heal
唯一の無限で在るということ
自分以外のすべてが有限であることを識りながら、唯一永遠で在り続けるとはどういう感じなのか。
なんと孤独な
そう思うのは私がちっぽけだからなのかもしれないけれど、
少し想像しただけでクラリ。
私には耐えられない。
自分は有限で良かったと思ってしまったけれど、
有限だからこそ繋ぐのよね。
繋ぎ続ける限り共に在ることはできる。
“無限”に寄り添う唯一の方法。
そうやって気が遠くなるほど永い時間を掛けて繋がってきたから、今の私が在る。
識っている人たちが、一番知られたくないこと、隠したかったことはそれなのだろう。
☆
自分たちがこの地球でその“唯一”になること。
ずっと“彼らの目的”が何なのかが分からないと思っていたけれど、それこそが目的なのだ。
だから処女受胎だとか娼婦だとか、女性性を貶めたり隠したりしてきたのだろう。歪められた理や概念を刷り込みながら、“騎士たち”の後ろに隠れて護られているものは誰なのか、はっきりとは分からないけれど、彼らが私たちから取り上げようとしているものは明らかだ。
随分な独占欲ですこと。
ところが、残念ながら私はあまり従順ではない。
長いものに巻かれるのも大の苦手なのよ。
過去にも今にも未来にも、色々と思うところはあるけれど、対立したり争ったりしては、この独占欲の塊のDV男みたいな奴らの思うツボ。
私はケチだから、彼らを喜ばせたくはない。
だから彼らが一番嫌がる道を選ぶ。
赤青どちらでもなく、その真ん中でもない道。
考えてみたら、昔からそういうの得意なのよね(*^^*)
「いだきまいられよ」
ええ、そういたします♡
面向きの問題はFake
複雑に幾重にも重ねられ、本質を覆い隠しているけれど、本質を理解していれば惑わされることはない。
だから、恐れずに参ろうぞ。
☆
✍
写真は2019年に訪れたマルセイユ(Marseille=塩田の意)にあるノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂⛪
よく意識に上っていたからか、他の方が投稿している写真を見て一発でここと分かりました。あまり行きたい気がしなかった場所でしたが、色んな大事なものを受けとっていたなぁと。
嵐が過ぎて晴れた今日、家にあるオリーブの木を見ていて、ここの天井ばかりをただただ眺めていたときの感覚が重なり、浮かんできたことの覚書。
2024.3.27