布団の中で旅に出る
ずっと布団の中でごろごろしつつ、充実した人生をおくる方法はないだろうか。
眠い日、やる気が出ない日、疲れている日、そんな日の朝、ふと、そんなことを思う。
そもそも、充実した人生とは、どんな人生なんだろうか。
たとえば、たくさんの予定が朝から晩までぎっしり入っている一日。
楽しいかどうかはわからないけれど、充実した一日にはなりそうだ。
旅のしおりを開いて、ぜんぶ自由時間だったら、ちょっと不安になる。
大げさに言えば、人は、充実した人生を送りたくて、明日の予定をいれる、のかもしれない。
定年退職したばかりの人の中には、今日やるべきことがないことにとまどう人もいるという。
「充実した人生」に、一つの定義があるとしたら、「行動の密度の高さ」なのだろう。
この定義だとしたら、布団の中でごろごろしつつ、充実した人生をおくるのは確かに難しいように思える・・・いや、待てよ。
「行動」という概念の中に、「思考」も入れてみるのはどうだろう。
「思考の密度の高さ」。
これなら、布団の中でもできそうだ。
「今日は、布団の中でごろごろしつつ、朝から晩まで、果ては宇宙まで思索をめぐらし、充実した一日だった」
なくはないな。
これなら、ありえる。
いや、むしろ、思索の密度をぐぐっと高めていくのには、誰にも邪魔されない布団の中は、最適な環境だ。
SNSの投稿の密度を競う人たちを横目に、僕は、ひとり、思考の密度を高めていくよ、と、そんな矜持。
ジャーニー・イン・ザ・布団
僕は布団の中で旅に出る
毛布の下にもぐりこめば
そこは雲の中
やっかいな価値観も
ここまでは追ってはこれまい
空高く舞い上がれば
分子も 心も
相似形でできていることが見えてくる
いまここにいる場所から
はるか宇宙まで
謎はたっぷり一生分
思考の旅は
お釈迦様の手のひらを超えて
布団の中へ
どうだろうか。もしあなたが、このエッセイを読んで、布団の中でごろごろしていても、充実した人生をおくれる可能性を感じたとしたら、とても嬉しい。
実際、僕自身、このエッセイを、布団の中でごろごろしつつ考えたのだから。