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24時間を体験した話

昨日、頑張って更新し続けていたnoteの更新が途絶えてしまった。20日以上も連続して更新してたのに、すっかりと忘れてしまっていた。気がついた時には夜中の1時をすぎていて、なんとまあ、、、と継続することの大変さと素晴らしさとそこにある努力と。なにかその付近にあるいろいろなものに少し
だけ触れたような、解ったような気がした。


何かを成し遂ている人たちが口を揃えていう「誰もしないことをやり続けただけだよ」というフレーズの重みが沁みる。


同時に24時間の区切りを感じた瞬間にもなった。夜中0時が切り替わる瞬間は年末年始くらいしか意識をしないように思うけれどが、365日全てにその切り替わる瞬間があるのだ。当たり前のことに気付かされたように思う。今日もあと10分足らずで明日になる。


それに加えて、私は全人類に平等に与えられた7月1日の24時間をなにに使ってしまったのか。と、少し自分に腹を立てた。24時間のうち15分あればかけたはずなのに。
腹を立てたというのは、凹むとか責めるとかそういうベクトルではなくて、どちらかといえば「何故大切にしなかったのか」という感覚だった。もったいない。と思う心の底から。


友人が、仕事が忙しくてランチを食べ逃した時に残念がるあの感覚に似ている気がする。彼曰く、食事を摂れるのは1日に3回で、一生のうち食事の回数は決まっているから、その1回を無駄にしてしまうのが残念だ。ということらしい。


それでも、やたらとポジティブになった私は、残念には感じているけれど、私を責めることはしていない。それよりも、どうすればその人間の忘却に叶うのだろう。と対策を考えている。3週間続けることができて、単純に油断したのだろう。まだ習慣になっていなかったし、続ける意味がまだ曖昧なのだろう。と思う。

継続することやら、日付の変わる瞬間を体感できてよかったと思う。まだ3週間でよかったと思う。対策を講じて来月1日に挑む。今日から再スタートだ。

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