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早起きエッセイ

早起きしようと思ってできたことはほとんどないのに、早起きするつもりがない日に限ってやけに早く目が覚めてしまうものだから、つくづく自分というものは信用ならない。

せっかく早起きしたのでカフェでも行こうと思い立ち、YoutubeショートとInstagramリールとXのタイムラインの巡回を3周ほどでやめにして、布団から出ることにした。せっかくだから髪もセットしていこう。毎日のカフェ通いが日課のフリーランスデザイナーを装い、少しルーズな服装で空あくびをしながら近所のコーヒースタンドに向かった。

細い路地に面したオープンなつくりのそのカフェは、近くに巨大なアパホテルがあるからか、いつも外国人観光客で溢れかえっている。元々知り合いなのかそこで出会ったのかはわからない外国人たちの談笑の声で満たされた空間は、シアトルに滞在していた頃の空気を思い出させてくれるのでけっこう好きだ。

どちらかというとラテの気分だったけれども、若くて快活な店員さんが今日のおすすめがコロンビアのアイスコーヒーだというので、それにした。テイクアウトのコーヒーを受け取ってしまうと、そのあとは特にすることもないので1分くらいお店を見渡してそそくさと帰った。

そのコーヒーは、甘味があって黒糖っぽい香りがするとのことだったのだが、確かに甘い。確かに黒糖っぽい。けっこうユニークな味だ。でも浅煎りで酸味が強めで、ゴリゴリに苦いアイスコーヒーが好きな僕の好みの味ではなかった。
3口目くらいで飽きて、あーラテにしたら良かったなーと思いながら、そういえば昨日も同じようなことがあったことを思い出した。

昨日はあまり慣れない苦手意識のある仕事があった。それで自分のご褒美として、気になっていたクラフトビールとピザのお店に行こうと朝から決めていたのだ。無事に仕事を終えられたので、もう21時を回っていたが行ってみることにした。それでピザと京都のクラフトビールを頼んだのだが、なかなかの期待外れな味。ピザはもっちり感ゼロのペラペラな生地にとりあえずチーズどっさり乗せましたという感じで好きじゃなく、ビールも冷えが甘くて変に苦味が強調されているようであまり好みの味じゃなく、ちょっと残念な気持ちで帰ったのだった。

そんなわけで二日連続でハズレだったなーと思いながら歩いていたのだが、「でも、好みじゃない味がわかるようになったということは、けっこう喜ばしいことじゃん?」と思った。

昔の自分は、何食べてもたいてい「おいしい」か「ふつう」の感情しかなかったものだから、「好みじゃない」がわかるようになったというのは、かなりの進化である。「好みじゃない」がわかるということは、自分の中に「好み」があるということだ。好きなものが自分でわかるというのは、嬉しいことだと思った。

ごく個人的な感覚ではあるが、多くのものにおいて、好みかどうか、その違いがわかるようになるってのは、案外時間のかかることなんじゃないだろうか。
どんなものでも、たくさん食べたり、たくさんみたり、たくさん聴いたりしないと、実は違いってあんまりわからないんじゃないだろうか。たくさん経験するからこそ、データがたまって、これは好きだ、これは好きなじゃない、ってわかるようになっていくように思う。
だってTWICE好きだけど最初はマジで全員同じ顔に見えたし、日本酒なんかはいまだに辛口甘口くらいはわかるけどだいたい同じ味に感じている。

まあそんなわけで、違いがわかって好みがわかるって嬉しいことじゃん?と思ったのだった。
違いがわかるからこそ楽しくなるし、好きの気持ちも一層深められるのだと思う。
そしてそれって、食べ物や音楽などの趣味に限らず、仕事でも人間関係でも恋愛でも、みんなそうなんじゃない?と思った。

昔ホリエモンが大学に講義に来たとき、学生に一番よく聞かれるのが「やりたいことが見つからない」という質問だと言っていた。で、それが一番ムカつくと言っていた。「だって、そんなのやってみないとわかんないじゃん。」と。
今になってその意味がわかる気がする。経験してみたこともないのに、好き嫌いなんてわかるわけないじゃんね。たまに「直感でビビッと来たんです!」という人がいるけど、正直言ってそれは思い込みでしかないと思う。表面だけ見てビビッとって、それはちょっとね。まあそれも幸せになるための秘訣の一つだと思うが。

少なくとも自分は、経験を重ねないとそのものの違いとか、自分が好きかどうかがわからないたちなので、自分にとっての人生を楽しくする秘訣は、ちょっとでも興味があったらまずできるだけ経験値を貯めてみる!ってことかなーと思った。
今興味あるのなにかなー。ジャズとファインミネラルとインテリアとかかな。


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