発音を直す

小学校に上がるタイミングを前に、といっても2年ほど先なのだが、「今です」ということになり、口唇口蓋裂人生の中でも大一番の、発音の訓練が始まった。

私自身、口唇口蓋裂児としての手術歴は同じ病気の人たちと比べると限りなく少ない。口唇口蓋裂児としてのゴールを切る間際には手術ができなくなっていたのもあるが、なによりも最初の手術から骨移植まで一貫した先生に手術をしてもらえ、その先生が上手かったことの方が大きいと思う。(大学病院にかかっていると主治医を選ぶのは難しいので運も大きかった)

ともかく、そんな手術をあまりしていない、この時は赤ちゃんの時に手術をして以来骨移植もまだであったから手術がどんなものかと言うのを知りもしない子どもにとっては、この発音の訓練が大一番であった。

で、この時の発音はほぼ、あ行以外は発音がうまくいかないので、あ行以下全てを口唇口蓋裂児が出せるような発音の仕方、これを専門用語で代償構音というが、それにしなければならなかった。加えてこのころは滲出性中耳炎のために万年耳に水溜りができており、これのせいで中度から軽度の難聴を行き来していた。ゆえ、訓練には大変な時間がかかるうえ、一般のリハビリのような月一回とかそんなオーダーでは到底就学に間に合わない。私が普通級に入れると信じている母は地域の保健福祉センターにいる言語療法士に依頼した。それで週一回通いながら、宿題として訓練をこなすという日々が幕開けしたのである。

そう、保育園児にして宿題である。すいか、おさら、かっぱ、ぺんきというような単語を言うところから、少し慣れたら「あおいいえがみえる」「パンダを見に行く」といった文章を読むことまでバリエーション豊かに進んだ。うまく言えていないとやり直し。文章の場合は単語からきちんと確認していくし、単語の場合は一つ一つの音声を確認する。それは日常生活にも及び、「今言えてないよ」「今の言葉違うよ」と逐一訂正する。そうすることで綺麗な発音を、日常で使える発音を獲得していく必要があった。

本来ならおしゃべりを楽しむ時期にこのような訓練をすることに対する賛否はあるだろう。ただ、一つだけ言えるのは、もしも生ぬるい訓練だったら私はきっと普通の生活ができていない。それは確かである。おそらく多くの仕事は制限されただろうし、場合によっては就学も制限されたに違いない。人生において大きなハンデを負っていたことになるのである。そのハンデがなかったのは、この訓練のおかげであり、発音のハンデがないこと、普通の人と同じ音で喋れることによる精神的な負担のなさが、その後の人生、物理的、社会的、精神的に大いに役立ったのは紛れもない事実である。この過酷な訓練によって人生の可能性は格段に上がったし、いわゆる発音に問題のない口唇口蓋裂児よりもどうかするといっそう滑らかにしゃべり、後に傷の修正をしてしまったタイミングで口唇口蓋裂であることが素人目にわからなくなり、見た目の差別や偏見に晒されることが少なくなったという、心理的メリットは大きかった。
また短期的に見れば、ひらがなの五十音とカタカナの五十音をほぼ完璧に覚えられたことも、非常に良いことだった。また、自分の生来の発音を直すと言う宿題に比べたら、小学校以後の宿題は大したことには感じなかった。そのため、勉強や宿題を嫌がることのない子どもに育ったことも、結果的には良かったのではないだろうか。

この時訓練を担当してくださった言語療法士の先生には、のちに英語のスピーチコンテストでお会いすることができた。
日本語の訓練をしていた私が、スピーチコンテストに出ている。
先生はとても嬉しかったのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?