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本物の自信・自己肯定感

河合隼雄さんがおっしゃっていた「強いものだけが感謝することができる」という言葉。これを知るきっかけとなった、慎泰俊さんの「強いものだけが素直になることができる」という言葉に感銘を受けた。慎泰俊さんはこう続ける。

「謙虚素直であることってすごく難しいことなんだな。相手に自らの誤りを指摘され、その結果自分の一部を否定しても、自分という存在が揺るがないという確信があってこそ、人は他人の批判を素直に受け止めることができる。言い換えると、かなり強固な心の基盤と自己変革をしてきた経験がある強いひとだけが素直になれる。そんな強い人はそうそういない」

ここで言う「強さ」とは「自信」のことではないかと思う。本物の自信があるからこそ、他の方の行いに対して心から感謝ができるし、本物の自信があるからこそ、他の方の指摘を素直に受け入れることができる。

「本物の自信」に関係することは、いろいろありそうだ。

何かのミスをしてしまった時、本物の自信を持っている人は素直に謝ることができる。それは、その程度のミスでは自分のポジション(地位?立場?いい言葉が思い浮かばないので、とりあえずポジションとしておく)が揺らがないことを知っているから、謝ることができるのではなかろうか。自信のない人になると、そのミスが致命的であるかのように感じてしまい、謝るよりもミスを隠そうという方向に走ってしまいがちになる。

他人が成功したとき、いい仕事をした時。本物の自信を持っている人は、それを素直に褒め称え、嬉しいと感じるであろう。そのうえで、自分も頑張らねばと自身を鼓舞するであろう。しかしながら、中途半端な自信しか持っていない人は、他人の成功をうらやみ嫉妬し、時には足を引っ張ろうとまでするかもしれない。

また、宋文洲さんも「自信がある人」について、下記のような分析をしている。話の背景は、老人ホームなどで元社長などという肩書を持ちだす人は嫌われるというもの。

(1)過去の立場や知名度を知られていなくても、過去の業績や功績を知られていなくても、一人の人間として他の人間とその場で打ち解け、人々に愉快な思いを与える人

(2)人に理解されなくても、敵視されても、依然として自分の意見や価値観を失わずその場の空気に流されない人

(3)いくらお金があっても、いくら成功しても、それを知らない人たちと普通に人生を送り、普通に些細なことを楽しめる人

(4)そして自信がない時に、自信がないことを受け入れた上、恰好をつけず全力で状況対応に当たることができる人

ただし、自信というのは、ともすれば過信や慢心にもつながりかねない。謙虚さを保ちながら、自信を築き上げていく必要がある。そういった意味では「自己肯定感」という言葉の方が、しっくりくるかもしれない。

また慎泰俊さんの言葉から引用。

「そもそも自己肯定感というのは、自分には世界に居場所がきちんと存在していると確信できることだ。能力や見た目の美しさなどが全くなくても、自分の存在意義が揺るがないという確信。それがあると世界に対して肯定的に接することができるし、人間関係もそこそこにうまくやっていくことができる」

そのために必要なこと。

(1)無駄なマウントをしない

(2)エゴではなく課題に向き合うことができる

(3)自分より優秀な人を味方にできる

(4)耳の痛いアドバイスも素直に聞ける

では、私自身が本物の自信や自己肯定感を持てているかというと、そんなことはない。本物の自信を持つためには、自分の核になる部分、柱となる部分を磨き上げるべく、毎日深く考える習慣を持ちつつ、仕事などではきちんと実績を積むために、考えるだけでなくそれらを実行に移し、自分で納得できる実績を少しずつ少しずつ積み重ねていくしかないのだろう。

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