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人の長所に目を向けるということ

「人の長所を見つけるのが上手いね」と、この前元同僚に言ってもらいました。「上司にいて欲しい」とまで。ありがたいことです。

 そこで、ふと、「人の長所を見つける」ということはどういうことか、というのを自分なりにまとめてみたくなって、ここに書いております。

 というのも、八木仁平さんの『世界一やさしい「才能」の見つけ方』を読了した影響がありまして、「人の長所を見つけること=僕の才能の一つ」かもしれないなーと。けれど、八木さん曰く、「才能は長所にも短所にもなる」とのことなので、じゃあそこも含めてまとめてみっか、と思ったわけであります。

 というわけで、

①「人の長所に目を向ける」ために必要と思われる要素
②「人の長所に目を向ける」ことのメリットとデメリット
③「人の長所に目を向ける」ことで僕が心がけていること

 の三点を自分なりに述べたいと思います。お気軽にお読みいただければ幸いです。

長文なので各章ごとにこれが出てきます。
「ストッキングって、浪漫だよねー」

①「人の長所に目を向ける」ために必要と思われる要素

 これについて、まず予測できる範囲をざっと箇条書きしていきます。

・観察
・記憶
・敏感さ、繊細さ
・判断基準を持っていること
・比較
・内省
・俯瞰視、客観視
・伝達
・ポジティブ性、ネガティブ性

 あれ? なんだか書いていて小難しくなってきたぞ、となりましたが、ひとつひとつ自分なりに噛み砕かせてください。
 あと、これらが全てではないでしょうし、また、これら全てを所有していなければならないとは僕は思っていません。あくまで一例です。

観察

 これは、「見てないとそもそもわからんやん」ということです。身も蓋もない言い方をしてしまえば。人に興味を持つ、というのも当てはまるかもしれないですね。
「わたし人間観察が趣味でさ~」という言葉は昔苦手でしたが(見られる側の身にもなってくれ、となってました)、それは言い換えれば「人について知りたい」という欲求なんだと思います。
 その人を見ていれば、長短に気づけるし、そもそも見ていなければわからないままかと。

記憶

 記憶していると、「あのときあの人はこうしてくれたよね」となります。そこから色々記憶が重なって、「あ、この人のこういうとこステキ!」となれるのでは、と。まあ、記憶しすぎるとネガが重なったとき、しんどいですけどね。
 個人的には、「そんなこと忘れちゃいなよ」と言われても、しようとしてもできないので、忘れることを諦めてます。むしろ、町田康さんの『くっすん大黒』の冒頭を未だに暗唱できる自分によしよししています。

敏感さ、繊細さ

 これ、上手く使えれば武器になります。だって仮にあなたが、「ここ、抜けてませんか?」「そういえばあれを忘れてませんか?」と察知して伝えれたら、「あ、ホンマや! 危うく五億置いたまま帰るとこやった、助かったわー、サンキュ! ほれ、謝礼に一億」となるかもしれないじゃないですか。
 つまり、細かなところに気づくことができると、より細部まで相手の長所に気づけたりします。敏感・繊細は罪じゃないのです。むしろ感度は良い方が(以下略)。

判断基準を持っていること

 これがないと、「粗大ゴミを富士山に不法投棄して偉いね」なんてことを言い出しかねません。まあ、今のは誇張ですが、長短の判断基準の目盛りがより細やかだと、それだけ細かな長所に目を向けることができますね。
 そして、この判断基準は、所有してさえいればある程度はOKかなと。先ほどの極端な例も、もしかしたら見方を変えれば日本を嫌悪している人たちからしたら賞賛に値する基準になるかもしれないし、そもそも道徳なんて時代によって移り変わるし、群集心理やカミュ『異邦人』を例に出すと、今の善は未来の悪になるかもしれず、しかし生きているのは今だから今にある程度沿っていないと(判断基準ループになるので以下略)。

比較

 この世の全てが同じ色だったら、その色を○色だといえないのではないでしょうか。様々な色があるから、あら、素敵な緑ねとなるわけで、比較することができると、より長所を見つけやすいのではないでしょうか。
 まあ、あまり比較しすぎて「ムキーっ」となる場合もありますが、大丈夫、あなたはかわいいよ、パルスィ。

内省

 たとえば、「これは自分よりあの人の方が得意だな」となれば、「すごいですね、ぼくにはとてもできない」となります。そして上手く使えば、相手の長所をラーニングすることもできるかもしれないし、自分の長所に気づくこともできるかもしれません。人に向ける目を、自分にも。愛に全てを。

俯瞰視・客観視

 いわゆる遠くから冷静に見たり、第三者視点に立ったりできると、それだけ判断の物差しの精度が高まり、より大局的に見ることができます。そしていつかは、「ほほう、神はこの視点で見ているのか。よし、では神を俯瞰視・客観視してやろう」とし、場合によってはカオスルートに突入することもできるかもしれません。

伝達

 伝えないと、テレパスでもない限り、相手はあなたの思っていることは伝わりません。伝え方は何も面と向かって喋らなければならないわけでもなく、手紙でもメールでも仕草でもいいわけで、そうして伝達することによって初めて相手は、「あ、こいつオレに惚れてるな」とわかるわけです。さあ、勇気を出すんだ!

