった2020年も、慣れてしまえば特段どうということはないと思うレベルにまで回復はした。
時折、低調時にあった精神の荒れが顔を覗かせるが、もう少し余裕のある生活が続けば、無視できるレベルには落ち着くと思う。

差し当たって、来年はこうしよう、というのはまだないが、環境の整備は続けていくし、落ち着いたらまた制作系のこともやっていこうかなとも思う。

それでは、良いお年を。


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