リトルフィクション

森の中を歩く夢をみた。影が潜む森の恐怖を冒険心に変えて、わたしの小さな手は何かをつかもうとしたところで目が覚めた。

何をつかもうとしたのだろうか。それさえつかめれば、今わたしが抱えている悩みもすべてが解決する、そんなような錯覚が芽生えてからは眠りの時間がわたしには楽しみでしかなくなった。それ以来そのことばかり考えている。

わたしは高校卒業して本屋でアルバイトを始めた。高校生の頃から引きこもりがちで、そのころからわたしは社会生活にはなかなかなじめないであろう、自分を気にかけ始めていた。

原因が何かあるはずだ。人より劣っている自分を恥じては嫌気がさし、そして、奮い立たせるように自分を取り戻す、そんな自分を見るのも感じるのも嫌になって開かれるはずの社会への突破口に背を向けて、小さく暗く膝を抱える自分を少しずつ育て始めてしまったのだ。

両親は仕事に忙しく、一緒に住んでいる年老いた祖母は病気がちな自分の身体を心配して20歳を迎えるわたしには関心はないようだ。朝起きて、暗がりになるとそれぞれが家にいることにホッとする。この家に住むわたしを含めた全員がそんな風に終わる一日に安堵している様だった。少なくともわたしはそうだ。

時々、森を歩く夢を見るけれど、肝心なことを覚えていない。

AM9:30に出勤して店頭に並べる本を準備する。今日は新刊がいくつかはいる予定でそのほかにも、受賞をした作家の本の増刷分が店舗に届く。朝の本屋は客足がほとんどない。駅の近くにある本屋で学校終わりの高校生や中学生、サラリーマンが立ち寄っていくので、午後からにぎわいだす。

「すいません。」

目の前の作業に夢中になっていると、訪れた客に気づかなかった。

「すいません。」

わたしも鸚鵡の様に客とは違った感情の言葉を発した。レジの時計を見るとAM11:30。カウンターに置かれた書物は、「樹海」と書かれてあった。数年前マスコミでも取り上げられた、有名な小説だった。確か、自殺した人を救うストーリーで実際に助けた人たちに取材して書かれたノンフィクション小説だった。テレビで見たおぼろげな知識がわたしの脳裏をよぎった。

わたしは本を裏返しにして、バーコードをスキャンする。

「カバーをおかけしますか?」

「このままで結構です。」

重苦しい内容の本なのに客は随分と軽い雰囲気の声で答えた。サラリーマンのような雰囲気とも違う。私服で大きなカバンを左肩から下げた中年の男性だった。

「1890円になります」

先ほどから鞄の中を探して見つかった財布の中から、2千円を取り出し、現金入れに置く。わたしはそのお金を預かって、2千円をレジに入れて110円の小銭がレジから出てくるのを待った。お釣りを渡し袋に入れた本を渡すと小銭をポケットに入れて店から出て行った。

客の出入りがそう多い店ではないからなのか、印象に残る客はよく来る。片言の日本語で娘から頼まれたといって毎月、月刊の少女漫画雑誌を買いに来る白人の女性。休日の日にアルバイトに入ると、娘さんと本を買いにくる姿を何度か見かけたことがあった。他にもカードゲームの収集家だろうか、レジカウンターにあるゲームカードを何枚も大人買いしていく中年男性。

レジ後ろでの仕事が終わり、見回りをかねて商品を整理するためにレジをパートの女性に任せて、レジカウンターをでた。積み上がった先ほどの「樹海」という本を見かけた。その時、耳鳴りがして、グラグラと床が回り始めた。そしてしゃがみ込む。わたしの額からは脂汗がたらたらと流れていた。何とか持ち直したけれど真っ青な表情のわたしをみた店長の勧めでその日は早退して、病院に向かった。貧血の症状とパニック発作だといわれ、わたしは仕事をしている母に連絡をして、付き添われて自宅に戻った。念のために大学病院での検査をすすめられて紹介状を書いてもらった。

