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Web3の独我、及びその可能性。



序論。


Web3とメタバースは、インターネットの新しいフェーズとして期待されている技術革命の一端を担っている。

それは、現実世界の束縛から解放され、仮想空間において自由に行動し、コミュニティを形成できる新たな場を提供する。

しかし、この変化には、実存的な問題や社会的な懸念が潜んでいる。

メタバースにおける身体の不在やリスクの低減は、私たちの生活における物理的な危険や制約からの解放を意味するが、その一方で、個人の独我論的な状況と社会的現場の孤立化を助長する可能性がある。

この現象に対して、Web3がどのように対応し、どのような未来を描くべきかを考察していく。



メタバースにおける実存的問題。


メタバースの最大の特性の一つは、身体の不在である。

現実社会では、私たちは身体を持ち、物理的なリスクや制約の中で生きている。それに対し、メタバースでは身体が仮想化されるため、危険や問題をリセットできる。

このような「リスクフリー」な世界は一見理想的に見えるが、そこには実存的な空虚感が生じる。

現実世界では、他者との関わりや危機的状況に直面することで自分を実感し、社会的なつながりの中でリビドーを発散する。

しかし、メタバースにおいてはそれが困難になり、個人化や孤立化が進む。

評価されている意見にただ追従する。しかもメタバースによって開かれた瞬間風速的な意見に対してのみただ追従してしまう状況。すなわち、社会的独我論と呼ばれるような状況が生まれ、個々の意見が排斥的に拡大し、コミュニティ全体に浸透する可能性がある。



Web3によるコミュニティの再編。


こうした問題に対して、Web3の技術が提供する分散型のコミュニティ形成が、実存的ジレンマの解決策となる可能性がある。

Web3の基盤であるブロックチェーン技術は、中央集権的なコントロールを排し、個々の状況や意見が有機的に結びつくことで、共同体としての新たな構造を生み出す。

特に、現代においては個人が孤立化しやすい社会的背景があるが、Web3の仮想空間では、個人の力がコミュニティの形成に貢献し得る。

つまり、バラバラに存在していた個々の意見や状況が相互に作用し合うことで、有機的な相互作用が可能になり、メタバース内で新しい形の共同体が生まれる。



社会的独我論の解消。


Web3が提供するこの新しい共同体のモデルは、それ自体が社会的独我論という極端な個別主義なし得るが、逆にそれを超えた解決策にもなりうる。

メタバースは、ただの仮想世界ではなく、現実社会の問題を映し出す鏡でもある。

そのため、個人の欲望や意見が閉鎖的に広がるのではなく、相互作用を通じて全体としてのバランスが取られた社会を形成することが期待される。

そのためには、技術的な革新だけでなく、人間の倫理的意識や社会的協力が重要になる。

Web3の進化によって、身体の不在やリスクの低減がもたらす実存的ジレンマを克服し、より豊かな仮想空間での共生が可能となるだろう。

ゆえに、web3がやろうとしていることは今までに起こったことの反復である。

全く同じような現象が回帰して起こるのみであり、問題はそれ(web3)をどうやって使うか。そんな手垢がついた規範意識はもうこりごりにも思えてしまう。

だが、それこそが本論で伝えたかったことである。web3を学びたければ『二コマコス倫理学』と『政治学』は必読書だと思う。



結論。


Web3とメタバースは、現代の技術革新による新しい世界の可能性を広げているが、同時に、個人化や実存的問題を引き起こすリスクもはらんでいる。

しかし、Web3が提供する分散型のコミュニティ形成や、個々の意見や状況が有機的に結びつくことで、社会的独我論の解消が期待される。

つまり、個々の自我が他者との依存関係を通じて、自己を制限し、調整するプロセスがなければ、自我の肥大化を防ぐことは出来ない。

このようにして、メタバースはただの仮想空間から、より豊かな社会的関係性を育む場へと変貌する可能性を秘めているのだろう。


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