3月 いつもと違った道を歩いて見つけた桜並木
8月 通り抜けた町から見える田んぼ道
10月 暑さが引いた夕焼けの海
12月 忙しく過ぎていく師走支度の参道
いろいろ心動かされる景色というのがあって、春の桜とか夏のあぜ道、秋の夕日、冬の街、ボーっと眺めていたいけどそうもできない景色がある
この前そういった景色などになぜ心動かされるのか?について少し思ったことがあるのでまとめておこうかと思う。
学生の時は理系で古文はよく分かってなかったので調べるのに手間取った。忘れてるだけかもしれんが知らないこと多し。
うつくしい
上記のような景色などを表現するときに美しいという形容詞を使うが、美しいとはなんだろう
辞書を引くといくつか意味があって、この場合だと1のイになるだろうか。美しい町並み。きちんとして感じが良い。
でも少しニュアンスが違う気がする。うつくしいとはどういう意味なのか。補説がある
元々は親子や夫婦の間のいたわりの愛情を表していて、そこから小さいものへの愛情、さらに一般的にこころや感覚に喜びを与えるもののようすをいうようになったようだ。
もう少し言葉の意味を追ってみる
「うつくし」の意味変遷(奈良時代)
ここでは『「うつくし」の歴史的意味変遷について』という論文があったのでこちらを参考にしたいと思う
出版者 山口大学人文学部国語国文学会
発行日 2020-03-01
作成者 本明 緑
本明(2020)によるとまず「うつくし」という言葉は古語ではかわいいという意味だったようだ。先行研究もいくつか掲載されているので一般的にそういう認識でよいのかなと。
これによると奈良時代の万葉集では愛しいという意味で使われていた。
親が子、もしくは夫婦間での可愛く思い愛情を思うさまを表していたようだ。古文辞書を引いてみる。
万葉集の800番の例があって、「妻子見ればめぐしうつくし」で妻と子を見るといとしい。という訳になっている。
万葉集を探してみると他にも「うつくし」が使われているのでそちらも確認する。
漢字本文が原文だろう。愛人と書いて「うつくしきひと」と読むようだ。これは恋人を思って読んだ歌なのかなと思う
こちらは長いので該当箇所を抜粋。愛久で「うつくしく」となるようだ。子供が愛しく・かわいく言うので、というような意味だろう。もうひとつ
こちらは万葉仮名で有都久之で「うつくし」と読むようだ。800番も原文は宇都久志となっている。母に対してなので慕わしいという訳になっていて、母子の愛情を表す言葉として「うつくしい」という言葉がつかわれている。
「うつくし」の意味変遷(平安時代)
これが平安時代に入ると少しずつ変わってくる。
先ほどの論文では竹取物語でかぐや姫の形容として「うつくし」が用いられていることに触れていて、ここでは可憐であるというような意味だそうだ。
研究によっては奈良時代のいとしいという意味の説もあるようだが、ここから源氏物語などの平安文学での中心的な用法は可憐であるというような意味になっていくようだ。ただ対象についてはまた女性や子供が中心で、動物や自然物に対して使われるケースもあるようだが特例のようである
枕草子ではうつくしきものの段があるのでそのものについて書かれたものだろう。これが鎌倉時代や室町時代になると現在の用法「きれいだ」がふえていく。
「うつくし」の意味変遷(鎌倉・室町時代)
さきほどの③が平家物語で鎌倉時代には「うつくし」が美しい、きれいだの意味で用いられてくる。
他に増鏡(ますかがみ)では後二条帝の即位のシーンで立派でというような意味合いで使われている。
また建春門院中納言日記でも使われていて、
そのほか、さきほどの本名氏の論文(2020)によると、宇治拾遺物語において「きれいだ」の意味で用いられているものが10例中7例となっているようで、この頃からきれいだの意味に変わってきたようだ。
また対象についても女性や子供だけでなく、衣装や花、曲や文章など人が作り出したものに対しても美しいが使われるようになり、男性にも用いられるようになったようだ。もっとも男性の場合は着飾った様子や行動のさまに対してであって増鏡のシーンもその一つだろう。
本明(2020)によると「うつくし」の意味が変化するきっかけとなったのは「らうたし」の登場であるという。
「らうたし」はかわいいという意味で、それと区別するために美の概念(きれいだ)が付与されていったのではないかという。
またきれいだを意味する「うるはし」から「うつくし」の美の概念に受け継がれたのではないかと推測する。
そのきっかけとして花に「うつくし」がつかわれたことから対象がひろがっていったのではという。
らうたし
ここで「らうたし」を確認してみる
「ろうたし」という言葉は現在では見かけないが古い小説で見たことがある。
辞書の[補注]にもあるように、いつくしみの感情を起こさせる、弱々しく痛々しい、または、いじらしいものの可憐な状態を表わす属性表現の語とある。そちらと意味が区別される方向で美しいは「可憐な」というような意味では使われなくなったのかもしれないということだろう。
「うつくし」の意味変遷
ちなみに英語のbeautyの語源はこちらで
とあって、古典ラテン語では女性や子供に対して使われていたので経緯は似ているのかなと。もっとも印欧祖語のdeu-「実行する、表現する;賛成を示す、敬う」起源なのでスタートは異なっているかもしれない
うつくしの意味変遷を図にするとこんな感じだ
一旦これで「うつくし」の言葉は元々母や子供、恋人夫婦に対しての愛情の言葉から来ていることは分かったが、景色に対して美しいといってもそれだけで表現が足りていないと感じる時もある。うつくしい、つまり日本の美意識とはなんだろうか?
