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老人K

お久しぶりです。
と言ってももはやどんな方が私のこれを見てくれているのか謎ですが、ベトナムから一時帰国中にふと茶飲み友達だった老人Kのことを思い出して
まぁ、もう亡くなってしまったのですが、何か言葉にしないといけない衝動に駆られて書いてみてます。

簡単に近況報告をすると、私は相変わらずベトナム在住で、ここ数年の大きな変化と言えば、昨年上半期に離婚しました。
思えば結婚報告をしたのもこのnoteだったので、ここでもサラッと触れておきます。離婚は精神的には大変ではありましたが、結婚したことも離婚したことも一度も後悔することなく今があるのは元旦那の人柄に依るところが大きく、感謝しています。
円満離婚って何だよ、って感じですが円満離婚です。細かい理由は自分たちでも上手く説明できないので聞かれた際はお互いに「方向性の違い」と答えてます。バンドかよ。

で、前置きが長くなりましたが今回私が書き留めたかったのは老人Kのこと。
10代の終わる頃にアート関連のイベントで出逢った白髪のおじさんは自らを「(苗字)+老人」と名乗っていたので何も疑問に思わず私も老人Kと呼んでいました。思えば当時はそこまで老人でもなかったのかな。
今でこそ、並んで歩いていたらパパ活と言われかねないのかもしれませんが、(なんなら当時もエンコーという言葉はあったな…)
そんなことも気にせず、彼の元出版社勤務で本好き特有の豊富な知識と老人らしい話し方、そして絵画や舞台鑑賞などの共通の趣味もあり意気投合して、そこからかなりの何月、細々と定期的に会ってました。
私と老人の名誉のため念のため書きますが、お金をもらうようなことは一切なかったです。(お茶とかご飯はご馳走はしてくれたけどね。)
私の地元が彼の職場近くだったこともあり、暇な時間に近所でお茶するというのが1番多かったけど、中でも絵画教室に通っていた彼の最近の絵を見せてもらう時間が好きでした。
彼は長年絵を描き続けているけれど、それがなかなか下手くそで、でも味があって、それをあーだこうだ言う他愛もない時間。
もちろん恋心を抱いたことなど皆無で、お互いに用がない時に会うくらいの友達だった老人Kは優先順位はそんなに高くないけど、定期的には会いたい茶飲み友達でした。

でも、約2年前に死んでしまった。

いつもベトナムからの一時帰国はバタバタしているけど、そんな中でもぽっかり予定のない日があって、ちゃんと遠出するほどの気分じゃないけど、誰かに会いたい時にちょうどよく会えてた老人K。
2人でよく行った古い喫茶店は外から見えない小さな中庭があって、何を話したか思い出そうとすると全て取るに足らないことだけど、その時間は私には必要な時間だったな、といなくなった今改めて思い知りました。

あー、老人Kに会いたいなー、別に特に話すことないんだけどなー、老人と過ごした日々はなかなか良かったよ、ありがとうとかちゃんと言えてたかわからないけど、私の最年長の友達でい続けてくれてありがとね。それくらいは私が言ってから、逝ってくれりゃ良かったのに。でもまぁ、伝わってたかな。

あんまり深く考えると泣けちゃいそうだから、今日はFacebookに載ってた彼の絵でも眺めて爆笑しておこうと思います。

真珠の耳飾りのおばさん by 老人K

しかし、ヘッタクソだな!笑
天国でもっと練習しておくように。



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