ポジティブ性・ネガティブ性

「え? ネガティブ性もなの?」と思ったそこのあなた! ネガティブの反対は? そう、ポジティブなのです! つまり、ネガティブの反対をすればポジティブにもなれる、つまり短所に目を向けがちなら、それを逆の視点で見たらいいのです。「体臭がえげつない彼氏」というネガティブも、見方を変えれば「人を寄せ付けないオーラを持った彼氏」でもあり、そもそもあなたは彼女なのだから、彼氏に他の女がよってくる可能性はかなり低くなります。安心ですね。

 はい、ふざけました、サーセン。いや、言い訳させてください。終始堅苦しいの、性に合わないんです。なんというか、リズムやテンポとか欲しくなるので。でもまあ、噛み砕くことはできたと思いますので、とりあえず次に行きます。

かんわきゅーだーい
「尻フェチです」

②「人の長所に目を向ける」ことのメリットとデメリット

 お察しの通り、「人の長所に目を向ける」ことにはメリットだけでなくデメリットもあります。
 ここでは、それを述べていきます。
 箇条書きすると下記の通り。

・長所を見ようとする、してしまう
・短所もわかる、わかってしまう
・善し悪しで判断できる、してしまう
・正しく伝えられる、間違えるときもある
・「意外!」となるか、「いらん」となるか
・人に目が行く、そしたら自分には?

 これも、噛み砕きます。言い換えると、噛み砕いてしまいやがります。

長所を見ようとする、してしまう

 人の長所に目を向けるクセがある、あるいは習慣づけると、必然的に人の長所をみようとします。「この人のこういうとこ、素敵だなー」と。
 これ、上手く作用しているときは良いのですが、逆に長所でないところや、さして長所として取り上げる必要のないところまで過剰に長所と捉えてしまうこともあり、「この人はいい人!」と拡大解釈してしまうこともあり得ます。それで後々大やけど、とかにもなりかねませんね。
 けれど、有効に使えば、人の良さに気づいて、いくらかこの世界が色彩豊かになると思います。上を向いて歩けますね。

短所もわかる、わかってしまう

 長所がわかるということは、その逆もまたしかりなわけで、「あ、この人はこういうのは苦手な人なんだなぁ」で済めばいいけれど、これが過剰に気になってしまったりしてストレス抱えたり、あるいは無理くり長所か普通に認識を変えようとしてしまったりしたら、正確性のズレが生じ、それを自身も無意識的に把握しているので内的摩擦が生じ、あるとき口論などになってしようものなら、どばどばと濁流のように相手の短所を指摘し続け、「もうやめて!」「離せ!」と武藤遊戯のようになりかねません。
 いっそ、短所は短所と認めて、そこについては触れない、あるいは距離感を保つよう心がけると、地雷を踏む率も減るかもしれません。

善し悪しで判断できる、してしまう

 そもそも長所というのは「あなたが感じたその人のよい部分」です。短所はその逆ですね。となると、その人を判断する一つの基準ではあるのですが、一歩間違えると、それのみで判断してしまい、独裁的なジャッジをしてしまいかねません。
 さらに、その善し悪しは「あなたが」「感じた」ものであるだけで、誰が見てもそうである、とは言い切れません。
 これをクリアするには、"I Think"(私はこう思う)というのを脳の片隅に置いておくと、主観的であるということを認識でき、より自分を生きられるようにもなり、相手をより尊重できると思います。

正しく伝えられる、間違えるときもある

 これは上記の"I Think"である程度カバーできます。もし、それで上手く伝えることができたら、相手はよりポジティブに燃え上がり、あなたが伝えた長所を更に発揮していくこともあるでしょう。しかし、人間だもの、間違えることもあります。「あなたのコーヒー、凄くおいしいわ。きっと、コーヒーを作る才能があるのね」「いや、これ、市販の紙パックのコーヒーだけど」となることも。そんなときは素直に自分の間違いを認めて、「あら、あなたといるのが楽しくて、このコーヒーが一流ホテルのコーヒーの味に思えてしまったわ」なんて言うと、「じゃあ、ベッドインしようか」と燃え上がること間違いなし。

「意外!」となるか、「いらん」となるか

 基本的に、人は褒められると嬉しいものです。人だけでなく、豚も木に登るくらい、賞賛のパワーはすさまじいのでしょう。
 しかもそれが、当人が気づいていなかったものだった場合、もしかしたらその一言で一大決心をして、ゴッドタレントに出演してスターダムに上り詰めることもあるかもしれません。
 けど、相手にも選択権はあるし、その日そのときの気分があります。そこをガン無視して、「あなたは顔が良いから芸能界のオーディションに行きなさい!」なんて言われても、「俺はそんなん興味ないし、お前にそもそも興味ない」となりかねません。信頼関係を冷静に。日頃の言動も、冷静に(と書いて自分にブーメランが飛んできた気がするのでここでやめときます)。

人に目が行く、そしたら自分には?