美意識となると美しいものばかりか醜までも含む広義の美とあり、単純に美しいものだけではなくその反対も含むことになる。
ちなみに先ほどいくつか調べていた中で日本の平安時代の美的な理念として「あはれ」と「をかし」があるというのがあった。高校時代に習った気もするが覚えていないので改めて調べ直してみる。
「あはれ」「をかし」
「あはれ」は心の底でしみじみと感じるさまを表す言葉であるのに対して、「をかし」は外部から観察して批評して捉えるときに使う言葉であるようだ。
古今和歌集の有名な歌「心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮れ」をが「あはれ」を表しているのは感覚的には理解できる。「あはれ」についてもう少し調べてみる
「あはれ」
調べてみると万葉集の奈良時代に「あはれ」という言葉は既にあったようだ。訳としては感動詞としての「ああ」となっていて悲痛や悲嘆の声を表した言葉のようである。ひとつだけ秋山の黄葉が「あはれ」とあるがこれも悲しい様子を表しているような感じである。
古語「あはれ」は喜怒哀楽とあるが、万葉集で使われている「あはれ」を見ると「哀」中心かなと思う。深い感動を示すので、「驚」もあるようなそんな感じ。古語での「あはれ」について調べている論文がありそうだが「あはれ」や「もののあはれ」について書かれたものが多数あって調べられなかった。
ただこちらの語源のサイトによると、『「ああ」は有れ』から来ている言葉でもあるようで、興味深いところ。
単純に感動を示すなら「ああ」でもよいのではと思うので、「ああはあれ」つまりああは有るがというような言葉があったのではないか?と思ったりもする。現代文だと「あんなことある?」(いやないよね)の反語的な感じなのかなと。もう少し調べてみたいが先に行くとする
「をかし」
ここで次に「をかし」のほうを調べてみる
先ほどの辞典に戻ると用例は平安時代以降に見られとあって、たしかに万葉集には見当たらない。
世界大百科のほうでも語源不詳とあり、をこの形容詞化やおぐの形容詞化とあって今一つ微妙な説ではある。
http://nihongo.hum.tmu.ac.jp/tmu_j/pdf/21/21-1%E9%BB%84%E9%BE%8D%E5%A4%8F.pdf
黄氏の論文によると「をかし」の初出は竹取物語で伊勢物語、土佐日記とある。いずれも「をかしきこと」というようにことを連体修飾していて
とあるので竹取物語や伊勢物語の成立年代から、平安時代初期ころにはいきわたっていた表現なのだろう。このあと、落窪物語や宇津保物語、源氏物語と時代が下っていくにつれて、「をかしき君」「をかしき姿」や「をかしく思ふ」「をかしく見ゆる」などと用法が広がっていったようだ。
世界大百科事典にあるように、「をかしきこと」は新鮮な印象を与えられ、好奇心や関心を喚起される感情が基本ということで、「気になること」という感じなのではないかと思う。「をかしき」はシク活用にあたっていて心情を表すことが多く、「をかし」「かなし」のような言葉がでてくる。「かしく」で調べると他のシク活用の言葉「なつかし」が万葉集に少しだけ歌があった。
「なつかし」
不思議だが、奈良時代の「なつかし」は心ひかれてとなっていて現代の、昔を思い出して楽しい、懐古の情とは違った使い方のようだ。
辞書を引くと「なつかし」は1の使い方が原義であったようだ。「うつくし」や「なつかし」「をかし」も意味が変わってくるのだなと思う。他のシク活用の言葉を調べてみると何かわかるかもしれない。「さぶし(寂し)」「くし(奇し)」「こひし(恋し)」などたくさんある。
ここで、「あはれ」と「をかし」にもどって整理すると以下のような違いがあるのかなと思う。
「あはれ」は名詞になるので、何かを見て感じる気持ちのことになるのだろう。「をかし」は形容詞なので対象を表現説明する語句になるが、興味引かれる、風情があるというのは一種メタ的な認知状態でもあるのかなと思う。
夕暮れを見たときに、「あはれ」を感じ、またなぜか「あはれ」を感じるものを「をかし」と興味深いなということなのだろう。
もののあはれ
それでここで最初に戻って、春の桜とか夏のあぜ道、秋の夕日、冬の街を見たときに感じるものは何だろうという問いに戻る。
