【あの素晴らしい雪をもう一度】1

膠原病患者も適度な運動が必要であることは意外と知られていない。
私もそろそろ四捨五入で患者歴10年、運動週間もすっかり無くなってしまったので、さすがに不味いか、ステロイドの副作用である骨粗鬆症もある時一気にガタッと来ても困るし、と言うことで、最近になって継続的にできるスポーツを探すようになった。

まぁこう見えても元々はまぁまぁスポーツをしていたのである。スキーと水泳はまぁまぁ得意だった。
今だって四泳法すべて100メートル泳ぎなさいよと言われたら泳ぐことはできる。
スキーだって、一通り滑ることはできる。なにせ発症した14歳の時既に、板を履き始めてから11年。歩き始めが2歳半だから、3歳の時には板を履いていた公算である。最後に滑った時にはパラレルターンができるようになっていた。

ところが、スキーだけは試すことができなかった。まず、物理的になかなか厳しかった。足底装具の入るブーツを探すのが困難だし、なにより膠原病には寒さは大敵。薬でコントロールして一時より治ったとはいえ、少し寒ければレイノー症状が出て指先は真っ青である。
そしてスキーには転倒がつきものなのだが、膝が壊死した私が転倒するのは結構リスキーである。
それで雪山に行こうとはなかなか思えない。

だが、そんな私がどうしてまたこの修論を書いて発表せねばならぬ大切な時にスキーをしようと思ったのか。
その話は昨年に遡る。

某医療機器メーカーさんと福祉機器展で知り合い、なんかの拍子にスキーをしていたことを告げると、そのイカしたお兄さんは「You、まだ滑れるよ」と言わんばかりである。
「いやいや、板履いてた期間が病気してからの期間より短い今のうちだと思うよ」
「マジかよ……」と思いつつも、その話はなかなか魅力的な話だった。
未圧雪バーン、広大なゲレンデ、あの世界にまた戻れるって言うのか?本当か?
半信半疑で調べ始めた。たしかにチェアスキーなるものがあるのは知っている。だがあれは一台買うのに軽自動車はおろか、下手したら普通車が中古で買える金額である。そんなものは到底買えない。少なくとも趣味の域では買えない。今のところ趣味で買った買い物として最も高いものは一眼レフ80,000円である。医学書でさえそれを上回るものは蔵書していない。

しかも国家試験もあるし、模試ですらまだ合格ラインに達してないのに何言ってんだこの野郎。ということで、国家試験もあり、昨年は体験会への参加は見送った。
ちなみに合格ラインに届いたのは本番だった。合掌。

ただどうしても気になって仕方がない。冬のシーズンが待ち遠しい。こんなことを考えるのは何年振りだろう。
「修論は、書く期間が半年くらいあるんだよな……」
そう思った瞬間、行動に移す事にした。善は急げ、である。

まずはパラスポーツの相談会的なのに合間を縫って出かけてみた。これまでスポーツをせねばせねばと言いながら、なぜこれに参加しなかったのか。全く自分の軽薄さは呆れるばかりである。まぁ良い。
すると、意外なことに最少障害に該当する可能性があるという。なるほど、これなら競技会にも出られるかもしれない。
私はスキー人生において教室というものにはほとんど通わず、親の手ほどきでやってきたが、パラレルターンをマスターするにあたって一日教室にかかったことがあった。その際に教えてくれた先生は鬼と呼ばれていたし、のちに競技チームの監督なんかもやっていたことを知ることになった訳だが、その先生が講習会の終了間際、「次目指すならバッジテストか競技会」と言われたのを思い出した。バッジテストは、スキーで言うところの検定試験、英検や漢検のようなものである。競技会の説明は不要であろう。大会である。
つまり、しっかりやり直せば競技の目もあるということである。
また転倒に関してもアウトリガーという、専用の道具を使えばなんとかなるらしいことが分かった。
この日は障害者スキー連盟の人と名刺を交換して帰ることとなる。

次の問題は物理的な問題であった。ゲレンデまでの交通面の問題(雪道の運転が経験なし)は一旦忘れることとした。だが、最大の己の問題はそこではない。用具の問題である。そこは、相談会で私の足底板を見た、スキー連盟の人も懸念していた。足底板がブーツに入るかは如何ともし難い問題の様であった。
私もそう思う。
で、ブーツの試着会的なものがまた仕事ついでにやっているというので立ち寄った。こういうのは久しぶりである。
なるほどふむふむと言いながら入れてもらい、入った。足底板を入れるため、サイズを大きめにしたので先の方が余るが、それは詰め物でなんとかなるであろう。
その時、「やれるのではないか⁈」と思った。あとは体験会で、いい雪を踏むだけだ。雪が良くないと膝に負担である。いいシーズンを選びたい。
やれる、やれるぞ!スキー!

というわけで次。
これまでは親という、いわば素人から仕込まれてきたわけだが、流石に次は障害に理解のある人たちから手解きを受ける必要がある。さもないと膝が危険である。
故、まずは障がい者スキー連盟の雪上体験会に出かけることにした。これなら多少交通が不便でもまぁなんとかなるだろう。多分だが。
で、都合よくやってたのが冬の苗場であった。
そして修論提出5日前。
なんてこったい。だが、断る理由はそう、修論審査だけだ。
まぁでも修論はもう書きかけてるし、多分どうにかなるんじゃないか。多分。そう思って、ええいままよと申し込んだ。

次回、スキー体験会に出かける。
10年ぶりの雪上はいかに。

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