NAMKLIM

悲しいんじゃない、ほろ苦いんだ。

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最近の記事

Polar Optics SOLARON-M 35mm F2 買った話

手を出すことはなかったが、高級時計に興味を持っていた時期があった。 腕時計の世界には、オマージュウォッチという言葉がある。その名の通り、 著名メゾンのアイコニックな意匠の一部を引用したもので、古今東西、星の数ほどのオマージュが作られてきた。言わずもがな、ロレックスやオメガなどが本家本元の代表格だ。 中にはデザインを丸ごと頂戴しているものもある…その場合、コンセプトとしていくらオマージュを謳ってはいても、傍目から見ればパクリであり、見た目だけの時計=ガワ時計、あるいはコピー

    • NIKKOR-S 50mm F1.4 買った話

      最後のSマウントレンズ、NIKKOR-S 50mm F1.4とアメデオアダプターがやってきた。いわゆるオリンピックニッコールの復刻版、ミレニアムニッコールとも呼ばれている。 例によってここに辿り着くまでも脳内でひと悶着あったわけだが、要するに純正には手が届かないし、かと言って素直にプラナーを買えるほど大人にもなれず、ノクトンは3本も要らないし、さりとて70年前のレンズも…という拗らせゆえの選択である。 レンズについてはこちら→https://www.nikon-image

      • BiSH解散によせて

        その日が今日であると思い出したのは、この動画を見たからだった。 2023年6月29日、BiSHが解散する。 解散それ自体について言うことはない。「テッペン獲って華々しく辞めようぜ」というJJの提案が、あの段階でなされたということが公表されたとき、自分の中でBiSHは終わったのだから。チッチが最後まで納得できなかったと知って、むしろほっとさえした。 BiSHとの出会いは、それまでの音楽ファン人生の中でもなかなかに衝撃だった。 ファンになったきっかけをもじって「〇〇新規」

        • ニコラーZ6になった話

          5月の終わり、せっかちな夏が顔を出すころ、フジカラーにお別れを言った。 まさか自分が4ヶ月やそこらでボディを手放すとは思わなんだ。 とはいえ、これもまあ、予想通りの結末ではある。 そもそもX-S10に決める前、対抗として最後まで残ったのがZ6だ。妙に曲線的な外観、酷いデザインの水準器、軽すぎるシャッターボタンなど、わかりやすく気に入らない点が多かったので選ばなかったという経緯がある。 いっぽうのX-S10は、使っていくほどに不満が増えてゆき、耐えきれず放出と相成った。覗き

        Polar Optics SOLARON-M 35mm F2 買った話

          パパ・ズマロン

          なんの自慢にもならないが、M型ライカのユーザーとしては、金銭的に最底辺にいると思う。 100万円オーバーの新品ボディは言うに及ばず、レンズもAPO誰それやらノクチなんとかはもちろん、Summi何某だって、現行どころか、二世代前にすら手が届きやしない。やっと手に入れたMM246だって、40万ちょっとの中古を〇回払い(お好きな数字をどうぞ)という有様だ。いつ訪れるかもわからない修理の日に怯えている。 だけどレンズが欲しい。 そう、レンズが欲しい。 道楽で写真を撮っている自分

          パパ・ズマロン

          モノクローム習作

          何かと話題のモノクロ専用カメラ。 普通の人からしたら、デジカメなのにモノクロしか撮れないだけでもどうかしてるのに、それがほとんど同時に2社から販売されるなんて、とても正気の沙汰ではないだろう。 モノクローム、あるいはフィルミックな写真表現を選ぶことについて、「フィルム現像の経験がなければ滑稽なだけ」という批判を時々見かける。自分にはその経験がないが、そもそも写真とは何ぞやという意味で、まっとうな意見だとは思う。 ペンタックスにしろライカにしろ、アナログ機構のモノクロ専用

          モノクローム習作

          晩春の135mm

          父は元カメラ小僧である。 防湿庫の扉を開けると、その時代の人らしく、NikonやPENTAXの名機・銘玉が並んでいる。 父らしく、そこに某L社のものは一つもない。その気になれば買えたはずだが、そんなものは要らんということなのだろう。至高でも最高でもなくとも、優良なものは数え切れないほどにある。ここは工芸大国ニッポン、当たり前の話だ。 思えば楽器にしろ、洋服にしろ、上を見ればキリがないジャンルにおいて、すぐに「いいもの」を欲しがる私(これは完全に母の影響だ)に対して、父は