 人の長所に関心が行くのは悪いことではないのでしょう。けれど、それと同じ熱量で、自分に目を向けられていますか? あなたはあなたの長所を見つけていますか?
 自分はそうではない時期が長かったですし、今も完璧に見つけ切っているとは思いません。けれど、これだけは言えます。「自分の人生は自分で決めるもの」と。
 もし、あなたが他者の長所を見ることができるとするならば、あなたにはその能力があることを、あなたがまず、認めてあげてください。もし、あなたがそれを持っていないとするならば、その事実を認めてあげてください。持っている・持っていない、に善し悪しをつけずに、その事実をまず認め、受け止める。そうすれば、あなたはあなた自身を一つ理解したことになります。そのことで、あなたが手に持っている「あなたの取扱説明書」に、一文が書き込まれたことになります。そうすれば、あなたは「これは自分に合っているからやってみよう」「これは合っていないからやめておこう」となります。そのために必要なのは、行動です。「全部やって確かめりゃいいだろ」とUVERworldが歌っている通りです。『PRAYING RUN』!

 あれ? 思ったより真面目になってしまいました。ではでは、最後に行きましょうかー。

かんわきゅーだーい
「大事なのはサイズじゃないよー」

③「人の長所に目を向ける」ことで僕が心がけていること

「そない言うけどな兄ちゃん、お前はどやねん」と、脳内INUが出てきたので、自分なりにどうしてるか述べますね。

 んー、まず、「長所」ってよりかは、「魅力」なんですよね、僕の場合。今、思いつきましたが。なんか、「いいなー、ステキやな-」ってなった、自分の心をポジティブにさせてくれた「その人の魅力」に「いいね!」をしている感じです。なんか、キラキラして見えるんですよね。
 で、自分から、常に「○○さんのここ、いいっすね!」とは言いません。話すなら基本、雑談だったり、くだらない話だったりします。
 相手・あるいはその場の空気が求めているタイミングで、「え? でも、○○さんがあのときこうしてくれて、僕助かりましたよ」とか伝えます。
 いうたら、「長所探し屋」としてないわけですね。もし、それをするなら、それを求めている人に対して商売としてやります。日常のやりとりで、「長所探し屋」の顔は、いらんのです。

 で、言葉を選びます。適切な・的確な表現を探します。べらべらと言わないです。普段こんな饒舌体・回りくどいタイプですが、そういうときは一文に収まるよう心がけます。なぜなら、そこをダイレクトに届いて欲しいからですね。
 例えば、Aさんの長所が「元気で、前向きで、やる気にあふれてて、向上心もあって、営業成績も最近上がっている。コンディションも整える工夫や努力をしている。それが顔に出ていて、自信に満ちあふれたいい顔をしている」だとします。
 それを僕なら、「めっさええ顔してますやん」と言います。
 ほしたら、「え? そうすか?」ってよりええ顔になって笑うんです。
「はい。ってか、なににやけてるんすか」
「いや、だって、嬉しいっすもん」
「なはは。眩しいな-。よーし、俺も頑張ろ!」
「漢那さんも、今、ええ顔してますよ」
「マジすか? もー、褒め上手♡」
「今日も俺が勝ちます」
「負けへんぞー」
 みたいなん。一応、このやりとりを分析して述べることもできますが、個人的に生身のやりとりを理詰めでやるのは趣味じゃないので、やめときます。ってか、この文章も即興ですし(実際に似た経験はありますが)、人とのやりとりは大体即興じゃないですか。大事なのは、ハートです。スキルは後からいくらでも身につけれます。僕だって、上記のようなやりとりを昔はできませんでした。今も完璧ではないですし、常にできるかといわれると、ノーです。
 ただ、人とのやりとりは、特に対面ですと、キャッチボールですよね。難しいですし、いつも上手くいくわけではない。そもそも野球のキャッチボールだって、はじめは誰もゼロからのスタートですし、いくら練習しても苦手なままだったり、相手がいないケースだってあります。なので、この記事すら、ただの一例に過ぎません。そもそも、「人の長所に目を向ける」ことは優劣でもないと思いますし、必須なものではないと思います。ですので、鵜呑みにせず、あなたなりの咀嚼をしてもらって、あなたなりの「こうする・しない・どっちでもいい」ができたら、それでいいじゃないですか。

 僕も、失敗を相当してきましたし、今もそうです。けれど、そんな僕でも、「人の長所を見つけるの、上手いね」と言ってくれるダチに出逢えて、そんな素敵な言葉を貰えました。僕からしたら、「そういうプレゼントを贈ってくれるお前、最高!」となるんですけどね。
 まあ、少しずつ、七転びしても八起き、何度も起き上がって、歩きたくなったら歩いてみましょう。
 最後までご覧いただいて、本当にありがとうございました!

↓ラジオでこの内容を話すとこんな感じです。


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