船に乗ったら世界が変わった話【3】

待ちに待った出港の日である。天気は曇天もいいところ、正直な話、海はすでに結構荒れてそうだった。

そんな中、我々は乗船以来3日振りに陸に足をつけた。どこまでも続く広大な陸地はなんだか変な感じだった。木の甲板やリノリウムに慣れすぎたせいかもしれない。朝から飲んだアネロン(酔い止め)のせいかもしれない。

そして、いよいよ船の上に幽閉されるのだと、みんなこの一時的な下船のことを「仮釈放」と呼んでいた。実際その通りだった。船では規律正しい生活をしなければならないので、あながちこれは間違っているわけでもないのだった。

学長や係留されている土地の市長が慇懃な挨拶を述べ、学生長と船長、研修団のえら〜い先生(団長)のご挨拶があって、あっさりと終わってしまった。いよいよ、乗船である。

ここからはもう、2日間、陸を拝むことはできない。
しかも揺れる。確実に船酔いコースだ。

いわゆる紙テープを投げての出港だった。私の母は寂しくなるからと来なかったので、紙テープを投げる相手はいなかったけれど、とにかく投げた。

みんな、嬉しそうに笑っていた。私も笑っていた。その後の出港や入港で胸が詰まってしまうなんて、この時は知らなかったのだ。防波堤が見えなくなるまで手を振り続けた。これからの船旅がただ楽しみだった。
防波堤が見えなくなっても、室内に入るように指示があるまでずっと海を見ていた。見慣れた海の色だった。

さて、10分ほどそうして室内に入ったところ、さっそく揺れていた。これはかなり酷いものとお見受けした。実際既にトイレは満員御礼、間に合わない者など既に地獄絵図となっていた。
私はまだ、大丈夫だった。でも、ちょっと夜ご飯の食欲はいつもよりなかった。
夜になって横になったところ、さらに揺れを感じた。上下左右あらゆる方向にゆすられ、「洗濯機に入るとこんな感じなのかなぁ」と思った。ちなみに胃腸が伸び縮みするのも感じられ、「十二指腸をこんなに強く体感することってもうないかも」とかクソみたいなことばかり考えていた。ちなみに十二指腸を体感できたのは、医療従事者としての経験値が爆上がりした気がした。ちなみに船内は強烈に揺れているのにこのポジティブ思考。揺れすぎて少々頭がおかしくなりかけていたかもしれない。きっとそうだ。
そうしているうちに初日はいつのまにか眠っていた。

さて、翌日である。ものすごい揺れだったので、なんかあった時のために一緒に乗っている看護師さん(だったと思う)が全員の生存確認をしにきた。実を言うとこの時は気持ち悪さより怠さだった。そう、風邪をひいて寝込んでるあの感じである。
「くそう、体が重たいなぁ」と思いながらなけなしの力で返事をし、「元気な人は食当(食事当番)して」と言われたが、当然無理でそのまま寝た。
どれくらいそうしていただろう。
目覚めた。
朝ごはんの時間だと思い、食事をとるかと思った。だが、かなり気持ち悪い。だが、私の場合朝ごはんはなんとかして食べなければならない。なぜならステロイドを飲まなければならないからだ。
ステロイドはホルモン剤の一種で、本来朝に多く出るホルモンかつ、身体にとって重要なのである。私の場合、膠原病の治療のためにステロイドを飲んでおり、かれこれ10年飲み続けていたので自分の身体からステロイドを出す能力は皆無に近い。その状況で服薬をやめると最悪副腎不全になるわけである。海の上で副腎不全は流石にやばすぎる。緊急停泊、ドクターヘリ案件である。

と言うわけで、船酔いしてても何かは胃に入れられるようにと買っていたウィダーインを飲んだ。半分行ったところで、ダメだった。
化学療法して吐き気のある患者さんもこんな気持ちなのかなぁ。
エチケット袋を持ちながらそう思った。一気に水分が抜けた気がした。やばいな。
でもこれからは患者さんにもっと優しくなれそう。

で、残り半分を気合いで飲んで薬も流し込み寝た。これでもう出てしまう心配はない。寝て終えば船酔いは止まるのだ。

よろめきながら(ちなみに船酔いは冷や汗も出るので相当量の水分を失っていたはずである)とりあえず水分を少し摂る。
昼だった。
そしてもう少し寝る。
夜になった。
「トイレ行きたい。そう言えば最後、いつ、トイレ行ったっけ……」
よろめきつつトイレに行くと、半日ぶりに尿が出た。まぁまぁ脱水だったらしく濃縮尿とはこれですといった、教科書的な濃縮尿が出る。

もう1日も似たような暮らしだった。しかしもう1日は多少ましだった。多少起きている時間が長くなっていた。まぁ尿がコンスタントに出ていたので。あと一応酔い止めが効いている間は使い物になるのでそこそこ班長としてのお勤めは果たせる状態だった。この日はだいぶ小笠原付近に近づいており、孀婦岩という大きな岩が近くにあるとかで、操舵室(ブリッジ)にあげてもらう経験もできた。

孀婦岩

ブリッジは死ぬほど揺れていたが、どういうわけかあまり酔わなかった。

さらに日が過ぎた。明らかに波はおだやかになっている。今日は小笠原上陸の日だった。そして、昼過ぎ。とうとう、見えたのだ。2日ぶりの陸が。どれほど皆んなが興奮したか。生き延びたと思った。船酔いが酷く、「もしかしたら点滴を船の上で打たないといけないのか」と思われていた班員も生還した。

目の前は見たことのない青さの海で、俗に言う「ボニンブルー(無人ブルー)」だった。そのまま二見港に入港して行った時、すでにやり遂げたと思っていた。

次回、小笠原上陸編である。

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