見出し画像

【間接的な関わりの数ではなく、現場で感じることがすべての行動のスタートだ】

これからの仕事を組み立てていく上で、自分にとって大切にしていることはなんだろうとじっくり考えてみた。

今日時点での結論は
“自分の感覚すべてを生かして現場を感じ、課題解決の一歩を踏み出すこと”だ。

(昨日アマプラで「銀の匙」が配信されていて、すごく久しぶりに観たけど私はやっぱりここだなと思ったり)

わたしにとっては、大人数の前で伝える建前とか、
目的を理解せずただ目の前にものを機械的にこなす仕事には
まったくこころが揺さぶられない。
これらは私の中では「仕方なくやっていること」という感覚に近かったと思う。

例えば1


仕事的には農業現場のことが大半だったけど、机上の理論とかはあくまで後からついてくるものだと思っている。
反対に、現場を見ずともすぐに結論を出せてしまう人はすごいなと思っていた。
「この人たちの頭の中はどんな構造になってるんだ!?」といつもグルグル…
どんな推測も必ず自分の目で確認したかった。

相手が人相の悪いひとであろうと、へき地であろうと、車を走らせ自分も走り、現場を自分で感じる。
話してみてわかること、相手の表情、その人が持っているもの、雰囲気、家族との関係…
自分が持っている感覚すべてを生かすことで、課題を見つけていたと思う。目立って得意なことがない私に唯一できることが、定量化できないこれなんだと思う。

例えば2


学生の時から、いわゆる「社会問題」には興味があった方だったと記憶している。
でも、そもそも15歳から技術者教育を受けていた私は、こういったことを身近にディスカッションできる人が少なかった。
というか、自分の身の丈に合わず勉強がちょっと大変すぎたので、ボランティア活動とかに専念できる時間がなかったとも言える。(基礎学力…泣)

社会人になってから好きにやらせてもらったけど、
そんな私はまだ“ただ与えるひと”にはなれないでいる。

それもこれも「自分で見てないから」という点がかなり大きくて、
「この行動でほんとに救われる人たちがいるのか?」といつも考えてしまう。

具体的なアクションの根っこは、やはり現場にある。
かつそれを自分で感じることがすべてなんだと

“課題解決の一歩を踏み出すこと”というちょっと自信のなさそうな表現をしたのは、現場の課題は「その瞬間(とき)の課題でしかない」と考えているから。
そして自分に見えている世界にも限りがあると思っているから。

変わっていないように見える環境も少しずつ変化していて、ひとの気持ちも必ず変わる。だから、その時に感じた課題を解決するための行動を全力でやること。

なんでもできる人には到底なれないけど、
こんな軸でこれからも仕事できたらいいな~なんて考えてます(゜-゜)