見出し画像

比べないってことは

発達障害の子を持つ親になってから言われたランキング上位に君臨しちゃうだろうな

 「他の子と比べちゃダメよ」っていうあれ。 

普通の子と比べないでね、成長はみんな違うからね、みんな違っていいんだからね。

ああそれはそうなんです、わかります、だってその通りなのだから。小学校に入学するときに息子を支援学級に在籍させることを決めてから、それまで自身が患っていた鬱病も寛解して、それは今日まで再発していないのだから、定型児から離れて良かったのは親のわたしの方なのかもしれない。支援学級を選んだのは「同学年の定型児」という比べる対象から離れるためではなかったのだけど、結果的に親の精神面がいい方向に動くことになったり、「普通に追いつかなきゃ」と息子の尻を叩くこともなく穏やかに過ごせているのはとても良かった。それになにより配慮のある環境に身を置けたのは、息子本人にとって良かったはず(だと思う)。もしも通常学級に身をおいていたら、勉強についていけず口頭の一斉指示を聞き漏らし、さっき言ったでしょうと先生から再三注意を浴びていたんじゃないかな。そのたびに、僕はダメな人間なんだと自己肯定感は簡単に地に落ちていったんだろう。考えるだけで恐ろしい。

だから「比べちゃダメだよ」はその通り。鋭角な山と谷がある発達検査の結果があったっていいじゃない。谷は平均値よりだいぶ底の方だけど、それでもみんな違っていいんだって誰かが言ってくれている。そこに乗っかっていればいい。勉強よりも生活力。自分の身辺のことを自分で出来るようになることは、生きていくために必要なんだから。

よかったら行ってみてねと教えてもらった講座があれば、誰が講師だろうとそんなことは構わずにひたすら参加。障害セミナーマニアと化してから、情報を聞きつければ片っ端からいそいそと講習会に出かけていって、持参したノートに講師の言葉を書き散らした。そこで照らし合わせたようにあっちでもこっちで聞くことになっていったこと。それが身辺自立の話だった。

「親は子供の身辺自立を習得する支えになってね、できないことは人に頼る力を身につけさせましょうね」

そこで語られることは生きていくために必要なことばかり。隙がなくて切実で、そして帰り道にはいつも溜息がでた。講師のなかには「隣に住む人にわたしの顔を洗ってくださいとはお願いできないですよね」と、大まじめな顔をして喋る人もいたけど、一人で電車やバスに乗れることも、買い物なんかもそうですよと続いたものだから非常にイタイところを突かれて会場にいた人はうつむいて口を閉じた。自分の子がそういう世界に生きているのなら、それならもうそれに向き合うしかない。それが親の役目なんだからと心をポキンと折りながら、軸だけはブレないでいようと奮い立たせる。

よし、身辺自立に重きを置いて勉強は無理しない範囲でゆっくり進めればいいんだな。息子に合ったペースでやればいいんだ、それでわが子が心身ともに健康で過ごせるのなら万々歳。いい大学に入ったりいい会社に就職するのはどなたかに任せておけばいい。人と比べず羨ましがらず、学年相応の学習などクソ喰らえ根性で見ないようにすればいいんだ、だけど。そんな時にひょっこりやってくる『チャレンジ』は初めの頃は、へえ、定型の子達はこの単元を勉強しているのね、などと通常学級の授業進捗を知る目安にしていた。それがひょっこりと割とよくやって来るものだから、これは頑張らないと追いつけないかな、もうそんなに進んだの、応用は解けなくても基本くらいは知らないとね、これはちょっと追いつけないな、ねえもう遥か遠すぎて欠片も見えない異次元になってるじゃないの。そうやって辿り着いたのが

「この子の将来はだいじょうぶなのかな」

余計なことを削ぎ落とすと学校の勉強はこうなるんですよと、それを示しているような支援学級の学習にも不安は募る一方で。足元がぐらぐら揺らぐのはどうすればいいんだろう。この子の先には何があるのか誰かに教えてもらいたい。漠然とした不安を吐露してみたら、隣の人も抱えているものは同じだったりした。あの人も悲観していたんだし、やっぱりこのままじゃまずいんじゃないか息子。そうやって焦っているときは決まって上手くいかないし、比べるのなら去年のわが子にしておきたい。だけど突如訪れる焦燥感に、決意した意志はいとも簡単に迷子になった。

「子供のやる気を引き出すのは周りの大人であり、環境であり、仲間です」

いつだったかの講習会でこれを言われたことがあった。みなさんは子供をやる気にさせる関わりをしているんですか、課題はやる気にさせる難易度を見極めて設定されていますか。どうですか、と。
 
そんなことを言われると、もしかしたら本人の能力より高めのところに手を伸ばしていたのかもしれないな。がんばれといった励ましは子供側からしたらもう充分がんばっているんですけどね、と思っていたのかもしれないな。せめてこのくらい、あともう少しだけ、あなたのため。そういった親の欲は表に出さないでいようと努めても、じんわりと滲みでていたかもしれない。

早急にやるべきは身辺自立、そして今の環境がわが子に合っているのか、やる気にさせる言葉かけはどうか。人さまのことなど気にしても息子にはなんの役にも立たないのだし、悩むくらいなら放っておけばいいんだよ。そうですね、分かりましたそうします。そうやって何度頭の中で問答しただろう。比べる対象など外を歩けばいくらでもいるし、他愛もない会話を繰り広げる子供たちがとてつもなく眩しくて羨ましい。ぶっちゃければべつに勉強など追いつかなくても構わない。勉強ができなくても死ぬわけじゃない、少しだけ不便なだけだ。ただ、それに代わる和気あいあいと群れる仲間がいるとか悩みを話せる親友がいるとか、そういうのが代わりにあればいいのにと思ってしまう。もうこればっかりはしょうがない、親だって人間なんだからそう思ったりもする。比べない育児がいいことは確かによく分かるけれど、完璧にできる人になどわたしはなれない。菩薩じゃあるまいし。だからほどほど比べずに、ほどほどやり切れなくて、少しだけ諦めて、まあいいかと声に出しているんだと思う。

わたしはこれからもほどほど比べる育児をしていくんだろう、きっと。



スキしてもらえると嬉しくてスキップする人です。サポートしてもいいかなと思ってくれたら有頂天になります。励みになります。ありがとうございます!