「うつくし」は現代語ではきれいだとなるが、ただそれだけではないなと思う。このような景色を見たときに感じるのは「あはれ」が近いだろう。
あはれを調べている時に「もののあはれ」という言葉もあった。
なるほど、たしかに感覚的にはそのような感じがする。江戸時代に本居宣長が「もののあはれ」を提唱したようだ。
ここで気になったのは、wikipediaでも取り上げられていた西行法師の歌だ。
こころなき身でも「あはれ」は知っている。鴫の立つ秋の夕暮れ時を見れば。つまり西行は「あはれ」は人生無常ということを感じる・考えるという風に捉えたのだろう。
この無常観というのがポイントなのかもしれない。無常とは常ならずで変わらないものはない、命ははかなく、不変だと思って執着することは苦しいということだ。
必ずしも、「あはれ」が無常を感じたときの感情とも思えないが、無常を感じたときに「あはれ」と思うことはありそうだ。
つまり、桜を見て心が動くのはすぐ散ってしまうからであり、夏のあぜ道は記憶の中にしかないからであり、秋の夕暮れはもうすぐ冬の到来を予感させるからであり、冬の町は今年一年が終わりだと感じるからなのかなと思う。
図に描くと目の前の景色を見ながら、それが変わることを知っているが故に感じる情感となるだろうか。
感覚的には見えている景色と、違った時間軸で交わる景色なのかなと感じる。
ここから考えると日本文化ででてくる「わび・さび」というのは無常観だが逆の見方をしているとも言えなくもない気がする。
わび・さび
「わび」は不足した状態を表していて、万葉集では恋が実らず苦しむ状態で使われている。ここから貧相・不足のなかに心の充足を求めようとする動きとあるが、古今和歌集では次の歌があり
足りている状態を知っているから不足が分かるのであって、「わび」では理想や現実との距離感が感じられる。ただそれはそれでも良いかと悟りの形で認識する様子ともいえる。
一方、「さび」のほうは本来は時間がたった様子を表していて、かけた茶碗とか年季の入った木造住宅ということになるだろう。Wikipediaよりは
とあって、さらに転じて人が居なくなったを表す寂れるという意味も持つようにはなったようだ。万葉集や新古今和歌集でも「さび」という言葉はでてくる。
これらの使われ方からは「さび」は時間が経って変わった情景や元の風景を思い出して読んでいる。「あはれ」とは少し違った捉え方になって図にするとこんな感じか
ここでは「あはれ」と逆で過ぎた現在や不足している現在から、過去やかつての理想などを思い出している。「あはれ」では未来との対比であったが、「わび・さび」では過去との対比があるのかなと思う。そしてこれはどちらにしても無常ということだ。
無常
ちなみにうちの父方は浄土真宗で法事もある。この前調べるとこの法事は単に亡くなった方の供養だと思っていたが浄土真宗では趣が違うようだ。
つまり亡くなった人は仏として生まれ変わっている。そして残された人はそういうお別れを経て無常を感じつつ、自分たちはどうしていくかを考えるご縁の機会であると。
こうして考えると、時間の変化の双方向に対して感じる感慨が日本仏教的な無常観と結びついたのかなと思う。
まとめ
ただ単に、きれいだとか薄汚れているとか欠けていると見るのではなく、それを見て時間の変化も感じることで「あはれ」だったり「わび」を感じるのだろう。そしてこういった感動は、ある程度経験を経ていないと分からない事なんだろうなと思う。歳を重ねるとか。
桜が美しく感じるのは、散ると知っているからだし、
夕陽を見て切ない感じがするのは、今日も一日が終わると感じるからだろう。移ろいを理解するには移ろいを体験していないと難しい。
またこの歌のように、逆に友情や愛情が昔と変わっていないことを知った時にも「ああ」と感じるだろう。これは無常の世の中なのに常なるものがあった、昔と変わっていないことを思い出す「あはれ」の感情なんだろうな。
他にもいくつか言葉を調べてみたが、こういう情景に当てはまりそうなのは「あはれ」か「わびしい」くらいのようだ。だからこそ、当時の人はその心境を歌にしたのかもしれない。
最後に小倉百人一首から歌を取って締めとする。
中世、風景や自然の変化と人の世の変化を重ね合わせてきたのだろう。それはただ単に見た目だけを見るのではなく時間や場所を超えて重なってできた心象風景なんだろうなと思う。そうした時に言い表せるのは「ああ」という言葉だけだったのかもしれない。