絵画における具象・抽象・象徴
・具象絵画
・抽象絵画
・象徴絵画
この3つの絵画の違い、の考察。
まず具象と抽象の一般的な定義。
『具象は形がはっきりしていることを意味しており、抽象は形がはっきりしないことを意味しているため、具象と抽象は対義語・反対語になっている』。
絵画の分野では、絵のモチーフ(具体的な形のある題材と、形のない題材)の違いである、などと説明される。
山とか船とか椅子、これは具体的な題材全般。
抽象的な題材とは、愛とか自信などの内面的な感情や気分、あるいは音楽や思想哲学など、形のないもの全般。
*ただし抽象絵画の中には、具体的な題材を抽象的に描いた作品もある。(建物や木や鳥を抽象化して描くなど)
いずれにせよ、絵画的な表現では【具象⇔抽象】と言う方向性の違いになる。
表現手法においては対極にあるから、どちらの方向性の絵か、見た目の区別は意外にわかりやすい。
(ただし、公衆トイレの男性用と女性用を区別する簡単なデザインのアイコン、企業のロゴマークなどは、個人がごく自由な動機で制作した絵画とは、制作動機や役割が違う。
広く社会的な役割や、一般的な意味付けがある。
誰に対してもその簡単なデザインの絵が、何を意味しているのか、容易に理解してもらうための表現である。
だから、絵画一般の具象・抽象の分類と違う目的と方法論で制作される)
ところで具象絵画・抽象絵画のほかに、【象徴絵画】と言う用語がある。
『象徴とは、抽象的な概念を、より具体的な物事や形によって表現すること』などと定義されている。
絵画では象徴絵画も、抽象画と似たような抽象的なモチーフ(題材)を扱うのだが、絵の表現自体としては比較的にはっきりした線や形を使って、あるいは具体性のある物を描くことによって、制作者が表現したいモチーフを視覚的に表現する。
モチーフは抽象的だが、絵の表現としては具象的、と言えようか。
具象絵画と違うのは、描くモノや空間自体を正確に把握して表現するのが目的では無く、
絵のモチーフ(題材)である抽象的概念を、うまく表現するための手法としての具象的表現であり、あくまで抽象的なモチーフを的確に表現するための手段である、ということである。
手段であるから、必ずしもデッサンや絵画技法の決まり事や、伝統的な絵画の定石に沿って描くわけではない。
むしろ、デフォルメ(対象を変形・歪曲して表現する、色彩を強調・誇張するなど)の手法もよく使われる。
人物の体型を異常に細くしたり、色彩を必要以上に鮮やかにする、など。
デフォルメの手法は商品デザイン、店舗の看板など、商業的なデザインにも使われる。
漫画やアニメなどの表現手法としても、デフォルメが多用される。
つまり現代の文化は、デフォルメ氾濫の文化とも言える。
象徴絵画もデフォルメ文化一般に含まれるように見えるが、じつは根本的な制作動機が違う。
デフォルメ文化のほうのデフォルメは、【社会的・産業的・商業的な必要性】が主な動機である。
そのための技法としてのデフォルメであり、むしろデフォルメそれ自体が価値になる。
象徴絵画はあくまで、【絵を制作する人間個人の内面にあるモチーフ(抽象的な題材)を、自由で自発的な表現欲求を動機として描く】のであるから、象徴絵画においてデフォルメの手法を使う動機は【抽象的なモチーフを表現するための手段のひとつに過ぎない】、と言う点が違う。
制作動機が、
・ごく個人的なモチーフと表現欲求から来るものか、
・社会的あるいは職業的必要性から来るものか、と言う違い。
【極めて個人的で、自由な表現欲求
⇔それ意外の動機や目的(商業的・職業的必要性、社会的なニーズなど)】
*あるいはその中間あたりのもの。例えば、作家個人の自発的な表現欲求を主な動機として描いた漫画を商業誌で販売する。興行的なイベントのキャラクターやロゴのデザインに応募する、など。
これは作家個人の表現欲求と社会的・商業的なニーズが、うまくマッチしたときに成立することがある。
象徴絵画の場合も、たまたま商品として成立する場合もあるが、それはあくまで個人的な動機で自由な制作をした後の、結果論に過ぎないと言う点が重要である。
最初から商品として売ることを想定しつつ、象徴絵画的な絵を制作したならば、
それは本来の象徴絵画の制作ではなく、【象徴絵画的なアプローチをとった商品】の制作である。
善し悪しの問題ではなく、ごく単純に個人的な絵の制作動機の問題であるから、描いた絵が売れるかどうかが非常に気になるならば、それは商品制作的な動機で絵を描いていることになる。
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