昔から、人が多い場所を嫌がる傾向あり、集団行動が苦手だった。そんなわたしを母親は知っているからか驚きもしなかった。疲れがたまったんじゃない?少し休みなさいといって、部屋を出て行った。確かに最近は、ネットのゲームにはまり寝むるのは午前4時。睡眠時間は2,3時間程度。眠ってもすぐ起きてしまう。そのわずかな眠りの中で見る夢にわたしはかすかな希望を抱いていた。

1週間後、アルバイトのスケジュールに都合をつけて、大学病院で1日泊りの脳ドックを受けることになった。MRIとCT、眠りの中で検査する脳波の検査。後日病院に検査結果を聞きに行くと、心配するほどの所見は見当たらないという検査結果だった。

「よかったじゃない。病気じゃなくて。ちょっと疲れただけよ」

付き添ってくれた母がわたしにそういう。

「うん。アルバイト初めてまだ半年もたってないし、わたしなりにいろいろ気をつかったんだと思う。」

そんな風に答えても、わたしは煮え切らない思いでいた。そして幼いころ祖母と母が話しているのを偶然聞いてしまった日のことを思い出した。

「でも、よかったわ、あの子。子供みたいな将来の夢ばかりを追っているようだけれど、引っ込み思案で、気が小さくて、怖がりで、絢子さんもその方が安心でいいでしょう?」

「安心は安心ですね。でも内弁慶というか大人しいからか、自我が強い傾向にはあると思います。反発心というか、気に入らないものは気に入らないそんなような」

と母が答えると

「あの子は芸能人にあこがれているようだけれど、そんな無謀な夢を叶えさせちゃだめよ」

「わかってます。本人も無理だってわかってると思いますから」

そのころのわたしは人前で歌うきっかけがあり、少々歌がうまいことをほめられて、ひそかに歌手になることを夢見ていた。そしてティーン雑誌に出てくるようなモデルさんや歌手や俳優、芸能界にあこがれを持った。その中である女優さんが劇団に入団することでその引っ込み思案が治り、人前に出ることに苦痛を感じなくなったということをインタビューで答えていた。わたしもきっと、レッスンにでも通えばこの後ろ向きな性格も治って華やかな世界で活躍できると我ながら馬鹿なことを思った。

けれどその母と祖母のやり取りをみて、素直にやっぱり無理だってあきらめることになった。二人に対しても、何の怒りも疑問もわかない。なんならそりゃそっか、と鼻で笑えるぐらいだった。そんな出来事ですんなり諦めがついてしまう、そんなかわいい夢だった。けれどもそれからのわたしの日常は味気ないものになった。

今日もアルバイトに出かける。12:30になった。今日は普通の日なのに、人が多い。

「ちょっと遅くなっちゃったね。休憩入って」

「ありがとうございます。」

と言って店頭を離れた。上にパーカーを羽織って近くのコンビニ向かう。コンビニ向かうと、すれ違いざまの母娘のあの先の公園でたべようっかという会話が耳に入ってきた。

そういえば、この先に、大きな自然公園があった。今は時間がないけれど14:30ぐらいにはアルバイトが終わる。ちょっと帰りに寄ってみようかな…と思いながら、わたしはジャムとマーガリンが塗られたコッペパンを手に取り次に野菜サラダと、ペットボトルの紅茶を買って本屋に戻り休憩室で食べて、14:15分まできっちりバイトをして、帰りに公園によった。

その公園はわたしが夢で見た景色と似ている。そして思い出した夢で見た景色は、怖がるようなそんな樹海ではなく、ところどころ人がいて道もちゃんとある、まさにこの公園のような場所だったことを。

わたしは手入れの行き届いたその公園を人目を気にせず、散策した。時々すれ違う人に軽く挨拶できてしまうぐらいに。その公園はアスファルトとは別な素材で歩道が作られてたり、土の地面には落ち場や落ちた小枝なんかを脇に寄せて小道ができていたもする。いつもは固い地面ばかり踏んでいるけれど、微妙に柔らかく、硬い土の感触が心地よい。

