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好きな椅子に座る、自由。

先日、新幹線に乗ったときのこと。

自分は、「指定席」のチケットを持っていたのだが、「自由席」の車両の近くを通りかかったときに、ふと思った。

「自由」な席。

「自由」が手に入る席。

「自由席」とは、なんて素敵な言葉だろう。

それと比べて、「指定席」という言葉の窮屈さと言ったら!

自由を奪われた指定された席なんて、ああ、嫌だ。

僕は、「自由席」という言葉の魅力に負けて、指定席のチケットを持っていたのにもかかわらず、自由席の車両に乗った。(そこに、特別な自由はなかったが)

いま、自分は、どんな席に座っているか。

ときどき、いろいろなかたちの椅子を想像する。

背の高い椅子。背の低い椅子。

角ばった椅子。なめらかな曲線の椅子。

小さい椅子。大きい椅子。

シンプルな椅子。装飾がほどこされている椅子。

自分の人生の景色とは、その椅子のどれかに座って見えている風景のようなものだ、と思う。

企業につとめている人から見える風景と、ひとりで会社をはじめた人から見える風景が違うのも。

仕事の情熱を大事にする人の風景と、仕事の数字を大事にする人の風景が違うのも。

子育てをしている人からの風景と、そうではない人からの風景が違うのも。

座っている椅子のかたちや大きさが違うから。

なんてことはない、ただ、それくらいのことなのだ。

すっと立ちあがり、

違う椅子に座ってみると、

まるで違う風景が見えてくる。

でも、今の椅子に座っているときには、そんなこと、思いもしないのだ。


椅子


きみの世界は きみの椅子


窮屈だと思ったら

広い椅子に座りなおせばいい


苦しいと感じたら

柔らかい椅子に座りなおせばいい


余計なことばかり考えてしまうなら

シンプルな椅子に座りなおせばいい


近くしか見えなくなったら

背の高い椅子に座りなおせばいい


そうして他の椅子に座って

また元の椅子に戻ったっていい


ときには誰かと

椅子を交換してみたっていい


椅子は いくらでもあるのだから


どの椅子に座るかは きみの自由なのだから


エッセイ「いつか、ここにあるもの。」、季刊誌「住む。」で連載中。最新のエッセイは、「住む。」最新号でご覧ください。http://www.sumu.jp/ ※本エッセイは、「住む。」60号に掲載されたものです。