          晩春の135mm

          江ノ島スナップ

          10年振りくらい? 里帰りの前に、江ノ島へ立ち寄った。 旅のお供はXF23mm F2 R WR。 みんな大好きFuji X Weeklyから、いくつかお試し。 子どもを抱えての島旅、坂と階段が多くてヘトヘト。

          江ノ島スナップ

          Signs Of Spring

          柄にもなく、三度も満開の桜を撮りに行った。 否応なしに心が華やぐ、薄桃色と水色のコントラスト。 どっこらせとデジタル2台を持ち出して、フジカラーを楽しみつつ、その場でアタマをモノクロに切り替えるトレーニングも兼ねて。 終わりの椿も忘れずに。 重い腰を上げて、ようやくマウントアダプターを買ったんだけど、どうもしっくりこない。前のエントリでも上げたけど、絞ってもなーんかシャキッとしないという印象が拭えない。 で、色々と調べたり試したりしてみた結果、積極的にアダプターを噛ま

          Signs Of Spring

          モノクロームの桜吹雪

          00年代のヴィジュアル系みたいなタイトルね。 正直に言うと、Mモノクロームを手に入れるまでは、モノクロ写真を撮ろうと思ったことは殆どなく、まして花景色からわざわざ(後処理で)色を取り払おうなどとは、考えもしなかった。 そんな自分がなぜTyp246を選んだか。それは、ライカという身に過ぎたカメラを使うにあたって、何かしらの制限を設けるべきだと思ったからだ。 M型デジタルは何かと不便だが、カラー機ならば、凡百のミラーレスと同様に、漫然と使ってしまうことも十分にできる。 モノ

          モノクロームの桜吹雪

          ライカとライカで行く晩冬の木曽路、あるいは復活のノクトンクラシック

          2月の初め、無性に遠くへ行きたくなり、午前6時の電車に乗って、木曽の宿場町を訪ねた。 木曽路を訪れるのは6年ぶり。前回は開田高原と御嶽山の近くを散策したと思う。ロープウェイにも乗ったはずだ。 自分が興味を引かれそうで、意外やそうでもないもののひとつが、古い街並みというやつだ。 建築への解像度を持たないのが主因だが、それ以上に、箱物観光地としての「作られたレトロ」を好ましく思わないからだ。 在りし日の姿が保存されているもの、精巧にそれを復元したもの、ともに異なる価値があるのは

          ライカとライカで行く晩冬の木曽路、あるいは復活のノクトンクラシック

          フジカラーと行く岐阜

          その街を知らなかった日のことは思い出せない。 愛しい風景というのは、 初めて出会ったその瞬間から、すっと心と混ざりあって、なぜか懐かしく、ずっと前からそこにいたような、自分にとって、ひとつの赦しのようなものだ。 岐阜はそんな場所のひとつである。 岐阜が好き、と言って、近隣地域の人から賛同を得られたことはないけれど。 一年ぶりの岐阜んぽは、慣れない23mmレンズと換算35mmでのフジデビューも兼ねて。 以下、すべてRAWストレート現像。 フジの23mmには、神レンズの名

          フジカラーと行く岐阜

          Leica M Monochrom(Typ246)とFUJIFILM X-S10を買った話

          煩悩を断ち切るためにM型ライカを買った。 思えばノクトンクラシックの作例に感じ入り、Mレンズを手にしたあの時から、いつかはこうなるとわかっていたのだ。 Mレンズのみを買い集め、α7iiにつけて撮る日々は、誰もが思う「いつかはライカ」とのせめぎ合いになる。 …その日がやってきたというだけだ。 いつかにしては早すぎると妻にたいそう叱られた。 夏前にLeitz Minolta CLを入手たとき、実質M5だしこれで俺もM型ライカで撮るぜ!と意気込んだは良かったものの、いかんせん

          Leica M Monochrom(Typ246)とFUJIFILM X-S10を買った話