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TS氏|朝活日記

最近、朝活にはまっている。

1日が始まる前に2時間弱も話せるし、友達の顔を見てから出社できて嬉しいし、早く起きれると自己肯定感が上がる。いいことずくしだ。

朝活があまりに充実しているので、朝活の日々を「朝活日記」として書き残していくことにする。

・・・

「学友」

ありきたりな言葉だが、彼との関係性を表すには、この言葉がしっくりくる。
大学で出会った友達の中で、一緒に勉強した時間はたぶん一番長い。(自習室でお互いの勉強をしていただけだけど。)
今では誰もが「政治と言えばあいつ」と想起するほどの専門家ぶりだが、始めは同時期に政治に興味を持ち始めて、一緒に勉強して議論したりもしていた。今は教わる一方だけど。笑

勉強はもちろん、色んな遊びもたくさんした。高田馬場のロータリーで「紺碧の空」を大合唱する、あの湧き上がる高揚感を教えてくれたのも彼だ。

さて、出会ったときは「飲み会大臣」を標榜し、男くささというか、早稲田くささ全開だった彼は今、澄んだ清流のような落ち着きを身にまとっている。
見た目は変わらない。むしろ前より芋臭くなっている(失礼)。しかし僕にはなんだか、彼がとてつもなく変化したように見えるのだ。もちろんいい意味で。

先日、久しぶりに会って朝活をして、色々聞いてみた。
ノートとペンを片手に
「TSなんか変わったよね。昔は混沌とした雰囲気あったけど、今は澄んだ雰囲気があるというか、なんか笑」と聞いてみる。

「なんや、今日は取材か?笑 お前こそどうした。笑」

…まあそうなるよな。笑 最近、人の話をちゃんと聞きたいなと思うことがって、できるだけ自分の解釈の挟まない「ありのままの言葉」を残すために、メモを取るようにしているのだ。

昔の彼と僕は、たぶんちょっと似ているところがあったと思う。混沌としたところが。
僕は北海道から、彼は岡山から、大学に入るために上京してきた。お互い浪人もしている。そうまでして手に入れた大学生活だ。
大学1,2年くらいまでは、
「何かしたい。何かになりたい。」
そんな情動に突き動かされて、ほとんどの時間を過ごしていたと思う。

すごいことしたい。学生の中で有名になりたい。負けたくない。モテたい。知らない大学生の成功エピソードの記事を読んで、勝手に憂鬱になる。
そんな絵にかいたような、意識高い大学生だった。

大学も後半戦に差し掛かったくらいから、彼は政治に熱中し始め「マツリゴトーク」なる政治家と若者の意見交流の場を作り始めた。
大臣レベルの議員さんを次々とお招きし、イベントはたちまち大きくなっていった。彼が卒業した今でもこのイベントは後輩に引き継がれて開催されているというのだから、偉大な功績だ。

そうだ。たぶんイベントを引継ぎ始めた頃からだろうか、彼が落ち着いた雰囲気を持ち始めたのは。

「TSやっぱ落ち着いたよねえ。肩の力が抜けた感じというか。なんでだろね。」

「そうやな。最近気づいたんは、ありのままの自分に向き合ってくれるコミュニケーションって嬉しいってことやな。旅で出会う人とか、居酒屋のバイト中に話す人とか、俺のこと何にも知らない人たちと話をして、『お前おもろいやつやな。好きやわ。』みたいに言ってくれるのがすごく嬉しいんよね。1人の人間として認めてもらったような感じがしてさ。政治イベントやってる早稲田生じゃなくてさ、TSという人間としてさ、俺は俺だ。って。俺でいいんだって認めてもらってる感じが、すごく嬉しいなって。すごい人になりたい、何者かになりたい。ってずっと思ってたけど、それよりも、ありのままの自分を認めてもらえることのほうがずっとありがたいよ。」

・・・

そうそう、彼の中で最近、「恩送り」がホットトピックスらしい。
恩を受けた人に返す「恩返し」ではなく、受けた恩をその次の人へと送る、それが「恩送り」だ。

秋頃何人かで飲んだときに、繰り返し繰り返し、
「俺の今の役割は、恩を送ることなんや。」
と話していた。大学を卒業し、周りのほとんどが後輩になったときに、自分がこれまで受けてきた恩を次の人に送っていかねば と思ったらしい。

このときの彼の表情すごく印象的で、心に残っていた。
なんでこういうふうに思うようになったのか、動機が気になって、質問してみた。

「まあ単純な話、人が喜んでるのを見るのが好きなんよ。言うならば、❝究極の自己満❞だね。笑 今まで本当にたくさんの人から恩を受けて、ここまで生きてきたからさ。これは送らないと ってね。」

さらに続ける。

「俺は、自分が無能ってわかってるからさ。野心だけはでかいけどね。器用じゃないから、その場その場でもがくことしかできないんよ。そんな俺を、色んな先生や友人たちがここまで引っ張り上げてくれたと思ってる。優秀な人は自分の力で上がっていけるけど、俺は周りの皆がいないと無理だったと思うよ。
さらに考えると、俺を引っ張り上げてくれた人たちも、みんな別の人から恩を受けて助けられて生きてきていると思うんよね。そう考えたら、俺も次の人に恩を送らないと って思うよ。」

こいつ。。。好きすぎる。

彼の話を聞いて、親鸞聖人の「悪人正機説」を思い出した。

善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。

訳:善人でさえ浄土に往生することができるのです。まして悪人はいうまでもありません。

この悪人正機説は、親鸞最大の逆説と言われる教義だ。普通に考えれば、「悪人でさえ往生できるのだから、まして善人は言うまでもない。」というほうが、理屈が通るように感じる。しかしこれは、世俗の理屈であり、親鸞聖人の真意はそうではない。
ここでいう「善人」とは、「自力で修めた善によって往生しようとする人」を指す。かみ砕けば、自分の力にうぬぼれ、自分の力で生きてきたと考えている人だ。
一方で、「悪人」とは、自分が煩悩にまみれで、全然ダメな人間だと自覚している人を指す。

自分の至らなさを自覚し、自分への執着を手放す。すると、ありのままの自分を見つめられ、すっきりした状態でいられるようになる。そして、他力(世の中に流れる目に見えない大きなパワーのようなもの)に身を任せて、「なるようになるさ」くらいの心持ちでいることが、救いとなる。
悪人正機説を簡単に説明すればこんな感じだ。

たなしょうと話していて、彼はこのことがわかっているんだなと感じた。一度もがきぬいたからこそ、こういうすっきりとした心を持てているのかなと思った。

・・・

彼は今、思い描く社会の実現のため奮闘中だ。色々と今後挑戦したいことについても話してくれた。お互いの将来を考えると、ワクワクする。

話し込んでしまって気づいたら出社の時間。やばいやばいと焦りながらも
、「今日は誰よりも仕事頑張れる気がするな。」そんな風に思いながら、千代田線に近いから と彼が選んでくれた大手町のタリーズを後にするのだった。

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