ふと視線に気づくと、わたしにニコニコと優しい笑顔を向ける女性に気づいた。年齢は20代ぐらいだろう。

「良い公園ですよね。わたし大好きなんですこの公園」

よく居る人間が好きで、人と会話をすることが好きな人だろうという印象が浮かんだ。

「わたしも久しぶりにきました。子供の頃連れてきてもらったことがあったくらいで。」

「羨ましい。こんな素敵な公園の近くに住んでるなんて。」

「徒歩とバスでの移動が必要ですけどね」

「そうですか…、ところで今見ている景色に何か違和感を感じませんか?」

何を言っているのかわからないわたしはキョトンとした表情でとても困惑していたのだと思う。するとその女性は独り言のようにやっぱりわたしの勘は当たっているわといった。

「あなた何も知らされていないのね?何かあったかしら?だったら違和感を感じないのも、必死になることに抵抗を感じるのもわかる。わたしも初めはそうだったから。」

「ごめんなさい。何をいっているのかわからないです」

わたしは良くわからないという事を表現をしようと、小首をかしげた。

「そう、この状況を受け入れられないのね…、だったら仕方がないわ。助けられない…さようなら。」

夢なのか現実なのかわからなくなってしまった。何だったのだろう。わたしは初めて会った全くの他人に言われたその一言にとても傷ついた。状況を受け入れる?どういうことなのだろう…わからない。わたしのどこにでもある何ら変わらない日常の状況を?何を受け入れるってことなのだろう…。

それ以来人から見られているような感覚になった。それ以来というかもともと人の目を気にする傾向にあって、外の世界が嫌いだった。その感覚が一層強くなって、偶然に起こる出来事も偶然だとは感じなくなっていた。わたしが一体何をしたというのだろう。わたしが監視されなきゃいけないの?監視?監視されていいるの?わたしを知らない人がどうしてそんな目でわたしを見るの?わたしが悪いことしたから?わたしが何をしたっていうの?人でも知らないうちに殺したのかもしれない。それなら辻褄が合う…。

そんな誇大妄想がわたしを取り巻いては消えていった。そしてわたしは時々、あの公園に出かけて行った。あの時の女性を探すけれどいない。いないことにホッとしたりもする。けれどあの女性が言うように確かに何かが変だった。それはわたしの感じ方の違いで、わたしの頭がおかしくなったのかもしれない。

バイトの帰り道、なんだかため息が混じる。こんな不安定な状況でも、バイトに行けて少しでも役に立てる。そんな小さなことに安堵した。

道を歩く人がみんなわたしを見ている。きっとみんなわたしをこの場所からいなくなってほしい、消えてほしい人間だと思っている。そういう感情がわいてくるけれど懸命にその感情を打ち消す。

「あなたの夢かなえますよ?どんな夢でも」

そういって中年の女性が近づいてきた。お香のような変わった匂いがする。その匂いが人を寄せ付けずにいることは確実だった。けれどわたしは吸い寄せられるように近づいていった。

