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私たちの夫婦の話⑨婚姻費用の分担請求に対して円満調停を申し立ててきた夫

6月に婚姻費用の分担請求の調停で始まった初日、夫は、円満調停を申してて決ました。この真意はいまだ謎です。

もしかして、私の性格上、円満調停を申し立てくることにより、私が腹を立て、離婚調停を申し立てるように仕向ける魂胆なのかと思いました。普通、離婚調停はよく聞きますが、円満調停を知っている人は少ないでしょう。私もこの時初めて聞きました。きっと夫も弁護士に相談したのでしょう。叩いた事実はあるけれど、虐待とは認められないと主張していたのも、弁護士の助言があったのだと推測されます。

その後、何とも話がかみ合わない調停が2回ほど続いた後、調停員さんは、それなら、お互い直接話したらどうですか?というので、「ここでですか?」と聞くと、そうじゃない、別の場所でだと言うのです。調停中に会うのは良いのか聞くとそれは自由だと言うので、それならと一度、コメダで会う事になりました。

夫は、そこで、家に戻りたいとか仲良くしたいという言葉は一切なく、下の息子をどうやって強制させようとか言っていました。私が、強制なんて必要ないと言い、見守るしかないんだと言っても、「日生学園にでも入れるか」と言うのです。日生学園というのは昔超スパルタで有名だった高校で、ダウンタウンの浜田さんの母校です。

私はそこでももう絶対同居は無理だなと思いその場を後にしました。

そして、8月に家を出て、ハイツに引っ越しました。次の調停で「家は出たので、ローンを払う必要はないでしょう。」と主張しました。
そうしたら、そのまた次の調停で、夫は、転勤が決まったというのです。それで、夫は円満調停を取り下げという形で調停は終わりました。

私たちは、3DKのハイツで暮らし始めました。以前住んでいた一戸建ての家から比べて半分以下の狭さになりました。私は結構いろんなものを処分しました。娘や息子にも物を減らすように言いました。引っ越しの荷づくりをしている時、娘が「私はこの家に一人で残る。1人で暮らす」と言い出したのです。友達も近所にたくさんいて、快適な家を離れるのは娘にとってとても嫌な事だったのでしょう。でもどうする事も出来なかった。1人残すわけにはいかないので、半ば喧嘩のようになりながら、引っ越したのでした。

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