その日が来たら蕎麦を食べよう
ルミネtheよしもとで、メトロンズのコント単独初日を観劇。メトロンズの演劇公演の過去作は映像しかみていないので、初めてのコント単独、かつ現場で見ることができた。
見終わって直後の、全くまとまっていない個人的な感想を備忘録として残しておく。
個人的に今年は「演劇とコントの境目を考えよう」をテーマに、芝居やお笑いを見たいと思っていたので、芸人として両者に向き合っているメトロンズの公演は絶対に見ておこうと思った。
ここで言う「演劇とコントの境目」は、専門的なカテゴライズの話ではなく(もちろん、メトロンズがそれらをどう捉えているかという分析でもなく)、あくまで私自身が、「演劇的だ」「コント的だ」と感じる境目を見極めたい、という自己分析に紐づいた道楽である。
そして今回のメトロンズ単独では、シンプルに「めちゃくちゃコントだ!」と感じた。コント単独だから当たり前だけれども。
体感として、この境目に笑いの量は関係がない。めっちゃ笑えても演劇みのあるネタもあるし、スタイリッシュな不条理系でもコントだな〜と思うネタもあるし。
今回、設定や展開で演劇っぽいなぁと感じる演目もあったが、やっぱり過去作の演劇の公演を見た時とは全然後味が違う。
たとえば、試合前のボクサーの控え室に友人たちが集うコントは、日常でもよくある人間関係のちょっとしたズレや、共感しやすい苛立ちの描写が際立っていて、特にメトロンズっぽいな!と思った。めちゃくちゃ笑った。
一方で一番心に残ったのは、地球最後の日の蕎麦屋のコント。これはかなり演劇を見たあとの後味に近いものを感じた。演劇というか、ショートフィルム的かもしれない。絶望的な状況を淡々とほのぼのと他人事のように描く作品が好きなので、星新一や、浅野いにおとかも思い出した。
分かりやすいオチ台詞で締まるネタではなかったのもあり、最後の暗転への演出でゾワゾワと鳥肌が立つ感覚は、たまらないものがある。私はああいうネタが大好きだ……。
私にとって、コントと演劇の分かりやすい境目は「観客へのメッセージの有無」だと思っている、現時点では。(これに関してはそのうち考えをちゃんと整理したい……)
そもそも境目なんてものはなく、コントと演劇のベン図が重なった「コントかつ演劇」の作品もあると思っているが、私の中で蕎麦屋のネタはかなりこの位置かもしれない。
それでは、もしも蕎麦屋のネタにメッセージがあるとするなら、何を受けとったのか?と言われると、それを言語化するのはかなり野暮な気もする(ネタバレにもなるし)。とりあえず、地球が滅亡する瞬間は好物を食べて死にたいなと思った。
多分、私が生きているうちに地球最後の日が訪れたとしたら、私はきっとあのネタを思い出す。そして、「空いてる蕎麦屋あるかな」と想像すると思う。そこに集っているかもしれない人のことを考える。そしたら一瞬でもワクワク出来る気がする。
他にもたくさん面白いネタがあってたくさん笑ったけど、とにかく2024年5月の自分は、地球最後の日の蕎麦がぶっ刺さったことだけは、ここに残しておく。