「殺してくれますか?」

「良いですよ。夢を叶えるといったのはわたしだから。しかし条件があります。人殺しにはなりたくないです。」

「条件とは?」

「あなたの夢を叶える代わりに、わたしと関わったことを伏せてほしいんです。」

「絶対に口外しません。人殺しにはしません。遺書も自分で書きます。」

「だったら叶えましょう。まだ若いのに、人生いくらでもやり直しがききますよ」

「この状況下でそんなこと言えますか?」

「そりゃそうですね。」

その人はクスクスクスと笑った。

「なんでこんな目に合わなきゃいけないのって思いがあります。誇大妄想かもしれないけれど。」

「何も知らなければ、そう思ってしまうのは仕方がないと思います。復讐でしょうね、何らかの人達からの。」

「わたしが何かしたんでしょうか?」

「したんでしょうね。きっと、あなたじゃなくても、あなたの魂が。そうじゃなきゃあなたが的になることもなかったでしょうから」

「お金って必要ですか?」

「いくらなら出せますか?10万円以内で構いません。」

「5万円で」

「了承しました。決意ができたら連絡ください。」

そういうとその中年の女性はわたしに紙切れを渡した。

「あなたの番号を確認したいので一度かけてみてください。ごめんなさいね、スマホなんだけれど、最新の使い方がわからなくて。」

「大丈夫です。わたしも知りません。」

その場でその紙切れを見ながらその番号に電話した。するとその人が手にするスマホが鳴った。

「これで完璧。じゃ、連絡待ってます。それと、今までで一番幸せだったことを考えておいてくださいね。思いつかないならいいけど」

わたしは両親には内緒でアルバイトを一身上の都合ということでやめた。後悔なんて何もない。こんなわたしが期待できることなんて…。今あるすべての悩みが消える。目の前の景色も。少し前の気の弱いわたしならそのことに恐怖を感じただろうな。それからというものわたしは宙に浮いたようなそんな幸せを感じていた。もうこれでわたしは何も感じなくなるとおもうと、何も考えなくて済むと思うと…。楽な方法なのかもしれない。でもわたしはこの世界にそぐわない…、そう思えて仕方がなかった。

わたしは連絡をして約束を取り付けて会いに行った。場所は廃墟の工場ようなところ。そこを綺麗に改装してあるようだ。

横になるリクライニングのベットのようなワインレットの椅子。横には点滴を下げるもの。

「いらしゃい。お待ちしてました。」

白衣を着た若い研究者のような男性がわたしに近づいてきた。

「ほんとだ、死相が顔に出てる。よく見つけてきたね、ヘルプさん。」

「でしょう。本人も納得の上ですよ」

「お金と遺書持ってきた?」

「はい。」

わたしは鞄からお金と遺書を持ち出した。

「あなたの遺体は死後僕たちの手によって、始末される。あなたは戸籍がはっきりしているようだから、点滴での死は選べない。今から意識をなくす、注射を打つ。その後、練炭自殺を選んでもらう。遺体はあなたともう一人の見知らぬ女性と一緒に、車の中で発見される。このスマホで数回、もう一人の自殺志願者とのやり取りが行われている。あなたのスマホを彼女に渡して交換する。すべてはそろった。まだ時間はあるよ。心の準備は?」

「少しだけ時間をください。」

わたしは言った。

「もちろん。あと僕が持っているタブレットでもう一人の自殺志願者の様子が見れるけれど見てみる?」

わたしは首を横に振る。

「そう?じゃぁ、最後にあなたは復讐する気持ちはありますか?」

「復讐?何に復讐するのかもわかりません。ただ、この苦しみから解放されたいだけです。それって楽な方法ですか?」

わたしは白衣を着た男性にたずねた。ポケットには大学病院の名前の刺繡が施されてある。

「僕にもわかりません」

その人が否定した言葉に少し肩を落とした。ヘルプさんと言われる女性の話によると、その男性は、大学の研究員で法医学の勉強をしている人らしい。同年代のあどけなさを感じた。

「覚悟が決まりました。」

「そう。今まで幸せだったことは思いだせる?」

わたしの横に付き添ってくれるヘルプさんがわたしにたずねた。

「あることはあるけれど思い出せない。」

わたしがそう答えると腕に注射針が刺さる。チクッとした痛みすら鈍感になっている自分を感じる。昔から痛みには鈍感だった。痛みがあるのはあるのだけれど、ある程度時間がたって気づくと治っている。

「あなたが幸せだって思うことは?」

二人のうちどちらの声かもよくわからない。けれど遠のいていく意識の中で思いだせたことがある。わたしのこの自殺の衝動は13歳の頃から始まっていた。見たくない記憶を懸命に塗り替えてその後に来る大きな憂鬱と後悔。


ー終わりー

この物語はフィクションです。















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