学ぶこと=気付くこと

 タイトルの通り、学ぶことの第一歩は「気付くこと」。教わることではない。逆に言うと、指導者は「知識を伝えるのが仕事」と思われているが、本当は「気付くきっかけを与えてくれる人」であるべきだと思う。
教えるのは簡単。知識を伝えるだけ…はもっと簡単。でも残念ながら、知識を伝えるだけの先生は今後消えていく職業だと言われている。タブレットやコンピューターなど人工知能が簡単に取って代わる事が出来るからだ。
 では、今後残っていく指導者はどんな人だろう。
そう、気付きのチャンスを与え、生徒を考えさせることが出来る指導者。生徒の持つ良さを引き出すことが出来る指導者だ。さすがにそれは熟練の技。そして何よりハートがないと務まらない。人工知能には出来ないこと。

 さて、「気付くこと」だが、とても簡単そうに見えて、実はこれが出来ない人が多い。例えば、ここに英語を習得したいと思ったAさんとBさんがいる。Aさんは人の話をよく聴いて、こういう状況の時にはこういう言い回しをするんだな、と気付いて自分の中に取り入れ、使ってみる。Bさんは人の話を聴きながらも、わかる言葉だけ聴いて、後はよく分からないな…と諦めてしまうとする。この場合、Aさんの英語力はグンと伸びるがBさんはあまり伸びない。
 
 私は普段、子どもたちの英語や発音を「間違っている」と言わない。もう一度さりげなく相づちの様に繰り返して聴かせるのだ。私の「火曜日には何をしますか」という質問に子どもが "I ... soccer." と言えば、その気持ちを汲み取りながら私は「へぇ〜そうなの〜」という相づちを"Oh, you play soccer..."と返す。そんな会話を繰り返す中で、子どもたちがハッとする。「あ、こういう時はplayを使うのか」そう気付いて子どもは伸びていくのだ。発音や言い回しも、そうやって覚えていく。
 欧米の先生方は、この「気付き」をとても大切にしている。カードをわざと上下反対に持ってみたり、自分がわざと言い間違えたりして、生徒に指摘させる。単語を多く覚えている子だけが優越感を持つような方法ではなく、飽くまでシンプル。どの生徒も気付いた自分を誇らしく思う様な工夫を授業の中に散りばめている。そしてもちろん指摘されたら、大袈裟に感謝して見せたりする。トライすること、参加することをとても大切にしているのだ。そして、同時に間違えることは決して悪いことではない、人が助けてくれるということも教えている。

 時には、自分が間違って使っていた言葉にハッと気付き、恥ずかしい気持ちになったり後ろ向きな気持ちになってしまうことがあるかも知れない。でも、そういうときは是非「気付いた自分ってすごい」ところに着目させたい。気付いたということは、それを体験的に学べるチャンス。自分を誇らしく思える程 、考え方をグルリと変える様な文化を作りたい。

 学習者に必要なのは、「知りたい」という気持ちと、それを尋ねる前向きで主体的な学び。指導者である私も子どもの様な柔らかく素直な心で、共に学び、伴走していきたいと思っている。

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