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いつも心に留めている 母からの教え

なななつはですね、子どものころから、母にとても厳しい躾を受けて育ってきました。

そんな母に対して父は、時に厳しくなななつを叱りつけることもありましたが、それは数年に一度のことであって、父からは概ねおおむね甘やかされて育ってきました。

父に甘やかされて育ってきたせいか、なななつはとても生意気な子ども時代を過ごしてきたように思います。

そんな生意気ななななつを、母は決して見過ごすことはしませんでした。

何か問題が起こるごとに、母はなななつに正座をさせ、何時間もの間お小言を言い続けるのです。

子どものころは、そんな母にホントにうんざりとしてきた覚えがあります。

しかし、なななつも大人になり、社会にでて自分でお金を稼ぐようになります。

経済的に自立をすることを覚えると、精神的にも自立ができるようになり、母からのお小言の意味が、ようやくやっと理解できるようになってきたのです。

あぁ~、母がなななつに言っていたのは、こういう意味だったのかと…

『親の小言と茄子の花は千に一つもあだはない』といいますが、ホントのことなのだ、となななつは50歳を過ぎた現在になり、実感しているのです。

でね、なななつがこどものころから、母が常々口にしている、教えがあります。

それはね…

「人にしてあげたことは忘れなさい。しかし、人から受けた恩は決して忘れてはならない」、ということです。

人は決して一人では生きてはいけません。

人はお互いに支えあいながら、生きているのです。

人を助けて、そして人に助けられて、人は成長し大人になります。

でね、その人を支えるとか助けるとか、その部分について、母は人にしてあげたことは、忘れなさいと言っているのです。

決して自らの行為を、恩に着せるのではないと。

でね、その反面、人から受けた支えや助けなどは決して忘れてはならないと、母は言っています。

人から受けた恩は決して忘れてはならないと。

自分が人に何かを施すことは、自らのためでもあるのです。その行為は人に恩を着せるものではないですよね。

そして、恩について…

恩は巡り巡って、自らの元へと舞い戻ってくるとなななつは考えます。

なななつは、人から受けた助けは、感謝を伴い、次に誰かに返したいと考えます。

たとえ、恩を受けた本人にその恩が返せなかったとしても、次に巡り会う誰かのために、忘れずにその恩を返していきたいと…

そうやって人は支え・支えあいながら社会生活を営んでいるのだと、なななつは考えるのです。

なななつが両親から受けた恩についても、いつかはその恩を誰かに返していきたいと、なななつはそう思うのです。

#大切にしている教え

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