サイレントウェーブ

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わたしには名前がない。朝起きて、身支度を済ませて、適当に朝食を済ませて、歯を磨いて自宅を出る。一連の朝の大まかなルーティーンをこなして、ドアを開けて、世間に出ていくわたしには、両親から授けられた、猶原初美という名前がある。けれど世間でのわたしなりの役割を終えて自宅に帰宅すると、その名前の一つ一つを脱ぎ捨てていく。すべての名前が払拭されるときは眠りについたとき、夢の中を歩き回りわたしの意思とは裏腹に、様々な行動をとる。そのわたしには名前はなかった。こんなことを思うようになったのは、あの事がきっかけだったのかもしれない。

父親は普通の会社員、母親は普通の主婦、そしてわたしの3人家族。大学受験に失敗したわたしはフリーターとなって、本屋でアルバイトを始めた。

高校生の時はわたしの将来の職業は、大学に進学した後に、決めればいいと思い、その時目の前にあることだけをこなしてきた。けれど、合格発表の当日、目の前に広がる景色にはわたしの受験番号は載っておらず、手元には合格通知も届かなかった。そのころからだろう、わたしは時より、夢で体験したことを日常に体験するときがあった。すべて鮮明に一つ一つ同じような体験がなされたかといえばそれは違う。あれ?これ夢で見たなと思い、記憶を手繰り寄せると明らかに夢で見た光景なのだ。それ以外にももう一つ、わたしは多くの人を夢の中で、殺していた。それはもう残忍なほどに。殺した相手の命とすべてを奪ったあと、わたしは高らかに笑い、そこから目覚めるとありえないぐらいの寝汗と呼吸の速さに気づき夢だったことに安堵するのだ。わたしは日常に起こる不思議な体験と現実には起きて欲しくない思いの中で生きている。

義務教育をわたしは得てきているのでその中で思い通りにならないことを多く経験してきた。確かに大学受験に失敗したことに救いのない絶望だよと言いながら、大きく落胆した。そのことが大事な眠りの最中に見せられる悪夢なんだろうか…。わからない…。

わたしが夢で起きたとおりに残忍な事件を起こしたらきっと世間で流れるニュースは”大学受験に失敗した女の愚行”などという風にが流れるのだろうなと思ったりもした。

「随分、疲れてた顔してる。」

心配した母親が食卓で夕飯の肉じゃがに箸をつけるわたしにそう声をかけた。

「そう?」

「うん。」

「ちょっとバイト先でミスがあってその埋め合わせでちょっとね」

とうそをついた。仕事には随分慣れて、驚くほど仕事ができるようになりミスも自分でカバーできるぐらいになっていた。

「来年受験してもいいのよ?」

よそってくれたお味噌汁を食卓に置きながら母親がわたしに言う。

「ごめん。わたしには堪えたよ受験。しばらくはバイト生活で人生勉強するのも悪くないと思ってさ。」

「初美がいいならいいけど。」

わたしは話題を変えようと父親の話をした。

「お父さん出張、青森だっけ?」

「うん。そうみたい。新しい商品の開発で青森の製品を使うとかそんなようなこと言ってた」

父親は大手食品会社の営業職を得て今は、食品開発の分野で働いている。わたしは受験勉強中に自分に許した娯楽の時間と称して夕飯の後、リビングのソファーに寝転がりテレビを見ながら、よく両親の会話を盗み聞きしていて、その時、話していたのを覚えてた。

「お父さんの出張、昔に比べて随分減ったね。家が心配だからって最終の新幹線で帰って来る時もあったね。駅からのタクシー代馬鹿にならないのにねってお母さんよくこぼしてた」

母親はそうだったっけ?という風にとぼけて見せた。そろそろ給料日だった。高校時代の就職組の友達と焼肉を食べに行く約束をしていた。

「お母さん、明日、高校時代の友達と夕飯食べてくるから遅くなるね」

食べ終わった食器を流しに置きながら、ソファーでくつろぎながらテレビを見始めた母親に言った。

「そう。あんまり遅くならないようにね。食器、流しにおいておいてもらって構わないわよ、後で洗うから」

「うん。」

そう返事をして自室に戻りお風呂の支度をして、お風呂に入った。風呂から出ると入れ違いに母親がお風呂に入る。わたしはキッチンに言って、乾いた喉を潤そうと、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、ペットボトルに口をつけて飲んだ。500㎖のペットボトルのふたを閉めてキッチンの流しに目を移すと、わたしの食べた後の食器がきちんと洗われて片付けられていた。”お風呂から出たらお母さんの晩酌タイムか”と独りごとを言ってその場所を後にした。

-1- 次回




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